リリーの独り言

 バルジーク王国の最果ての地と呼ばれる、ラドクリフ領のルーク村に来て、もうすぐ六年の歳月が過ぎようとしています。


 夫のビクターは故郷に帰るとき、申し訳なさそうにしていたけれど、家族が離れて暮らすなんて悲しいことはないと思い、私はついてゆくことを決めました。

 不安がなかったと言えば嘘になるけれど、この人と結婚したときに覚悟は決めていたのです。

 そのときが来ることを知っていて、コツコツとお給金も蓄えていたので、なんとかなるでしょう。

 元来楽観的な私は、そう思って腹を括りました。



 ひとり息子のミケーレは当時十歳で、人見知りで引っ込み思案な性格でした。

 ラグナード辺境伯家運営の私学に通わせておりましたが、友だちも少なく、遊びに出かけるようなこともなかったのです。

 夫婦ともに辺境伯家にお仕えしていて、家族で語らう機会も少なかったので、ラドクリフ領への転居はお互いを見つめ直すチャンスになるかもしれないと、少なからず期待をしておりました。



 実際に初めて見たルーク村は、ビクターが言っていたほど寂れてはいませんでした。

 確かに村の建物などは草臥くたびれていましたが、村人の表情は明るく、子どもたちも楽しそうに農作業の手伝いをしていました。

 村を通り過ぎたあとに広がっていたのは野菜畑で、青々とした葉が大地を覆うさまに、貧困の気配はまったく感じられませんでした。


 ビクターの顔をうかがえば、非常に驚いた顔をしてポカンと口を開けていましたね。

 いつもはクールな装いのあの人が、あんな顔をするなんて!

 私とミケーレはこっそり笑い合いました。



 ラドクリフ家のお屋敷は少し古いデザインでしたが、中は思った以上に奇麗なものでした。

 私の直属の上司になるマーサ様は、ラグナード家の侍女長様に比べたら、聖母かと思えるほど穏やかでお優しい方でした。

 私の仕事はビクターとともに、「レイナード様の周辺のお世話をお願いしますね」と言われ、非常に驚いたものです。

 来て早々に、新参者の私で良いのかと戸惑いました。

 そんな私にマーサ様はおっしゃいました。


「大丈夫ですよ。旦那様はご自分のことは、ひとりでも何でもなさいますから。私は坊ちゃまたちのお世話に専念させてもらいますよ。だけどそうね、客間のお掃除は手伝ってちょうだいね」

 新しい料理人と下働きの使用人も増えて、大助かりだと朗らかに笑っていらっしゃいました。


「ああ、それから、私のことはただのマーサで構いませんよ。ここでは堅苦しいのは無しですよ」

 にっこり笑ってウインクされました。

 聞けば今までは、マーサ様ひとりで炊事洗濯を賄っていらしたそうで、ずいぶんとご苦労されたようです。

 マーサ様のご期待にそえるよう、私もしっかり働かなければならないと、改めて心に誓いました。



 ミケーレはいずれビクターのあとを継いで、ラドクリフ家の執事になる予定です。

 きっとお義父様が指導してくださるものと思っていたら、ビクターに仕事を引き継いだあとは、ラドクリフ家ご三男のハク様の従者になるとおしゃって、夫を驚かせていました。

「時間が空いたときはミケーレの指導もしましょう。ですが、基本私はハク坊ちゃまのお側にお仕えいたしますので、そう心得てください」

 柔和な老紳士は、背筋を伸ばしてはっきりとおっしゃいました。


 ハク様と言えば、女の子のようにおかわいらしい、空色の瞳のお坊ちゃまでした。

 かつては魔力過多症に苦しまれたそうで、六歳のお年とは思えないほど、非常に小さく弱々しく感じられました。

 現在は魔力過多症を克服されたとのお話でしたが、いまだに心配がぬぐえないのかもしれませんね。


「坊ちゃまからは片時も目が離せません」

 そう言ってお義父様は、楽しそうにほほ笑んでいらっしゃいました。


 その言葉の本当の意味を知るには、しばらくの時間を要することになりました。

 今となっては、大きな勘違いをしていたと、思わず笑ってしまいますね。


 心配は心配でも、ハク様と精霊さんたちが巻き起こす出来事を、影から見守ることが目的だったのです。

 むしろ一緒になって楽しんでいるふうでもありました。

 ハク様のギフトによってもたらされた領の発展と、破天荒なお友だちが賑やかで、私も毎日が楽しいものとなりました。


 あるとき、ビクターに伝えたものです。

「あなたはここに来るとき、私に酷く申しわけなさそうにしていたけれど、全然違ったわ。ここは楽しくて幸せにあふれているわ! 私はここにこれて幸せよ!

 だってほら、怖い侍女長もいないし、わずらわしい人間関係もないの!

 食事は驚くほどおいしく、ここでしか手に入らない高品質の化粧品や生地も手に入るのよ! 

 何よりも、ここに来て年を取ったはずなのに、お肌もツルツルに変わって、以前よりもずっと健康になれたわ!」

 おどけて言えば、ビクターは苦笑して私を抱きしめてくれました。

「ありがとう」

 その言葉だけで心が温かくなるのです。



 そうして楽しい日々を過ごす中で、ミケーレも成長し十五歳の成人を迎え、このたび王都で執事の研修を受けることになりました。

 子どもの成長は早いものです。

 小さかったミケーレも今では私の身長に届き、いずれは追い越してゆくのでしょう。



 私は出入りを許されるようになった温泉施設のお店で、真っ白な木綿の生地を買い求めました。

 木綿は高級な布ですが、なぜかここでは手に入ってしまうのです。

 店員の精霊さんに布を見せてもらっていると、不意に声をかけられました。


「ごきげんよう、木綿でよろしいのですか?」

 振り返れば、ハク様の守護精霊様であるメエメエさんが、そこに佇んでいらっしゃいました。

 小さな執事服を着た、黒い羊さんです。

 ハク様とはいつも楽しそうに戯れていらっしゃいますね。


「ごきげんよう、メエメエさん」

 私は笑顔でご挨拶をしました。


「このたび王都へ研修に行くミケーレに、きちんとしたシャツの一枚でも仕立ててあげようと思いましたの。まだまだ半人前ですが、親としましては子の成長は喜ばしいことです。王都でもがんばってくれることを願っていますの」


 私が笑って伝えると、メエメエさんはたくさんおまけをしてくださいました。

「それでは、こちらの縫い糸とボタンもどうぞ。刺繍糸もいかがですか? ああ、こちらの布も普段着用にどうぞ」


 どうぞ、どうぞと、抱えきれないほどの品をご用意くださいました。

 私が目を白黒させているあいだに、「お品はお屋敷の方に届けておきます」と言って、お辞儀をして立ち去ってしまいました。

 私はただ呆気の取られていましたが、気づけば口元が緩んでいました。


 ああいうところは、ハク様に似ていらっしゃる!

 私は思わず笑ってしまいました。

 ああ、おかしい!


 思わず目尻に浮かんだ涙をぬぐい、立ち去るメエメエさんの後姿に、深々とお辞儀をいたしました。

 ありがとうございます。

 心からの感謝を込めて。



 思えばミケーレには、普通の母親として接してあげられませんでしたね。

 もしかするとこれが、母親としてできる最後の仕事になるかもしれません。

 一刺し一刺し、心を込めて縫いましょう。


 あの子が大人になってしっかりとお役目を果たし、いずれはどこかの娘さんと結婚をし、幸せになってくれることを願います。

 思いをはせるだけでも、心が温かくなるのです。


 そしていつか孫の面倒を、私に見させてくださいね。

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