21作品目「虹をかけるベネツィア」
連坂唯音
虹をかけるベネツィア
17世紀、ベネツィア共和国。イタリア半島の西に位置するその国は「アドリア海の女王」「水の都」と呼ばれている。そして世界で唯一の、「虹」をつくることができる仮面舞踏会がその国にあった。
「ゴンドラ」と呼ばれる少人数乗りの木造船が運河を進む。運河の両端には白レンガの建物が密接して並んでいる。雲一つない青空が赤レンガの屋根を鮮明に際立たせていた。
幅五十メートルもある運河を商人や貴族を載せたいくつものゴンドラが往来する。
それらの一つに、パスタ・パスはいた。
彼は傘を両手で抱える格好で、ベネツィアの景観を楽しんでいた。目の前の船頭がこちらへ上半身を向ける。
「あんたなぜ傘を持っているんだい? こんなに今日は快晴というのに。あんたの目的地となにか関係でも?」
パスタは街並みに目を向けながらほほえんだ。
「この傘は目的地に大いに関係しておりますよ。なにせ仮面舞踏会を鑑賞すると、客は濡れた状態で帰宅せねばならないらしいですから。屋内の催しのはずなのに、なぜなんでしょうかね。あなたは何かそのことでご存知?」
パスタは傘を開閉した。船頭は全身をこちらへ向ける。
「お、あんた仮面舞踏会を見に行くのかい。濡れるのは、演出だろう。この国の舞踏会は他の国の舞踏会とは比較にならないほどの派手な演出をするんだ。まあ、参加するには料金が入場料が高すぎて、私は行ったことがないから見たことないがね」
「演出の一環。きっとそうでしょうね。あと、虹を作り出す演出もあるとか」
そう訊いたパスタに船頭が鼻でわらう。
「あれは演出じゃあない、魔法だよ。屋内に虹を魔法で生み出すんだぜ。どこの国でも虹を作り出せるやつなんていない」
「たしかに。虹は自然現象ですものね。自然が作り出す芸術品を人の力で生み出すのは不可能です。しかし、仮面舞踏会が魔法をつかうというのはいささか信じられないことです」
船頭が口を大きく開けて笑う。
「はっ。あんた面白い人だな。虹が作り出される原理なんて誰も知らねえじゃねえか。だとしたら魔法しかねえだろ。あんた魔法が嫌いそうだが、学者か?」
ゴンドラが桟橋に到着する。パスタは立ち上がった。
「僕は物理学者だ。虹の研究をしている。とある国から派遣されたんだよ。虹を作り出す方法を暴いてこいと。依頼する理由は金儲けのためだろうが、僕は好奇心で調査をすることにしたんだ」
パスタが顔をあげると、シャンデリアの光が視界のほとんどを埋めていた。天井一面にルネサンス絵画が広がり、シャンデリアは天井や壁を照らして壁画を強調している。
仮面舞踏会が間もなく始まる。貴婦人たちが白い丸テーブルについて、ワインを片手に談笑していた。二階席には、上流階級らしい恰好をした男たちが暗がりに座っている。
カーニバル音楽が流れだす。パスタは会場の奥へ進む。
会場の奥にはテーブルや装飾物がいっさいないスペースがあった。来賓の隙間をぬって、仮面をつけたダンサーが現れる。あっという間にダンサーでその空間は埋め尽くされた。
パスタは再び天井をみる。虹をつくりだす装置が天井のどこかにあるはずだ。虹の発生条件はわかっている。水と光だ。空に虹ができるときは、雨上がりに太陽が差し込むとき。つまり、空気中に浮かぶ水しぶきに太陽光のような強い光が当たると虹がうまれる。しかし、虹の色がなぜそれで発生するのかが未だ解明されていないのだ。多くの学者が虹をつくりだそうと水しぶきに光をあてる実験を試みているものの、確実に虹を作り出すことに成功した例はない。
パスタは額に水滴が触れるの感じた。どこからか水を噴射しているのだ。あたりを見回す。
いた。二階席にホースのようなものから霧状の水が吹き出ている。ホースの後ろの方で屈強な男が暗闇にいるのが見えた。男は必死に空気入れ用のピストンを動かしているようだ。空気の圧力を利用して、海水を噴霧している。
霧状となった海水は、空中をゆっくりと舞い降りる。シャンデリアのそばを通過する。パスタは目をこらす。虹の発生条件に近い。強い光と水しぶき。その二つが揃えば虹は現れるはず。しかし、いくら待っても虹は見えない。
後ろにいた貴婦人たちが甲高い声をだす。
「ねえ、みてみてみてみて! 虹よ! きゃーっ、ほんとに室内に虹が!」
パスタは視線をさげる。虹がダンサーたちの上にかかっていた。
「まさか」
パスタはつぶやく。
「まさか………。………わかったぞ………」
パスタは少し後ろに下がった。すると虹の色が強まった。はっきりと色のグラデーションがみえる。パスタは走り出す。ダンサーたちからどんどん離れる。壁際までくると、何重にも重なった虹が会場を占めていた。
「そういうことだったのか………」
横をたまたま通り過ぎた、護衛にパスタは近寄った。
「ねえ、虹の発生方法がわかりましたよ。この仮面舞踏会のオーナーは虹の発生原理をやはり知っていて、類を見ない演出ができたわけですね。金儲けのために物理法則を世界に教えないとは、たいしたことですよ」
守衛は首をかしげる。
「ふふ。虹は発生させるものじゃなかったんですね。虹色をみるための角度が必要だったのですね。いままでまったく気づきませんでした。私はてっきり、水しぶきを強い光源に降らせることで虹がみえるようになると思っていました。しかし、虹をみるためには、どうやら光源からできるだけ離れた位置でないと見えないようですね。虹は発生しているのに、その虹色が僕ら学者は見ることができなかったんだ。光の屈折によって虹色に見えるということですね」
守衛はパスタの話を聞き入っているようだった。明らかに動揺している。
「つまり、自然界の虹は太陽の反対側に必ず発生するということですね。これは国へ帰ったらすぐにでも検証する必要がありますね。とにかく、虹は発生する方法ではなく、虹を見る角度を探す方法をあなたたちは知っていたというわけですか。観客の立ち位置から虹が見えるように、シャンデリアの位置取り、ホースの噴出向きを計算していたわけですね。勉強になりました。もうこれからは、世界で虹がいつでも見れる時代になりそうですね」
パスタはゴンドラを呼んで、運河をもと来た方へ戻っていった。行きの船頭と同じ船頭がゴンドラを操作していた。
「物理学者さんよ。虹をつくりだす魔法は見れたかい? 科学には到達できない領域だよ」
「たしかに。魔法でしたよ。でもその魔法僕も使えるようになりましたよ。ほら」
パスタは胸から火起こし用の送風機をとりだした。両手で挟むと空気がでるアイテムだ。それに運河の水を入れて、空へ噴射した。すると、虹色の橋がゴンドラの上にかかった。船頭はオールを落としてそのまま硬直した。
パスタは街並みをみながら言った。
「ほらね」
21作品目「虹をかけるベネツィア」 連坂唯音 @renzaka2023yuine
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます