向き合うとき

 殺意が、緋色が、研ぎ澄まされていた何かが、完膚なきまで崩れ落ちていく。ガスマスクを手で覆ったまま弱々しく地団駄を踏み、嗚咽が溢れた。


「…………ダメだ。いますぐ、キャンセルすべきだ」


 掠れるような声でエストはぼやいた。ふらつきながら立ち上がろうとするが気力を失ったまま動けなかった。


「師匠。……前に店を利用して――――造ったんですか? …………ルドヴィコ・アーヴェを」


 エストは否定しなかった。沈黙の肯定を前に、レーヴェは確かに表情を引き攣らせた。それでも震える声で言葉を続けていく


「……違和感はなかったわけじゃないんです。師匠があるときからお酒を交わさなくなって、何も喋らなくなって……」


「…………その挙げ句、俺は今のルドヴィコ・アーヴェを本物として見ることができなかった。記憶を見た目を、人格を何もかもそのままにしたというのに。気持ち悪くなった。面と向き合うことができなくなった」


 開き直るように沈黙を途絶えさせた。自嘲混じりに、ガスマスクの奥底に隠した何かを、吐き捨てるように言葉にしていく。


「記憶に、思い出にしがみついた結果がこれだ。俺はどれだけのことをした? もう二度と死なないように、【緋色の剣】ですら仕留めきれない力を与え、殺し合っただけだ。……俺が死ぬべきだった。殺されるべきだった」


 声も、吐く息も、頭を抱え力む指さえもが震えていた。


「師匠、師匠と、……呼びかける声を無視し続けた」


「どうして――何も相談してくれなかったんですか……!? どうしてそんな大事なことを今更になって――!」


「……言える訳がないだろう。弟子が仕事で死んだから代わりの缶人を造りましたなんて、…………言える訳がないだろう。隠し通すつもりだった。死に場所にまで持っていくべきだった。……ハハ。嗚呼、ああああ……」


 シルヴィはジッとエストを見据え、静かに手を取った。指を交え、レンズに隠れ曇る双眸を覗き込む。


「キミを助けたのも……言っただろう。代替行為だ。キミが愛玩用の缶人だと思ったから胸糞が悪くなった。無視できなかった。……わかるか? ルドヴィコ・アーヴェに何も出来なかった代わりに、キミを助けたんだ」


 自嘲と嗚咽を呑み込むように壁に頭を持たれ掛かった。シルヴィは鋭く睨み据えた。牙を噛み締め、――今更になって距離を取ろうとするバカの顔を無理矢理掴んだ。目と鼻の距離にまで顔を近づける。


「知らない! どうでもいいそんなこと!! ルドヴィコを造った? 何も言わなかった!? 私からしたらそのおかげで助けられたの!!」


 赤いレンズの奥、エストの瞳が見開いているのが初めて見えた。クッキリと、目が目を覗いているのが分かって顔に熱が集まっていく。それでも勢いのまま言葉を上擦らせ、言い切るだけだった。


「できることをするんでしょ!? 立ちなさい!! 便利屋の仕事を、私の依頼を遂行して! レーヴェは……ルドヴィコとか、エストのこと……私よりずっと関係があるから許せないことだってあるかもしれない。けど、私は――」


 反論や余計な言葉を封殺するために、ガスマスクのフィルターフレームを、口がある部分を躊躇いなく噛みついた。――数秒、ギシギシと軋ませながら牙痕を残し、ゆっくりと口を離す。


「……うへぇ、苦い。なにで出来てるのそれ……金属みたいに硬いし」


 照れ隠しみたいにぼやいて、口元を拭う。前髪を掻いて分けた。ゆらりと、淡桃の髪が夜闇を照らすネオンに煌めく。


「私は――ルドヴィコのことが羨ましいぐらいなんにも知らないから。いくらでも肯定できる。してあげる。エストがエストの事をきらってダメダメのザコになるぐらいだったら私が肯定する。私が認める。私は……助けられたよ?」


 きっと慰めにもならない言葉。――何も知らないから幾らでも言える奴の言葉。エストはそう考えるかもしれない。私が本当に缶人だったら、もう少しだけ複雑な言葉もあったかもしれない。けど、けれど。


「一回や二回じゃない。何度も、助けられたの。命も、命以外も。だから私はエストがどんな奴でも信じてる。エストには、私を助けた事以外を後悔なんてしてほしくない。だって、ここまでできることをしてくれた。それに――」


 シルヴィは一呼吸を置いて、冷静になるように神妙にジトりとエストを見上げた。不満を訴えるように苦く微笑む。


「……はぁ。今のルドヴィコ・アーヴェはうざいくらいピンピンしてるでしょ。手遅れなんてこと無いと思うけどぉ? だからぁ……立て。立て♡」


 ニヘラァと、蠱惑的な笑みを浮かべた。こんな挑発を一蹴して、いつものエストに戻れるように、いつもの仮面を被り直す。


「それともこんな少女にぃイロイロされないと起きれない? カウントダウンしようかぁ? さーん! にー、いち。ぜろ♡ ぜろ♡ ぜろ♡ それともそこで座ったまま私がスカートひらひらするの見たい?」


 ミニスカートの裾をたくし上げる手を、エストは掴み妨げる。


「見たくない。やめろ」


 威圧的な声。エストは重い腰を上げて立ち上がった。レーヴェを一瞥し、俯くことなく視線を合わせる。


「…………身勝手な理由でキミを巻き込んだ。師匠であることを辞めた。……許してくれとは言えない。嗚呼、だが……すまなかった」


「わたしに……怒る権利はありません。根本的にはわたしもルドヴィコも、師匠に拾われたから長生きできました。なのに、あんな言い方をして……ごめんなさい。けど、わたしも……頼って欲しかった」


 レーヴェは潤んだ瞳を誤魔化すようにグシグシと服の袖で拭った。それからエストの真似をするように武器の整備確認をして、親指を突き上げる。


「……大丈夫です。行けます。だって今は頼って貰えてますから」


「すまない。協力してくれ」


 声に力が戻っていく。エストの視線を感じ、シルヴィはすぐにしたり顔を浮かべ、誇らしげに胸を張って見せた。


「アハ♡ デキることぉ……してくれる?」


「……嗚呼、やれることはしよう。もう後悔をしないために。……だが、シルヴィ・ラヴィソンを助けたことを後悔するのはもう不可能だろう」


 …………ボン! と。言葉を呑み込んだときには顔が真っ赤になって手が勝手に慌てふためいた。シルヴィは牙が浮くように恥じらいながら、隠しきれない邪悪な笑みが口角を吊り上げた。


「それってぇ? どういう意味ぃ? 私、ハッキリ言わないとわからない♡」


 エストは無視を貫いた。端末から陽動のルートを確認し、仕事を終わらせるために歩き始める。歌姫のライブ会場から距離が遠ざかるほど、光と喧騒が消え静寂と暗がりが街を覆っていた。


『ワタシは危うく、使い手を選び直すべきかと考えを巡らせるところでした』


 【緋色の剣】が呆れるようにぼやいた。エストは何も言わないまま、撫でるように柄を握り締めた。


『ですが分かっているでしょう。どれだけ戦力を分散させた所で、赤い糸で一度でも結ばれたなら、その出会いは、再開は、どこか因果的なものです』


「……後悔をするつもりはない」


 そう断言した。

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