純白に血は瞬き、至福の吐息は甘く濁る
「仕事を忘れたのか!? 彼女は殺すな!!」
「それは契約違反だ!」
ルドヴィコの連れていた便利屋と、数名のスマイルオフィサーが叫び、剣を振るわんとする腕を掴み止める。
僅かな隙。シルヴィはエストを突き飛ばし無理矢理距離を取らせた。エストは【緋色の剣】を地面に突き立てながら、倒れそうになる体に力を込め直す。
手で傷口を押さえた。血が止まる気配はなく、手袋、衣服を染めていく。ボタボタと足元に垂れ落ちた赤色が鉄臭さを漂わせる。
剣戟が途絶え、ルドヴィコとエストは睥睨を交えた。いまだレーヴェがハート共を散らし、カービンの銃声が轟き続けているというのに、張り詰めた緊張が静寂を錯覚させる。
便利屋とスマイルオフィサーが後ずさりながら腕を離す。肉眼はジッとエストを捉えたまま、赤い義眼だけがトドメの一撃を止めた奴らを睨み据えた。
「彼女は……なに?」
問いかけに便利屋は応えられない。視線を向けられ、スマイルオフィサーは満面の笑みに冷や汗を滲ませる。手術によって笑顔が張り付いていようとも恐怖を浮かべることはできた。
「彼女は傷つけてはならない存在です」
言葉に混じる畏敬。目の前にいるルドヴィコ以上の存在に怯えるように語気が僅かに震える。しかしその一文に動揺したのはルドヴィコでも彼の部下でもなく、シルヴィ本人だった。
「わ、私はなんなの? ……なんで私は傷ついたらいけないの?」
ドクン。ドクンと。心臓が打ち付けるたびに全身に巡る血の感覚を理解できる。キッと、強く地面を踏み締める足に一層力が籠る。
――こんなこと聞いてる場合じゃない。けどこいつらは私の何かを知っている。
「どうして私から薬ができるの? 私は本当に――愛玩用に造られた可哀想なヴィヴィなの? 本当に、弱い体を補助するための薬だったの?」
シルヴィはエストを庇うように前に出た。長く伸びていた髪が風もなく悠然と靡く。
――たとえば自分が愛玩用として造られた生き物で。弱っちくて、背も小さくて。何も優れたことがないんだとして。
そんな生き物に対して皆、赤ん坊でも見るみたいに笑顔を浮かべる。哀れみですらない。
けどここにいる誰も、同情の笑みを浮かべたりなんてしない。無数の張り付いた笑みが怪物でも見るかのようにジッと見据えるだけ。
――自分が自分じゃないみたい。答え合わせみたいに解体屋の言葉が脳裏に過ぎる。『同胞の匂いがする』。『同じ仲間』。『貴方のような種族』。あのときは、理解しないようにしていた。する余裕もなかった。
「私は……なに?」
無数の眼差しと気配が全身を撫で刺し続けている。鼻腔を血の臭いが満たし続けている。視界は鮮明で、色彩を変え続ける自分の髪が光の束のように蛍光しているのが理解できた。
漠然と。そうするべきだと思い出すみたいに頬が吊り上がる。牙が伸びる。
「……嗚呼、師匠。彼女は僕よりも危険じゃあないか。これは、この怪物は師匠の隣にいるべきじゃあないだろう……!?」
白い刃が腕を押さえていた邪魔者を横薙いだ。真っ二つに寸断された二人の肉体が無数の羽根を散らし消えると、無傷の姿でルドヴィコから距離を取る。
――手品? 違う。あの便利屋が持つ異界道具の力だ。科学では証明できない歪み、魔力とでも形容しうる力の流れが目視できた。
「……思い出してきたわ?」
薬で押さえつけられていた力。本能にも近い記憶が長い微睡みから目を覚まそうとしている。――異界道具の持つ異常な力。異なる世界からもたらされた特異点。それが全身を巡っている。
「私にはちからがあるんだ。弱くて可哀想なヴィヴィじゃない……!」
声は自分のものではないかのように幾重にも重なり透き通って聞こえる。
……銃声が止んだ。レーヴェもハート共も皆動きを止め、魅入られるようにシルヴィを見上げる。
「ルドヴィコ、一度退くべきだ。得体が知れない」
便利屋の一人が警告したがルドヴィコは首を横に振って一蹴した。険しく眦を決して笑みを強張らせる。【白影】を握る義手が軋む。
「なら、なおさら師匠の隣に置いておけないだろう……? 僕の座るべきだった椅子にさぁ…………! 怪物がいるなんて許せないじゃないか。回収して、エスコエンドルフィア製薬との仕事を完遂すればいい」
純白の刃をゆらりと構える。脱力し、次の刹那。舗装された地面を蹴り砕いた。白い残像を描いて振り薙ぐ幻覚(フェイク)の斬撃。少女の華奢な肉体へ強く踏み込み、不可視の一撃を斬り下ろす。
シルヴィは緋色の双眸を大きく見開いたまま悠然と微笑んだ。
見えずとも理解できる凄烈なまでに研ぎ澄まされた一閃。エストの振るう斬撃と同じ美しさと鋭さ。
――見惚れてしまうほどおぞましくて。遠い存在だったはずなのに。……今は酷く冷めきった感傷だけが胸を締め付けた。
「幸福に支配され続ける愚かな劣等種族の癖に」
――私の言葉じゃないみたいだ。喜ばれようと、苦痛を押し殺そうと、体を交えるときだけは対等でいられるんだと思い込むために作られた人格とは正反対に高圧的で、何もかも見下したみたいな嘲り声。
斬撃が皮膚を頭蓋を両断することはなかった。切っ先よりも僅かに身を退いて、ハグするみたいにルドヴィコを抱き締めた。腕を背に回し爪を肉へ突き刺す。
「……ッ」
舌打ちにもならない詰まった吐息。抱擁を振り解こうとするルドヴィコへ。その首筋に牙をあてがい、シルヴィは無遠慮に噛みついた。
食い千切らず、抉らずただ血を絞るように咀嚼して啜る。唾液を傷口へ混ぜ舐る。
――解放してあげた。ゆっくりと手放すとルドヴィコはよろけながら距離を取る。翠の瞳を濁らせながら、未だ鋭さを保つ殺意が肌を撫で刺す。
「……牙の使い方を思い出したの。私は、……ううん。我々はこうして血を啜るんだ。代わりに、幸福(しあわ)せになれただろう?」
口元を拭った。鼻腔を刺激し続けていた乾きが満たされたような実感がある。いまだ舌に残る血と幸福剤そのものとも言える体液を絡めて、ゴクリと。シルヴィは恍惚として呑み込んだ。
「……思い出したよ。我々の機能なんだ。幸せにすることも、治してあげることも」
甘美な吐息が、あぁと。自嘲と共に零れる。
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