同じわたし、違うわたし

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




 たった二週間だ。それで全ては変わった。全て失った。


 見慣れていたはずの真っ白な通路は瓦礫と得体の知れない植物の広がる壊れかけの廃墟と化し、ラインフォード商会が管理していた実験動物、生物兵器は逃げ出したまま、飼育区画の惨状はありのまま残っている。


 独自の生態系すら完成しつつあった。生物災害の報告は生存者の話題から絶え止まない。


 ジンは狭く入り組んだ通路を歩き進んだ。砕けたガラスを踏みしめる音が響いていく。瓦礫を下りさらに奥へと。大穴から離れた区画は陽の光も差し込めないまま電気も途絶え、薄闇を保ち続けていた。


「戻ったぞー。ヴィコラ」


 仮面を外し素顔を晒した。淀んだ黒い瞳で薄暗い部屋で機械音を響かせる冷凍睡眠(クライオニクス)装置缶を見下ろした。


 さながら機械仕掛けの棺だ。バッテリーに繋がれ、ガラス窓一枚越しに穏やかな表情で眠っていた。寝癖のついた黒い髪を解くことさえもうできない。小さな身体がすっぽりと装置のなかだ。


 本物のヴィコラを撫でるように、ジンはそっとガラス窓に指を置いた。散らばっているガラクタを退かし装置に座り込んで。


 ジッと、何もできずに時間が過ぎる。


 …………いつまで呆然としていただろうか。やがて遠くからガラスを踏みしめる音が近づいていた。


「ジン! もう戻ってたんすね」


 間延びしたような気だるげな声。蔦のカーテンをくぐって、ヴィコラと全く同じ容姿の少女が安堵するように笑みを浮かべる。


 だぼついた衣服、寝癖を放置してくしゃくしゃになった黒い髪。声。何もかもすぐ隣で眠るヴィコラと変わりはない。


 ジンは表情を取り繕った。必死に普通な態度で顔を覆い隠す。


「……悪ぃ。装備の点検を頼めるか?」


「いいっすよ。ただ、ヴィコラって名前で呼んでほしいんすけどねぇ。何かあったときのためのバックアップに、私自身が用意したんすから」


「まぁ、気が向いたらそうさせてもらうさ。今はそんな気分じゃなくてな」


 謝罪の言葉を口にすると、ヴィコラは潤んだ目をぐしぐしと拭い隠した。すぐにニヘラァと笑みを返してくれる。


「まぁ、……ならしょうがないっすね。武器はそこに置いといてくださいな?」


 ジンは頷くと何もない場所へ腕を伸ばす。呼応するように空間に亀裂を走らせると、さも当然のように手を突っ込んだ。


 無数の槍、ナイフ、銃剣、散弾銃、グレートソード……。手品のように取り出し並べていく。


 ヴィコラは武装を一瞥すると、慣れた手付きでジンの服をめくりあげた。衣類に隠されていた防護用の外骨格を撫で触り、したり顔を浮かべてジンを見上げる。


「問題ないっすね。さすがわたしが造った武具……って感じ? けど安心して欲しいっす。わたしのアメウズメ工房はジン専用っすから」


 街の外の魔法、海に沈んだ技術、他企業から盗んだ試作品の複合。いくつもの理解しがたい技術によってヴィコラが造った装備だ。ヴィコラにしか問題の有無は分からない。


「それなら助かるな。これからすぐにでも使わなきゃいけないだろうから」


 僅かな手の仕草一つで取り出していた武器が全て消え失せた。生活必需品、食料品を部屋に残しジンは踵を返し去ろうとする。


「……ッ、待って!」


 ヴィコラはジンの手を取った。ジンが振り返ると、プルプルと小さく首を横に振って、目が合うや懇願するみたいに見上げてくる。


「わたしはさ、こんな生活でもいいんじゃないって思えるっすよ? だからさ、あんま無茶しないでほしいっすやり直すことだっていくらでも――」


「できないさ。少なくとも今はな。……気が済んだときはそうだな、色々考えてみることもできるかもしれないが」


 可能な限り穏やかな声色で、そっと彼女の手を払った。


「ヴィコラは……! わたしは……!! ……ジンがそんな顔をするぐらいなら前に進まなくたっていいと思うっす。ここで、立ち止まる時間だって…………何か意味があるかもしれなくて」


 今も機械の中で眠るヴィコラと、目の前のヴィコラは性格も考え方も全て同じだ。彼女がそう思ったのなら本物のヴィコラもきっとそう思うのだろう。


「嗚呼、そうかもな。……本当のヴィコラもそう言ってくれたかもしれない。いや、絶対言ったな。でもまぁ今は許してくれ。どうしてもしたいことがあるんだ。それさえすればもうちょっとは良くなれるはずだから」


「どこに行くつもりなんすか……? そんな服着て。ヴィコラが作ったアメウズメ工房の制服はどこにやっちゃったんすか」


 ヴィコラは不安げに見上げた。そのクマの刻まれた視線にジッと当てられて、ジンは困ったように苦笑いを浮かべながら彼女のくしゃくしゃな髪を撫で整える。


「ちょっと下に行くためだ。アメウズメの防具はちゃんと持ってるが、この制服だと今は動きやすいんだよ。こいつらがその辺ほっつき回ってるって意味でな」


 今も生き残りはいる。


 ラインフォード商会の研究者以外の職種がまだ生活できる範囲に避難区画を立ち上げ、生物兵器が脱走、暴走した際の鎮圧を行うための部署だったプニャーレ四点事務所が責任を取らされ過労死する勢いで周囲の清掃を行い続けている。


「無茶はしちゃダメっすよ? 武具になんかあったらすぐ戻ってきてね?」


「ああ、わかってる」


 適当な返事をして結局また逃げるみたいに部屋を出た。

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