アルシェリードの独り言
私は今まで、自由気ままに好きなところに行って、好きなように生きてきた。
もはや故郷と呼べる場所もない。
遥か昔に、それらはすべて失われた。
もう思い出すことも難しく感じるほどに、長い年月が過ぎ去っていたのだ。
エルフと言う長命種ゆえ、若い姿のままで数百年を生きてきたが、ある時ふと、目尻や頬にしわが刻まれていることに気づいた。
根無し草の我が身にも、いよいよ終わりが近づいてきたか。
そう感じるようになった自分に
エルフに生まれて、故郷を失い、私は必死に生きてきたのだ。
あまたの人々に出会い、別れ、最後を見送ってきたけれど、私が
ひとりぼっちになってしまったと、もの悲しさを感じたときに、不意に強い風が吹き抜けた。
強いつむじ風が長い髪を乱し、長衣の裾を弄んでいく。
風は、通り過ぎる刹那に、北へ行けとささやいたようだった。
北へ、北へ。
僕らも向かうのだと、ささやきはやがて消えていく。
私ももう一度、北へ行ってみようか?
かつて一緒に旅をした、ジル ラグナードを尋ねてみようか?
ふと急に、そんな思いが芽生えた。
私は周囲が引き止めるのも聞かず、慌てて旅装を整えると、一目散で駆け出していた。
なにか、虫の知らせのようなざわめきが、胸の中に去来していた。
バルジーク王国の北辺境伯領ラグナードまでは、陸を歩み、海を渡り、森と山を越え、たどりつくまでに一年の歳月を要した。
なぁに、気ままな一人旅としゃれこんで、のんびりとこの足で歩いてやってきたのだ。
いかに老いぼれエルフとはいえ、まだまだこの程度ではへこたれないさ。
バルジークは東を海に、南を魔境に、西を山脈に、北を大森林に囲まれた、陸の孤島のような国だ。
その北のラグナードは、かつて一緒に冒険者をしていた、ジルが治める領地だった。
ああ、いや、もうだいぶ前に代替わりをしていたかね……?
あいつも、もういい年であろう。
人の生は短い。
下手をしたら、もう生きていないことだって考えられるな。
そんなことをつらつらと考えながら街道を進めば、もうすぐそこに、ラグナードの領都の高い城壁が見えていた。
ああ、懐かしい。
ここでジルと出会ったのは、あいつがまだ成人して間もないころだったか。
名門ラグナード家の三男で、家を継ぐ必要もないと、気楽に笑って冒険者なぞやっていたな。
たまたま気が合って、ほかの仲間たちとともに、バルジーク中のダンジョンや魔境に出かけたものだった。
あいつは根っからの戦闘好きで、貴族のしがらみなど捨てて、ずっとこのまま冒険者をやっていくものと思っていた。
けれど、あいつが二十五の年に、先代当主と次期当主が、大森林で発生したスタンピードで戦死し、すぐ上の兄はその後の復興半ばで、流行病に倒れて亡くなった。
回ってくるはずのなかった辺境伯という地位に、ジルは冒険者を諦める決意をし、私たちに別れを告げた。
その後しばらくは、残った仲間たちでパーティーを続けたが、それも時間とともに、ひとり抜け、ふたり抜け、最後はドワーフと私だけになり、彼も家族の元へと帰っていった。
私たちの冒険はそこで終わりを告げた。
それからはバルジークを離れ、さまざまな国を旅し、私はいつしか海を渡っていた。
ああ、思えはいろいろなことがあった。
そして数十年ぶりに見るラグナードの城壁は、今も昔も変わらず、重厚にして堂々と、そこにそびえ立っていた。
城壁をくぐり領都に入れば、あれほど荒れ果てていた街が、見事に復興を成し遂げていた。
行きかう旅人やキャラバンの数も多く、露店で商売する者たちも生き生きとした表情で、活気にあふれていた。
すれ違う人とぶつからないように、上手に避けて
ジルはがんばったのだな。
知らず、口の端が上がっていた。
のんびりと露店を冷やかしながら、領都内を見て回る。
すっかりお
懐が寂しくなってきたころ、冒険者ギルドに立ち寄り、口座の金を引き出すついでに話を聞く。
最近はどうだね? と。
すると窓口の受付嬢は笑顔で答えた。
「ご領主様が魔除草を大森林沿いに植えてくださって、スタンピードの脅威が減っております。冒険者ギルドでも、最近は隣のラドクリフ領から魔除玉を仕入れるようになったので、新人冒険者の死亡率がわずかですが減少しました」
受付嬢はにこやかにしゃべっていたが、そのあとの内容は耳に入ってこなかった。
魔除草と魔除玉?
その言葉を聞いて、頭の中が真っ白になった。
私は矢も楯もたまらず、冒険者ギルドを飛び出していた。
一目散で領都を飛び出し、その足で大森林に駆けていった。
森の入り口付近に近づけば、点在するように紫の葉が見えた。
魔除草だ!
栽培が難しいと言われた、幻の草がこんなにもたくさん!
私は思わずと言ったように地面に這いつくばって、その立派な株をしげしげと眺めた。
間違いない! これは魔除草だ!!
