血の底の墓標

 ……調査のために時間を掛けてしまったがようやく準備は整った。狭かったはずの通路を歩き進み瓦礫を乗り越え、大穴へと伸び折れた鉄骨を渡っていく。


「壮観だな……こりゃ」


 何層にも重なっていた地下フロアの断面がよく見えた。大穴を晴天が照らし、流れ落ちる海水が飛沫をあげて霧を広げている。


 底はよく見えなかった。薄ぼんやりと水面と、積み重なった瓦礫がある。


 息を呑んだ。何もない場所に手を突き伸ばし、アメウズメの剣を虚空から取り出し握る。


 黒い刃が光を浴びて銀に鈍く煌めいている。刀身の中で揺れる冷却液を一瞥し、眦を決した。仮面を被り、眼下に広がる大穴を見下ろす。


「正体を暴いてやる。……怪物め」


 ジンは引き攣った笑みを浮かべながら――飛び降りた。


 地下52階。高さ200メートル超えの自由落下。


 耳元を凄まじい向かい風が撫でる。数秒で濃霧を抜けた。最下層を満たした海水。小島のように点々と集積した瓦礫の山。


 そして無数の……墓標。銃器、槍、剣が突き立てられ制服や帽子が掛け結ばれている。嫌な予感がして虚空を掴んだ。


 ガラスを引っ掻くような音が響かせながら空間に亀裂が走り減速していく。


 プニャーレ四点事務所の奴らが数人、武装した状態で立っていた。傍らに横たわる少女の死体。見慣れない衣服だ。長い銀の髪も血に染まっている。


「ッ……!?」


 腕から這い伸びる痺れ。咄嗟に袖を捲くると紫に蛍光する得体の知れない模様が広がっていた。


 ――攻撃された? だがプニャーレ事務所の連中にこんな理解不能な技術はない。奴らが使うのは精々、毒物ぐらいだ。……これは毒じゃない。


 急速に鼓動が早まっていく。心臓が締め付けるように痛んだ。歯が否応なく軋み、咳き込むと血が溢れてくる。


 虚空を掴み空間を裂いて落下していたが、その腕に力が入らなくなってくる。


「落ちるなこりゃぁ……」


 達観するみたいに自嘲して、落下地点を見下ろす。


 先程まで立っていた連中が軒並み倒れて、ピクリとも動かなくなっていた。


 代わるように少女一人が起き上がり、ジトリとした視線で見上げてくる。


 彼女は物珍しいように釘付けになったまま腕を広げ、――再び自由落下をしていた俺を躊躇いなく抱き受け止めた。


「おぐッ……!」


 酷い醜態を晒した。


 ドシンと、20メートル程度分の衝撃が重く全身に響き渡る。


「大丈夫ぅ? 随分と高いところから落ちてきたんじゃない?」


 玲瓏とした声。しかし声色は妖しげで、僅かに嘲りを含んでいた。彼女は翡翠の双眸で顔を覗き込むと、優しく瓦礫の上にジンを降ろした。


 ……ここが確かに最下層のようだ。積み上がった瓦礫に無数の墓標。流れ込む海水は透き通っていて、抉れた構造物の断面から蔦が垂れ下がっている。


「あ、ああ……平気だ。悪ぃな、助かった」


 少女と向かい合った。


 長く伸びた銀の髪が陽光を浴びて白く煌めき、風で靡いていく。物怖じする気配もない凛とした眼差し。


 衣服にはラインフォード商会の組織であることを表明するエメラルドグリーンと薄紫の線が入っていた。先程まで付着していた血の汚れが勝手に消えていくと白い布地が目立つ。


 首や肩、腿の露出が職業病の所為か気になってしまう。安全面を考慮するならば可能な限り地肌は見せるべきではない。


「……その制服、貴方もワタシを殺しにきたわけ? やめた方がいいよ? お互いいいことなんて一つもないから」


 ふんと、泣きそうになるのを堪えるように彼女は鼻で笑った。周囲に横たわるプニャーレの連中を一瞥して、瓦礫に座り込む。


「いやいや、俺は殺したいなんて思っちゃいないさ。制服も借りただけ。……こいつらはさっきまでピンピンしてたように見えたがなんで死んだんだ?」


「…………手伝ってくれたら教えてあげる」


「なにをだ?」


「お墓作りのよ」


 深い地の底にまで届く陽光が彼女の作り笑いを照らしていた。薄緑色の髪飾りだと思っていたものがひらひらと羽ばたいてどこかへ飛んでいく。


 気圧されるとも違う。圧巻されるような雰囲気に呑まれかけて、ジンは僅かに首を振った。すぐに我に返り縦に頷く。


「……わかった。手伝おう。誰かを殺すだとか、傷つけるだとか、そんなことよりよっぽど楽だしな。けど代わりにもう一つ教えてくれないか?」


「いいよ。別に不親切にしたいわけじゃないし。……何が知りたいわけ?」


 彼女は躊躇いなく亡骸を背負うと、無数の墓標が尽き生えた瓦礫の小島まで運んでいく。流されるようにジンも亡骸を背負った。


「……あんた何者なんだ? プニャーレの連中に襲われたのに無傷なうえにそもそもこんなところにいるし。それと、このあたりで施設をぶっ壊した人造生物がいるはずなんだが見てないか?」


「一つじゃないように聞こえたけど、気の所為じゃないよね」


「まぁ、そういうこともあるだろ」


 不服そうな表情をされたから、適当な笑みではぐらかす。


 彼女は深いため息をつくと真摯な眼差しを向けた。うっすらと蛍光する淡い翠の瞳に魅入られるように、視線が噛み合う。


「ワタシは――メリア・イクリビタ・プロトアルファ。【無式】だとか言われたりもしたけど。そいつは違う。別人。……それで、施設をぶっ壊したのはワタシ。だからきっと、この人達はワタシを殺そうとして――死んだんだ。あなたはワタシを探して何をしに来たのかしら?」


 ――彼女が、全てを壊した? こんな少女が?


「…………」


 息を呑んだ。


 容姿が理由ではない。瓦礫の山に造られた墓標一つ一つが嫌に視界に刻まれる。静寂の中、不安と無数の感情が入り混じった翡翠の眼差しがどうしようもなく言葉を失わせた。


 ぎゅっと、メリアは縋るように亡骸の衣服を握りしめた。儚い純白の髪が揺れ靡く。妖艶な微笑みは悲しいような、助けを求めるような息苦しさを帯びていて。


 ジンは飄々とした返答も浮かばずに、墓づくりの手伝いに徹して長い沈黙を受け入れた。


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