終末世界の海へ行く

終乃スェーシャ

プロローグ:差し込める光

差し込める光

 プロローグ:差し込める光




 視界の暗転が消えていく。何度目かも分からない暗闇、何もない空間での時間が久しく終わりを告げた。


 停滞した体感時間がもとに戻り、真っ白な部屋が広がっていく。


 あるものと言えば無数のカメラに研究者が見下ろすための強化ガラス。壁に収納されたいくつもの銃火器。そして不快なスピーカーだ。


『時間掌握プロトコルが終了しました。自己認識プロトコルを稼働させます。メリア・イクリビタ・プロトアルファはただちに自身の姿を認識してください』


 カメラが少女を捉えホログラムにありのままの姿を映し出した。


 長く揺れる銀の髪、その先端は双眸と同じ淡い翡翠の蛍光を纏い散らしている。華奢でありながら誰に劣ることもない力を持たされた怪物。


 人間でないにも拘わらず、人間、それも容姿端麗に整った少女の形を望まれたから、お人形のように造られた哀れな生き物。


 ジッと、言われるがままにメリアは自分自身を見続ける。……滑稽な姿だ。


 研究者達と違いまともな服さえもない。与えられたのは力だけだ。ぎゅっと、一本の槍を握りしめると、共鳴するように同じ造られた存在である無数の蝶がひらりと、光を帯びて舞っていく。


『自己認識プロトコルが終了しました。人間性逸脱率正常。高い心拍数、パニック障害なども見られません。次のプロトコルへ移動します』


「やあ、気分はどうかね。三十分ぶりかね? メリア」


 はるか上の強化ガラス越しで研究者達は見下ろしていた。不快な声はスピーカーから聞きたくなくとも耳に入る。


「ワタシからの体感時間は六十年と十ヶ月ぶりだけど」


 淡々と、意思を殺して望む言葉を吐き出す。彼らはいつものように喜びを分かち合い笑みを浮かべていた。


 ――求められている。必要とされている。成功することが望まれている。だからその通りに従う。それが存在理由だから。


「素晴らしい。これでようやく完成するよ。君はこの実験の希望だよ。メリア」


『不死性検証プロトコルを行います。被検体84b827を転送します』


「ねぇ、それ何百回試したわけ? 不死性とやらを試す意味を教えて欲しいものね」


「意味はあるとも。メリア、君がそうして異議を口にした時点でその精神を数値化し、異常を確かめなくてはならない」


 メリアの眼の前に半ゼリー状の醜悪な怪物が転送されていく。それは無数の瞳を持ち、憐れむように少女を見下ろした。同時、壁の一部が展開し、逃げ場がないように機銃が銃口を向けた。


(かまわないよ。かわりはいるから)


 ジジジと、頭のなかに小さな言葉が送られる。メリアは研究者達には見られないように首を横に振った。


「…………そう」


 誤魔化すように、諦めたように呟く。瞬間、無数の銃声がメリアへ向けて重なり轟いた。


 華奢な身体が血飛沫をあげ骨肉がひしゃげるように吹き飛ばされ、何度もバウンドしていく。


 僅かな死前喘鳴を血の泡と共に吐き出しながら、メリアはゆっくりと立ち上がった。


 折れた骨、飛び散った肉片。明らかな致命傷さえ次の瞬間にはもう存在しない。傷は全て消える。


 代償として、ただ近くにいただけの怪物に無数の傷を生み出していった。まるでメリアの代わりに撃たれていくように無数の弾痕が刻まれていく。


 やがて呪いとも言うべき負荷に耐えきれずに彼のゼリー状の身体が弾け飛んだ。無数の目が転がっていく。


 ――不死の肉体。途方もない力を持った生物兵器の試作品。なぜそんなものに人間性をもたせた? なぜ死ぬためだけに造られた被検体と会話ができるようにした?


 涙は出なかった。もう何度繰り返されたかもわからない実験だったから。ただ求められるままに研究者たちを見上げ、乾き切った笑みを浮かべる。


『データの転送を完了しました。プロトコルを終了します』


「求められていた全てのデータの収集が終わったよ。メリア、君はこのプロジェクトの希望の光だった。これでようやく正規品の製造を行える。君は仕事を終えたんだ」


「仕事を終えたら……ワタシはどうなるのかしら? 幕が降りて自由になれるの?」


 答えなんて分かっていた。――ワタシはここから抜け出せない。製品になることはない。試作品(プロトアルファ)なのだから。


「メリア、君には長い苦しみを与えてしまっただろう。もうその必要はない。役目を終えたからには痛みなく眠らせよう」


 ――この地獄が終わる。望んでいたことだった。けどそれはワタシが築いた道の先にワタシの居場所があるならだ。プロジェクトを進行させて、そのゴールの先にワタシはいない。


「ワタシは……皆が見ている希望の光を見ることもできないのね」


 悟るように呟いて、彼らにそっと槍の穂先を向けた。彼らは慌てる様子もなかった。メリアの活動を止めるために体感時間の流れを何万倍にも遅くして、今まで通り沈静化を図るだけ。


 ――今まで通り? 違う。プロトタイプの役目はここまで。ワタシの努力は正規品様に取られて、ワタシは一生光を見ることもなく終わる? …………同じ光を見てると思っていたのに。ワタシは――生きたい。


 メリアは初めて彼らに逆らった。望まれていた沈静化に従わず、科学で説明できない力の流れを帯びて研ぎ澄ましていく。周囲を瞬く蝶達が強く光輝し続ける。


「……ワタシは自由になりたいわ? だって、そのためにずっと貴方達が見ていた希望の光をワタシも見ていたの。ワタシはもっと知りたい。自由になりたい。死にたくない……!」


 声は上手く届かないだろう。現実の時間と体感時間のひずみが言葉を伝えることも許さない。それでも、縛られていた怒りは届いている確信はあった。


 無数の警報が響き赤い光が明滅を繰り返すなか、研究者達が顔を歪め引き攣らせていく様をまじまじと見ることが出来た。


 清々することはない。ワタシは彼らの恐怖を望んだわけでもない。ただ――理解してほしかった。


 僅か数秒、しかし途方もなく間延びした時間のなか、メリアは生物兵器として、破壊の力を際限なく解き放ち続けた。


 真っ白な光が研究者達を、部屋を、天井を、施設を包み込む。停滞キューブ装置が負荷に耐えきれず破損し、引き伸ばされていた時間が伸び縮みしながら元に戻っていく。


 血肉を焼く熱。途方もない轟音と衝撃。崩壊し降り注ぐ瓦礫の山。無数の死が誰かに押し付けられていく。研究者、親しくしていた生物兵器。誰が生きて誰が死んだかもわからない。


 やがて頭上を覆う全ての物が消えた。


 身体に力が入らないまま、メリアは瓦礫の山に横たわる。


 研究施設の最下層、暗い地の底に初めて陽光が差し込めた。晴天は遥か遠く、降り注ぐ砂塵のなか滝のように水が流れ落ちていく。


 嗅いだこともない潮の匂いがした。


「…………」


 喋る言葉もわからなかった。縛り付けるものはなくなったはずだ。何もかもがぶっ壊れた。




 ――ワタシはこれで自由になれたの?




 自問自答。答えることもできずに長い間、陽の光を浴びて仰向けのままでいた。ひらりと、どこかから蝶が姿を見せた。光を帯びた翅で飛び立つこともなく、メリアの指に止まる。


 そして不死の代償を支払い、メリアの代わりに枯れ散って死んだ。

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