一章:陽光は差せども日は遠く
崩壊した日からずっと
一章:陽光は差せども日は遠く
地下だというのに日の光が差し込める。視界は広い。大穴の開いたセブンスター海洋島は無惨なものだった。地下の研究設備は崩壊し、向こう側は霧に霞んでいる。無数の床と天井の断面、そこから突き伸びた鉄柱。垂れ下がるキャットウォーク。得体の知れないコード、チューブが風に靡いている。
こんなことになって二週間は経っただろうか。未だ見慣れない光景だ。
まるで最初からそうであったように海水の一部が流入し滝のように落ちていく。コンクリートを打ち付けながら今もすぐ隣で飛沫をあげ、さらに地下へと流れていった。
ピチャピチャと足音が響く。好き勝手に伸びた食料用の植物を振り払う。
「はは……本当に凄い場所になっちまったなぁ。ここは」
ジンは冷ややかな笑いながら何もない場所から銃を取り出した。研究者の生き残りに銃口を向けながら淡々と詰め寄っていく。
「わ、わたしは下っ端でこのことには関与していないッ。だから殺さないで……!」
ずるずると、尻もちをついたまま白衣を汚し崩壊した施設の崖際にまで後ずさる。
――嗚呼、本当に何も知らなそうだな。
そんな風に思いながらも、この行動を止める理由もなかった。
せめて緊張を紛らわすために今一度笑顔を向け……仮面をつけたままだったと思い出したが取るのも煩わしい。彼の顎に銃を突きつける。
「関与していないか。ハハ、けど施設がこうなったのはお前らが実験動物共をまともに管理できなかったからだろ? こっちは便利屋だからってお前達の汚れ仕事を全部引き受けたのに」
銃身で一度、白衣の男を殴打した。鈍い音と共に口の中が切れたのか血が垂れていく。
「わたしは――下っ端でっ!」
もう一度殴打した。結局は八つ当たりだ。理解しているが苛立ちを抑えることなどできなかった。そもそも、抑える気がない。
「関係ない。お前らラインフォード商会の代わりに企業の重役、血縁関係者、目撃者、幼い被検体、全部殺してきた。安全な暮らしと立場を用意する契約だったはずなんだがなぁ……はぁ」
緊張もなくただただ疲れ切ったため息をこぼした。ジンが憐れむように目の前の研究者を見下ろすと、縋るように研究者が懇願の言葉を吐き出していく。
もはや頭にも入ってこない。ただ自分の憤りを、無力さをぶちまけなければ何もできそうになかった。
「仕事……全部終わらせて、これでようやく終わりだったはずだ。……はずなのに、全部滅茶苦茶だ。何もかも失って、ならどうして俺はあいつらを殺したんだ? 教えてくれ。全員無駄死にか? はは、教えてくれないだろうな」
ジンは躊躇いなく引き金を引いた。
研究者の上顎から先が吹き飛ぶと、死体が崩壊した建物の底へと落ちていく。崩壊した研究施設に銃声の残響が長々と尾を曳いていった。
「随分と荒れているじゃないか。ジン。もしかしてこんな時間から呑んだくれた後か?」
背後から声が響く。名前を呼ばれ、ため息をつきながら振り返ると全身を錆色の外骨格で身を固めた男が立っていた。
威圧的な大盾を持ったまま歩み寄ってくる。片腕に携えられた銃槍は排出口から濁った蒸気を吐き出していた。
「【錆染】。お前には関係ないだろ。俺は酔っちゃいない。依頼もないからしたいことを好き勝手してるだけさ」
「そんな堅苦しい呼び方はやめてくれ。オレ達の仲じゃないか」
フルフェイスの兜が揮発した冷却液をこぼしながら口元だけを展開した。憎いぐらいにニヒルな笑みを浮かべている。
イケ好かない奴だ。何度か一緒に仕事をして、酒を飲み交わす程度で……まぁ、友人ではあるかもしれないが。
「ハッ、【錆染】の称号をもらったときは狂ったように喜んでたじゃねえか。オレもこれで色付きだ。正義の便利屋として認められたんだぜってさ」
――色付き。企業と単独で対峙し、駆け引きを行えると判断された便利屋が企業から与えられる称号だ。錆色なんて地味な色を与えられても大層なネームバリューであることは確かだった。
「それはそれだ。話を広げてオレを主題にするんじゃない。オレはお前が心配で追ってきたんだからな。……その殺しは意味があるのか? 相変わらず、自分が殺した奴の目線を気にして、お前はお前自身を苦しめちゃいないのか?」
――こいつは何ら躊躇いもなくズカズカと人の領域に踏み込んでくる。だから気に食わない。オマケに俺と違って汚れ仕事もしたがらないし。
「意味があるかって? どうだろうな。落とし前を付けることは大事だし、それに無意味な行為にこそ意味があるって言うだろ? 俺はこれをしなきゃ前に進める気がしないから。しかたがない」
ジンは仮面を外すことも口元を見せることもなかった。顔も向けないまま、何も無かったようにその場を立ち去ろうとして【錆染】に肩を掴み止められる。
「自分が正しいと思う事の為に戦え。でなければどんな戦いも無駄だ。……今のお前は正気じゃない。復讐をしたいだけなのかも分からなくなっているじゃあないか。殺し過ぎればお前自身が自分を見失うのがわからないのか」
【錆染】の真摯な言葉が胸にしこりを残すように突き刺さる。嫌な気分になった。罪悪感を煽られるような、自分と【錆染】を比べたときに惨めに思えてくるような。
……だがもう止めることはできない。ジンは殺した男の返り血を拭った。ハンカチを施設の底へと投げ捨てる。
「この仕事を初めたときから手遅れさ。今更恐れるものもない」
「これ以上無意味に暴れれば二度と名誉は戻らないぞ」
「元から無いのと同じだ。放っておいてくれ」
ジンは手を振り払うと逃げるように崩れた施設から飛び降りた。空中で平然と軌道を変え、【錆染】の視界から消える。
「待て! オレの話は終わっちゃいない! そもそもお前のその制服はなんだ!? なぜそんなプニャーレ四点なんて底辺便利屋事務所の制服を着ている!? 仕事がないならここにはいくらでも…………はぁ。クソが」
【錆染】はジッと大穴を覗き込んだ。静かに口元を再び隠すと、くぐもった声を響かせる。
「……警告はしたぞ」
呟きは届くこともなかった。
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