便利屋のルール

「シルヴィ、レーヴェ。後ろを頼めるか?」


 レーヴェは即答するように頷くと身を屈め疾駆した。一瞬で壁を蹴り走ると敵がカービンライフルの照準を向けるよりも速く肉薄し、剣の間合いへと追い込む。


 無数の銃撃をいなした。誤射を誘発するように敵の懐へと潜り込むと躊躇なく斬り伏せる。薙ぎ払う。


「自衛だけに専念させるんじゃなかったのぉ?」


「……頼めるか?」


 その言葉は煮えるような本能以上にシルヴィの胸を打ち鳴らした。牙を見せ、目を爛々と輝かせて強く頷く。


「こんな女の子に背中を預けてぇ……頼まれた♡」


 狙い澄ます所作もなく無造作に拳銃を鳴らす。一発、二発、三発。レーヴェへ照準を向けるハート共のピンク色のゴーグルごと脳天を撃ち抜いた。


「僕がいたときよりも随分丸くなったようですね……! 師匠ッ!!」


 頬を吊り上げ、義体を軋ませながらルドヴィコは強く踏み込む。純白の刃が振るわれ音を超えて白い軌跡が宙を描いた。


「お前は口数が増えたな」


 斬撃に対して斬撃が交える。熱を帯びた剣戟が純白の軌跡を打ち流し、がら空きになった腹部を蹴り込んだ。


 抉るような打突を受けルドヴィコは咄嗟に距離を取り態勢を取り直す。ジッとエストを睥睨し、失望するように長く深い嘆息を零した。


「何故、攻撃を仕掛けて来ないのですか? 僕がよろめいたとき、師匠はいくらでも追撃できたじゃあないかぁ……! グレネードも、ナイフも! 懐に隠しているのに……何故、本気を出してくれないんですか?」


 ルドヴィコは怒りの滲んだ言葉を吐き捨て【白影】を振るい薙ぐ。エストは黙り込んで何も答えなかった。緋と白の斬撃が連続して交錯し金属音を打ち鳴らす。


 剣と剣の輪舞に混じる蹴り。……エストは攻めきれずにいた。シルヴィにさえ見せた銃や糸を用いることができない。捨てきったはずの感傷が足を引きずり続ける。


 ――――やはり、便利屋は孤独であるべきだ。己に課したルールを破り、それが今になって牙を向いている。


「え、エスト……! 大丈夫なわけぇ? こんな私ですら頑張ってるのにエストがざこざこ敗北したら私行く宛てもないんだけどッ……!」


 シルヴィは遮蔽に身を隠し銃撃を続けながらエストを流し見る。


 緋色の斬撃に滲む鋭さが、魅入られるぐらい美しい軌跡が鈍っているように感じて、もどかしくて牙を軋ませた。


「やはり甘くなりましたね。僕の腕を、【緋色の剣】で斬ったときの貴方は師匠どこに行っただい? 酒棚にあったワインもどきのジュースもそうさ……。師匠はこんな甘くなかった……! 弱くなかったはずじゃあないかぁ……!」


 ルドヴィコの描く純白の斬閃を【緋色の剣】で斬り払おうとする刹那、直感にも等しい違和感がエストへ警鐘を鳴らした。いなす所作を直前で止め、咄嗟に間合いから距離を取る。


「ッ……異界道具の効力か」


 受け止めようとしたはずの剣の切っ先は体をすり抜け、何もなかったはずの場所が僅かに皮膚を掠めた。防刃の金属繊維服に切れ目と、肩に刺すような痛みが走る。


 不可視の斬撃と残像(フェイク)。今のエストを追い込むには充分だった。斬り合い、振るわれる白い円弧。


 風を切る衝撃音と空気の振動を感じ取って上体を反らす。残像を無視して不可視の刃を避け続ける。


 後手に回っていた。実戦経験。直感。用いる道具の種類。手段。全てを上回ってなお、躊躇と後悔が足を引きずる。


「言われた通りかもしれない。……俺は誰かを助けるべきではなかった。こうして後悔する可能性を考慮しながら――」


 ――自分とルドヴィコだけであればここまで感傷も生まれなかっただろうか。余計な小娘が目の前の敵が敵出なかった時と似ているように思えて、無駄な思考が巡る。


「僕は師匠の全てが見たいんだ。【緋刃】、僕の師匠……。都市を支配する企業さえ恐れる便利屋。表情を隠し続けて、何も明かしてくれなかった大切な人ッ!!」


 掠めてすらいない舗装路が無数の刀風によって深い傷跡を刻まれる。斬撃の渦は加速を続ける。刃が何度も打ち合い、激しい音をかき鳴らして火花を散らす。


 【白影】の一撃は致命傷には至らない。だが、【緋色の剣】は斬らなければ消えない炎を灯すことさえない。


 ――これ以上は劣勢になる。死にかねない傷になる。


「…………っ」


 刃が鍔ぜり合うと同時、強く踏み切ってルドヴィコを突き飛ばす。手榴弾のピンを引き抜き投げた。


 ルドヴィコは投じられた擲弾を躊躇うことなく義手で鷲掴んだ。自爆を恐れることさえなくそのままエストへ距離を詰め刃を振り下ろす。


「師匠。嗚呼、残念だなぁ……。本当に悲しいんだ僕はさぁ…………。今更こんな玩具を使うなんて」


 義手に握られたそれが音を裂いて爆ぜた。非殺傷の散弾が飛び散るがルドヴィコは微動だにしない。


 ――振り下ろされた純白の一撃を受け止めるが。斬撃はしなるように切り返す。斬撃を避けようと身体を動かした刹那、白い切っ先が空気を貫いて投げ放たれた。


「………………ッ」


 斬り合いに用い、身を護る武器でもあった異界道具の投棄。空振れは致命的な隙となる行動。――戦闘に時間を掛けるなら危険を冒してでも不意を突け。……そう教えたのは自分だ。


 ルドヴィコは教えた技術に従ったに過ぎない。便利屋のルールを守らなかったのは――――。


「今更になって僕に躊躇ったのは何故なんだい……? 僕が想いを伝えたときは、何も答えてくれなかったのにさぁ……!」


 刃が利き腕を貫いていた。肩に掛けての出血。……あまりに多い。主要な血管を傷つけ、久々に激痛が巡った。熱を帯びた鉄の臭いが衣服を、体を濡らしていく。


「…………後悔をし続けていた。レーヴェ、ルドヴィコ、シルヴィ。名前を憶えてしまったこと。助けたこと。答えることができなかった。時間が重なり、思い出が出来るほど恐ろしくなった」


 白い刃が引き抜ける。塞がれていた傷から大量の血が勢いと共に流れ出る。淡々とガスマスクの奥から紡がれた言葉に、ルドヴィコは頬を紅潮させて、嬉しいような悲しいような。造り笑顔を浮かべた。


「嗚呼、……ありがとう。師匠」


 感謝の言葉が呟かれ、――すぐに剣が振るわれる。レーヴェは間に合わない。私が行くしかない。あのおぞましくて、綺麗で……鋭い斬撃の目の前に。


 シルヴィは牙を軋ませた。血走るように双眸は見開いて勢いのまま地面を蹴る。拳銃をかなぐり捨ててでも疾駆した。


「殺さないで!!」


 叫んだ。みっともなく震える脚で咄嗟にエストの前に立ち塞がる。――でも知っている。見たことがあるもの。こいつは……ルドヴィコは。


 白い斬撃を止めようとはしなかった。死が眼前に迫る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る