ルドヴィコの影
「……」
エストは気難しそうに黙り込むと自身の装備を点検し始める。……こうなったら作業が終わるかイレギュラーなことが起きるまで話しかけてもスンとも言わない。
――知らないフリをするならそれでもいい。なら今のうちにレーヴェに聞きづらいことを聞けばいいんだから。
「ねぇ、さっき言ってたルドヴィコってどんな人なの?」
名前を聞いたのは初めてじゃない。……パパを一瞬で斬り殺した奴が、メガハートポリスの奴らにそう呼ばれていたのを覚えている。純白の斬撃……色は正反対だけど、背筋が凍るような鋭さはエストの剣術に似ていた。
「……言っていいの?」
レーヴェは悩むようにエストを数度一瞥した。ガスマスクに隠れた表情、張り付くような空気が沈黙のまま不快感を滲ませるが、止めようとはしなかった。
「あいつは……ルドヴィコのことはどこから説明したらいいのかしら。見た目とか?」
「性別とエストとの関係」
考えるよりも先に言葉が出た。だってムカついていたから。そいつの所為でエストが感傷を持たないようにしているような、無理をしているような。……よくわかんないけど。
「性別はわかんない。教えてくれなかった。声も見た目も中性的っていうか。肌を晒すようなとこも見たことないし……」
見た目を思い出そうとしたものの、シルヴィの記憶に残っていたのはあの鋭利な斬撃と義手。顔の一部を覆った義体ぐらいだった。
「あいつも私も元々は違う街のスラムにいたコソドロで、【緋色の剣】をパクって金にしようとして捕まったの」
「よく殺されなかったね」
何も考えずに冗談を口にすると刺すような気配が背を撫で反らす。シルヴィはびくりと跳ねて牙を軋ませると、お返しとばかりにエストを睥睨した。大きな瞳が淡く光を灯す。
「なぁにぃ? 口で言わないとわかりませーん。お・く・ち。それじゃあキスもできないよぉ? 喋らな過ぎて舌たらずになって恥ずかしくなっちゃうよ? 舌で紐結べない♡」
レーヴェが僅かに頬を引き攣らせながら舌を小さく伸ばして指を差す。何も言わずに、シルヴィはこくこくと頷くと呼応するようにレーヴェは顔を赤らめた。咳払いして話を振り戻す。
「師匠が誰かと関わらないようにしたがったり、感傷を持たないようにしてるのは元々なんだよ? 私達も念押しみたいにそれを言われた。……ルドヴィコはそれが我慢できなかったの」
呆れるような悲しむような、影の覆った表情でレーヴェは唇を強く噛む。エストは黙々と装備の点検を続けていた。
「あいつは……師匠が好きだったの。冗談みたいでしょ」
レーヴェは悪戯っぽく微笑んでみせる。隠しようのない寂しさに、シルヴィは視線を外した。
「肯定するつもりはないよ? その所為で私は酷い目にあったし。ただ――」
「…………答えてやれなかっただけだ。どう対処すればいいか分からなかった。ほんの少しでも認めるべきだったのだろうか。信じるべきだったのか。隣に立たせるべきだったのか。……わからない。もうどうにもならない。全て俺が作りだしたケリをつけるべき事だ」
決して大きな声ではなかった。ガスマスクから掠れるように響いた重い声が静寂を作り出す。長い沈黙をおいたが、それ以上エストは喋ろうとしなかった。
「けど、あいつの考えてることなんてわかんないよ。好きって言って、愛してるって言って、師匠を殺そうとした。変わっちゃいない。あいつはまだ、そんな戯言をほざいたの。分かるのはそれだけ。……それだけだよ」
シルヴィは聞いたことを後悔しようとは思わなかった。なんて、言葉を返せばいいかはわからなかったものの、ただ一つ。明確な感情が湧き上がる。
「……エストもレーヴェも。まだルドヴィコってやつのことを嫌いになれないからそうやって後悔してるんだ。私は違うよ。知らないし、パパを殺したこと自体に怒りがあるわけでもないし。だからね……?」
――どんな表情をすればいいんだろう。仮面(メスガキ)のときはいつも勝手に言葉が出るのに今ばかりは思考が巡る。悩んで、嘲った。軽蔑されるような邪気を含んだ笑みを浮かべ頬を吊り上げる。
「だから、私が嫌いになってあげる。……って言っても。あれに襲われたら勝ち目なんて無さそうだけどさ。けど、私なら抵抗も罪悪感もないよ」
――うわぁ。酷いこと言ってるなぁ。なんて、客観的に思うと嫌な汗が滲んだ。
黒いモヤモヤ。怒りとか、許せないって気持ちより、込み上げているのは……嫉妬だ。煮詰まったような感情を吐き出したくて窓を開けようとしたとき、不意にエストは立ち上がった。
「……窓に近づくな!」
力強く肩を掴まれ床に叩きつけられる。次の瞬間、耳を劈く鋭い音と共に窓ガラスが粉々に砕け散った。散らばる破片を庇うようにエストは外套でシルヴィを覆う。
『ワタシを使って暴れ過ぎましたね』
「お前の力を尾けられたか」
ピョコリと。気配を感じ取るようにシルヴィの髪の毛が立った。最初にいた数名のハート共とはくらべものにならない数の敵。それに――。
「……その、ルドヴィコって人。多分いるよ」
エストに似た鋭さ。似ても似つかない巨大な感情のようなものを直感で感じ取る。戦闘は避けようがない。そう確信したとき、薬で抑えていた何かが吹っ切れるようにシルヴィは強く短刀を握り締めた。
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