訳ありほど秘密が多くボロが出る
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
意識が微睡むのを実感して、エストは咄嗟に体を起こした。
――まずい。寝てしまっていた。あの子はどこだ?
狭い車内に差し込める陽光。慌てるように周囲を確認して、部屋の違和感に思考が固まった。時間がなくて放置していたゴミや、部屋の隅に溜まっていた埃が無くなっている。
「……片付けたのか。余計なことをさせたな」
エストなりの感謝の言葉だったが威圧的で感情は籠らない。
シルヴィはびくりと縮こめると、言い訳を考えるように手を泳がせた。ぶんぶんと、長い髪が色を変えながら乱れる。薄紫に煌めいていた。
「だってぇ。部屋汚すぎて見てられない! 忙しくて手もつけられなかったの? あ、安心してね。大切そうなものは動かしたりしてないよぉ。えっちな本はぁなかったねぇ? だからゴミ纏めて、服畳んだ。それだけ。へへ、感謝してね♪」
取り繕うように始まった言葉は最終的に自信満々なしたり顔に収まった。小さな牙が垣間見える。ジッと反応を窺うようにエストを見詰めていた。
「…………」
エストは返す言葉も思い浮かばないので黙り込む。ガスマスク越しの重たい威圧感が緊張を張り詰めさせていた。
「えっと、その……雑魚の餌も本当は用意したかったけど。冷蔵庫空っぽだし、食べ物、レーションしかなかったから、ご飯は用意できなかった。ごめん」
「問題ない。それしか食べる気がしない。嗚呼、だがキミ用の物は買ってもいいか……。武器も一人分しかない。準備しろ。買いに行く」
「いいの? 私のためにご苦労様ぁ」
シルヴィは声を鳴らし、飛び跳ねるように立ち上がった。乱れた髪を整えて、そそくさと服の皺を伸ばす。短いスカートがふわりと舞った。
「離れるな。キミはいささか不用心だ。それに缶人は高く売れる。その遺伝子情報、女という性別、血肉も。余すところはないだろう」
エストは考え無しに手を掴んだ。シルヴィは不意を突かれたように少女めいた声を漏らして、赤らんだ頬を誤魔化すように一層メスガキの仮面で自身を覆う。恍惚と微笑んだ。
「ゃん! 積極的なのは好きかなーぁ……。こんな手、ぎゅってされちゃったらぁ、今度忙しくて手が離せないときに大変だよぉ?」
――何言ってるんだろう。
自分でも意味を理解できないまま、シルヴィは慌てるようにトレーラーハウスから外に出た。エストは抵抗なく引っ張られていく。
「外出たの今日が初めて。えへ、初めてだよぉ? 逃げるとき、色んなところ見てたけど、凄く気になってるところが沢山あるの」
「…………ろくなものはないぞ」
淀んだ空の下、狭い路地を通り抜けて雑然としたビル街を進んでいく。道の隅に重なるゴミの山。使用済みの注射器、転がる薬品の瓶。
「ゴミ、多いね」
「嗚呼、ほとんどが薬物中毒者だ。エスコエンドルフィア製薬の麻薬に取りつかれて、死ぬまで異常に気付かない。企業はそうして街を支配したからな」
ゴミの定義がズレていることに二人とも気づかなかった。
「うっわぁ……見て。あのお店凄いねぇ。ねぇ、あれって雑魚達が死んだらああなっちゃうの? 射殺された人とか、パパみたいに斬り殺された人とか。あそこに行くの?」
シルヴィは唾液を呑み込んだ。店のショーウィンドウに着いた血の痕。二人の男が店番をしてビデオカメラを確認しながらニヤニヤと下衆な笑みを浮かべている。
説明されずとも理解できる死の臭いに、なぜか恐怖よりも好奇心に誘われた。
「解体屋(ブッチャー)が狩るのはキミみたいな子だけだ。肉の卸売りは副業、映像販売が本業だ。目を合わせるな。標的にされるぞ」
「キミみたいな子ってぇ、可愛い子って意味?」
シルヴィは癖で自信満々にあざとく笑う。上目遣いで見つめて、ふんと鼻息を立てた。エストの反応は散々で、訳が分からないように首を傾げた。
「抵抗手段がなくて肉が柔らかい奴という意味だ。包丁が入れやすい」
――注意を促したいだけだったが。脅しのようになってしまった。彼女の見た目が整っているのは事実だ。認めてあげるべきだっただろうか。
言葉に出せばいいものを、エストは考えを押し留めた。
「じゃあ、じゃぁ……守ってねぇ?」
「手は出させない。それについては安心していい」
目も向けず発せられた言葉。シルヴィは参ったように顔を俯けた。エストは気づく気配もない。
「着いたぞ。この店は商品についてだけは信用できる」
ズカズカと地下階段を下りて薄暗い店内に入っていく。火花を散らすネオンが『レーヴェの雑 店』などと描いていた。文字抜けがある。
点滅する蛍光灯に照らされた銃火器、防弾服、レーション類や雑貨品。雑然としていたが品揃えは確かだった。
カウンターの奥、気だるそうに女性が顔を上げる。長く乱れた黒髪。重たそうにテーブルに押し付けられた胸。
「あれ? エストくんどうしたのその子? 誘拐? 人身売買? 買い取ってほしいなら下の部屋で検査回すけど」
「売り物ではない。その辺で拾った……なんだったか。クソガキだ」
「メスガキなんですけどぉ?」
「見ての通りだ。面倒なのを拾ってしまった」
シルヴィの主張を一蹴し、手持無沙汰な手でわしゃわしゃと薄桃色の髪を撫でる。自覚はなかった。
「私があれこれとアプローチしても無駄だったのにそんな子をねぇ……」
店主は妖艶な笑みを浮かべてエストに歩み寄る。高い背、大人びた身体。シルヴィは何げなく見上げて、額に苛立ちが募る。……纏う雰囲気、体格。なにもかも羨ましかった。
「どうしたの? お嬢ちゃん。レーヴェお姉さんに惚れちゃったぁ?」
店主はからかうようにしゃがみ込んでシルヴィを一瞥する。――したり顔。彼女は向けられた視線の意味を理解していた。
「どれだけ綺麗でスタイルが良くたってエストに見向きもされなかったんでしょ?」
突き刺す言葉の刃。素だった。
「ロリコンだって知ってたら胸そぎ落としてたわよ! 自分の!」
「……話を進めるな。ロリコンではない。そういう関係でもない。ただ武具と、食料を買いたい」
咄嗟に二人の間に割って入った。便利屋としての自戒が何もかも破壊されている。不要な関係を作らない。関わらない。喋らない。
「…………どうして、こんなことになったんだ」
『余計な共感を捨てきれなかったからです。エスト様』
透き通った無機質な声が、エストの腰に吊るされた鞘の中から響く。店内は一瞬で静寂に包まれ、エストは躾けるように柄を力強く握り締めた。
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