それぞれの思い~本編第227話~

 ラドクリフ領の歴史を知りたいと言ったハク様。

 グリちゃんたちと一緒に私とビラビさんも、バートンさんの授業を聞く。

 とはいえ、従士見習いの四人も参加するとのことなので、我々精霊は姿を隠し、部屋の後ろで隠れて聞いていた。


 お話が終わったころ、静かだったハク様が、声も出さずに大粒の涙をボロボロとこぼしていた。

 あんな泣き方をするお子様ではなかったから、バートンさんやアルシェリード様は大変驚いていたけれど、ハク様とつながっている私たちには、ハク様の心の内が伝わっていた。

 

 ハク様の中で、小さな決意が生まれた。

 心が成長する瞬間を目の当たりにした。

 

 バートンさんがハンカチでそっと涙をぬぐってあげていたけれど、ハク様の涙は止まらなかった。

 いつもならすぐに慰めに行くグリちゃんたちも、涙を堪えながらジッと動かなかった。

 それは見習い従士がいるからではない。

 彼らもハク様と一緒に、成長しようとしているからだ。

 少しずつ、ハク様の世界が、姿を、色を変えていく。


 どんなときでも、我々精霊は、主の側に寄り添い支えるもの。


 我々は、あなたとともに生きてゆく。



 *****



「ハク坊ちゃまが、声出さずにお泣きになる姿に、ひどく胸を打たれました」

「そうか……」

 バートンの報告を聞いたあと、私は静かに目を閉じた。

 人よりも小さく生まれ、魔力過多症で長くは生きられないと言われたハク。

 できるだけ、穏やかに生きて欲しいて願って、ずいぶんと甘やかして育ててきたけれど、子どもは知らずに成長していくのだな……。


「坊ちゃまは、旦那様の思いを理解し、己と向き合われたのでございましょう。とても澄んだ、真っ直ぐな眼差しをしておいででした」

 とても美しい涙でございました、バートンの言葉が耳に残った。


 ずっと真綿に包んで大切に隠しておきたいものが、私の手から巣立つ準備を始めてしまった。

 レンもリオルもハクも、いつまでも子どものままではいてくれない。


 ああ、私の方がずっと子離れできていないではないか!

 今の私を見たら、君はきっと笑うだろうな。


『レイナードは泣き虫ね』


 愛しいあの人の懐かしい声が、どこか遠くで聞こえた気がした。



 *****



 小さくてかわいいハク坊やが、真剣な顔つきで私に師事を乞うてきたときは、心底驚いた。

 甘えん坊で、ありとある不幸を知らないような子どもが、自分の脚で歩き始めた瞬間だった。


 人の子の成長は早いね。


 この子は自分の身体の不利を知って、自分にもできる技術を得ようとしている。

 確かにポーションを作る薬師になれば、一生食うには困らない。

 植物栽培スキルを活かせば、薬草を採取に行く手間も必要ない。


 そして何より、ハク坊やがいれば、ラドクリフ領は疫病を恐れる心配がない。

 あまたの精霊たちに守られた大地で育まれる野菜や穀物を食し、魔素の濃い水を飲むこの村の人々は、もうとっくにその恩恵を受けているのだ。

 ハク坊やはまだ、そのことに気づいていない。


 なおもまだ、村のために、愛する家族のために尽くそうとしている。

 そしてその家族もまた、必死にハク坊やを守ることを模索している。

 

 私たちはこの子の幸せのために、この子を隠しておこうとしている。

 それは世界にとっては大きな損失だろう。

 けれどこの小さな領が、あの小さき精霊王の世界のすべてなのだ。

 ここで家族と、ただ幸せに笑って過ごしていけばいい。


 ただそれだけでいい。


 そうして、いつかだれかの時間が止まるとき、この子が強く生きていけるように。

 私たちは何を残してやれるだろうか。

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