ルドヴィコ・アーヴェ
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
師匠の黒い背、レーヴェの長い後ろ髪を懐かしむように眺め、シルヴィの色鮮やかに揺れ靡く髪を忌々しげに睨む。
ルドヴィコは淡々と拳銃に弾を込め撃鉄を起こした。
――なぜ気づかない? こんなにも殺意を滲ませているというのに。
にわかに過る疑念。押し殺すように引き金を絞った。重い銃声が三発。ネオンも照らさない薄がりのなか轟く。
記憶に染み付いている見慣れた後ろ姿が、ビクンと。見たこともない跳ね方をした。僅かな鮮血が舞い上がり力なく倒れる。
シルヴィ・ラヴィソンだけは脚を狙い撃った。少女は声にならない苦痛の呻きをあげて地面に転がった。
「…………は?」
ルドヴィコは困惑し声を漏らした。慌てて駆け寄るがエストもレーヴェも動かない。――意味が分からなかった。目の前の状況を呑み込むほど理性が掻き乱される。胸の中がざわつき、息が狭くなっていく。
悪寒と共に心臓が痛むほど締め付けた。――自分で撃っておいて何故、慌てている? ――死んだ? 嘘だ。師匠がこんな簡単にくたばる訳がない。
「はは、……あり得ない。偽物だろう?」
そうだと願うように独り言をぼやいた。
段々と地べたに血溜まりが広がっていく。靴を濡らしていく。ジッと見下ろし、一歩たじろいだ。同時、耳障りな機械音と共に連絡が入る。
『こちらハートの8。六番街十二号の四にて標的を発見。銃殺しシルヴィ・ラヴィソンを保護しました』
ルドヴィコは眉間に皺を寄せると死体となったエストの武装を確認し、安堵の舌打ちをした。――よく似た缶人。殺さなくてもいい者を殺したらしい。
安堵が全身に広がり、ゆっくりと肩の力を解いたとき、遅れて湧き上がったのは怒りだった。脚を傷つけ逃げられないようにしておいたシルヴィ・ラヴィソンのまがい物へ切っ先を撫で下ろす。
研ぎ澄まされた斬撃の軌跡は柔らかな肌に傷痕さえ残さなかった。ほんの数滴、血の雫が飛び散っていく。
「……嗚呼、なぜだ!? 僕には何もしてくれなかったじゃあないか。こんな手段だけは取らないと思っていたのに。師匠が僕を想っていたら、こんな方法だけはしないだろう!? 冗談じゃない……!」
目の前の少女はシルヴィ・ラヴィソンではない。だが、もはや関係ない。ほんの十秒前まで全身を覆った不安、喪失感、安堵の全てが醜い嫉妬と怒りへと変わり、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も少女を斬りつけた。
「“今の”僕には何もしてくれなかったじゃあないか……。沈黙だけが師匠の愛情じゃないのかい? 殺し合ったときのあの感情こそ、最も尊いものじゃあないのかい!? どうして何も知らない、出会ったばかりの小娘のために!」
飄々とした語気が消えていく。ルドヴィコ・アーヴェでいることができなくなっていく。声は上擦り涙が滲んだ。――斬りつけるたびに突き刺すように胸の奥が痛む。
嗚呼、この少女に痛みはないだろう。一撃目で即死させた。無意味な残虐行為。止める者はもう誰もいなかった。
「……師匠。師匠は変わろうとしてるんですね? ……あんな少女のために」
【白影】の白い刃先を振るうたびに僅かな血の雫が伝い飛ぶ。息が果て、太刀筋が鈍る前に刀身を収めた。カチンと、鞘が音を立てると同時、つながっていた身体が地べたに崩れ落ちる。
数秒、瞬きもせず見下ろした。涙に潤んだ翡翠の双眸が乾き切っていく。
「――シルヴィ・ラヴィソン。キミが羨ましいよ。僕も缶人じゃあなければ、……キミのように師匠といられたのかい?」
喋らない偽物に問いかける。当然、答えは帰ってこなかった。醜い感情ばかりが湧き上がる一方で清々しさが頬を吊り上げる。――師匠はもう迷っちゃあいないだろう。可能な手段があればそれらを全て行使するだろう。
師匠が全てを見せてくれる。――剣を交えてくれる。
ならば躊躇う理由などなかった。いつまであるかも分からない寿命を対価に目となり耳となる異界の蟲を、【黄昏蜻蛉】の巡回範囲を街全体にまで広げた。脳に直接送られる多量の情報。輝かしい街の光と照らされることのない暗所。無数の偽物、歌姫の音楽。
――師匠、レーヴェ、シルヴィ・ラヴィソンの姿。
「嗚呼、すぐにまた会えますね。……師匠」
愛おしさに恍惚としながら装備の点検をしていく。――問題はない。
乱れた灰の髪を整えると、すぐに移動し始めた。
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