ああ、こんな立派な株を見るのは初めてだった。
かつてエルフが住んだ森にさえ、こんな風に成長した魔除草はなかったのだ。
喜びの反面、悔しさがこみ上げて、思わず草を握りしめていた。
私の行動が怪しかったのか、たまたま通りかかった冒険者に注意された。
「お~い、そこの! 魔除草を抜いたら領兵にしょっ引かれるぜー! こないだ馬鹿な新人が捕まって、牢に入れられたって話しだ! 辺境伯様は容赦ないからやめときな!」
私は盗賊の類と間違われたようだった。
失敬な!
すぐに立ち上がり埃を払うと、もと来た道を一目散で駆け戻る。
向かう先は領主城だ!
アポもなく突撃をかました私は、城門の衛士とひと
「ちょうど良かったですよ。御大は暇さえあれば城を抜け出して、魔物討伐に出かけてしまわれるんです」
初老のカザラフという厳格な男は、ラグナード騎士団の副団長だと名乗った。
彼に案内されたのは、城の敷地内にある鍛錬場だった。
カザラフが示す先には、屈強な騎士たちと戦闘訓練を繰り広げる、ひとりの老人がいた。
ああ、懐かしい顔だった。
年を取って、深く刻まれたしわがあろうとも、あれはかつての友に間違いない。
カザラフが大声でジルを呼べば、あいつはこっちを鋭く見やって、次に私に気づくと、昔のようにニカッと笑った。
「おお! アルじゃないか!! まだ生きていたか!!」
あろうことかあいつは、人間よりはるかに長生きの私に向かって、そんな
「お前が生きていることの方が驚きだ!」
私も笑って大声で返した!
お互いにわけもなく大笑していた。
その後は、過度な装飾のない落ち着いた部屋に案内され、そこでジルと昔話をした。
ジルがあのあとに辿った人生。
私と仲間の旅路。
そして、別離と。
「お互い年を取ったな……」
話し終わったとき、ジルは低い声で吐き出すようにつぶやいていた。
ああ、私もずいぶんと老けたからね。
長命なエルフは若い姿のまま、数百年生きる。
そして命の終わりが近づくと、ゆっくりと老いが始まるのだ。
そこで初めて、己の終わりが近づいていることに気づく。
私は長く生きてきた。
多くの友を見送ってきた。
それでもなお、目の前のジルをも、見送ることになるのだろう。
「ところで、聞きたいことがあるのだ!」
そうして私は、ついに魔除草の話を切り出した。
「エルフの知識をもってしても、栽培が難しいと言われた魔除草を、いったいどこで手に入れたんだね? あの草があれば、魔物の脅威から救われる者も多い! 私は世界を旅し、さまざまな植物を見聞し、各地の文献を読み
私は外聞もへったくれもなく、ジルに頭を下げた。
ジルはただ黙って、私を見つめていた。
その目は私を見極めようとしているようだった。
「秘密は決して口外しない。以後、君の監視下に置かれても構わない。どうか、教えて欲しい!」
しばらくすると、ジルは大きなため息をついた。
「よかろう。教えてやるぞ」
そう言ってジルが始めたのは、かわいい孫自慢だった。
話しは愛娘の誕生から始まり、愛娘自慢が延々続いた。
その愛娘が生んだ三人の孫の自慢も延々と終わらない。
三番目の孫のかわいさ自慢はさらに長かった!
もうすっかり夜の
ジルの侍従も平然と背後に立って、相槌を打っているではないか!
この話はいつ終わるのだ?
ほとほと疲れ果てたころ、ジルは最後に告げた。
「末のハクが植物関係のスキルを得たのだ。そのスキルで魔除草の栽培に成功し、最果てのラドクリフ領を守ろうとしておるのだ」
ジルは静かに言葉を紡ぐ。
「魔力過多症で小さく生まれ育ったハクには、少しばかり大き過ぎるスキルのようだ。いずれは大きな権力に
今度はジルが私に頭を下げた。
ジルの背後で、侍従もともに
この主従は、ただひとりの孫のために、『暁の賢者』の名を利用しようとしているのだ。
私は口の端が緩むのを感じた。
ああ! なんと、爺馬鹿なのだろう!!
声をあげて笑う私を怒るでもなく、ジル自身も一緒に笑っていた。
愛する者と、同じ時間を生きることは叶わない。
ずっと慈しみ、守りたいものを守れない。
残される者の辛さと、残していく者の辛さと。
長い時を生きた私にも、残していく者の気持ちが、わずかばかり理解できるようになった。
私は笑いを収めてジルを見た。
「私も年を取ったねぇ。私にはまだ、君の孫の生涯を、見守るだけの時間が残されているだろう。私は君の愛し子の側を、
ジルは静かにうなずいていた。
そして昔のように、笑った。
老いてもその本質は変わらないままだった。
それが不思議と、うれしく感じられたものだ。
こうして私は、北の最果てにある、大森林とスウォレム山脈に抱かれた、ラドクリフ領にやってきた。
小さな村の領主館で出会ったのは、真白き無垢の幼子だった。
その子の周りには、あまたの精霊が集い、守り護られ、みな穏やかに暮らしていた。
「はじめまして、ハク ラドクリフです」
大きな空色の瞳で私を真っすぐに見返し、舌たらずな高い声で、澄ましたように挨拶をする姿の愛らしきことよ。
私はひと目でこの子が大好きになった!
そうして、これより少しあと。
私は不思議な精霊たちと、不可思議な植物園に出会うことになる。
そこで待ち受ける奇想天外な出来事に、胸躍る未来が待っていることを、この時はまだ知らない。
それはとても波乱に満ちた、笑顔の絶えない温かな未来だった。
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