ミリーの独り言

 私は幼いころに両新と死別した。

 父が魔物に襲われて急逝きゅうせいし、幼子を抱えて残された母も、無理がたたって翌年の冬に病死した。近所の住人と村長さんが、母の亡骸なきがらとむらってくれた。

 幼かった私は、ただ悲しくて寂しくて、泣きじゃくっていた記憶しかない。


 身寄りがなかった私は、ルーク村の外れにある、孤児院に預けられることになった。

 そこには十人くらいの子どもがいた。

 食事は朝と夕の二回。小さな黒パンと味の薄いスープで、私たちはいつでもお腹をすかせていた。

 与えられた洋服も靴も、だれかのおさがりを、何度も繕い直したものだった。

 ベッドの寝具も粗末なもので、麦わらに継ぎぎのシーツを敷いて眠る。

 冬などは寒くて凍えそうだった。

 寒くて、寂しくて、悲しくて。

 幼いころは、今はいないお母さんを思い出して泣いてばかりいたものだ。

 

 孤児院では朝の掃除から始まり、庭の畑の手入れをし、午後には薄い教本で文字の読み書きを習うことができた。

 簡単な計算も教えられた。

 これは生きていくうえで最低限必要なものだと、孤児院を取り仕切る養母さまは言っていた。


 養母さまは孤児院の隣に建つ、小さな神殿の神官さまだ。

 ほかにも老齢の神官長様もいる。

 神殿は中央の大神殿からのわずかな分配金と、領主様や村民からの寄付で運営されている。

 私が住むルーク村は、最果ての地と呼ばれる辺境の地だ。

 村民も領主様も貧しく、寄付など微々たるものだった。

 それでも、わずかな食料とお金が、毎月寄付として届けられていた。

 貧しいのは、孤児院だけではない。

 ここでは、みんなが苦しい生活を送っていた。



 孤児院は十五歳になると出なければならない。

 卒院後は就職のあてもなく、孤児院を出されることになる。

 私のうえの兄さん姉さんたちは、職を求めて隣領のラグナードに出ていくものが多かった。

 ラドクリフ領のカミーユ村でも、職を得るのが難しいということを、私たちは知っていたからだ。

 ラグナードに行ったところで、まともな仕事につける保証はないけれど、そうするしかないのが現状だった。

 冒険者になるもの、運よく仕事にありつけるもの。

 孤児院出身の子の末路など、容易に想像ができてしまう。

 未来に希望など持てるはずもなかった。


 十五歳の三月になると、卒院しなければならない。

 私は四月上旬の生まれだったので、ほかの子よりは一年得をしたと思う。三月生まれだったら、誕生日と同時に追い出されるところだったのだ。

 あと一年の猶予があっただけでも、恵まれていた。


 それでも卒院後のことに不安を覚えていたころ、領主様から農作業員の見習いの話が舞い込んだ。

 私は一も二もなくこの話に飛びついた。

 領主様は去年からお屋敷前に大きな畑を作られていた。

 その畑は一年目にして、かなり立派な作物をつけて、そこでできた野菜を村に分け与えてくださったことを、孤児院の年長者たちは知っていた。

 その畑の作業員を孤児院から数人募っているというのだ。

 私とひとつ下のビリーと、ふたつ下のノエルが立候補し、領主様の執事様と面接したのち、採用が決まって大喜びした。



 四月下旬の初出勤日に対面したのは、小さな男の子だった。

 ハク様とおっしゃる、領主様の三男様で、なんとこのお子様が私たちの指導者だった。

 もうすぐ七歳だというのに体は小さくて、まだ五歳くらいにしか見えない幼児で、私たちはびっくりした。

 孤児院の五歳児よりも体が小さいのだもの!!

 さらに、この小さなハク様が農業のスキルを得たことで、お屋敷前の畑を作られたというではないか!

 二度びっくりしたものだ。


 ハク様は舌ったらずであるけれど、しっかりとお話される子どもだった。

 最初の作業は種イモの植えつけ作業だったが、なんとか無事に終えることができた。

 翌日以降はカブ・キャベツ・メロン・スイカ・枝豆を植えていく。

 慣れない作業に四苦八苦し、筋肉痛と日焼けと戦いながら、一生懸命にがんばった。


 仕事をするようになって、なによりも嬉しかったのは、昼食をお腹いっぱい食べられたことだった。

 黒パンにベーコンと新鮮野菜を挟んで食べるのが、私たちのお気に入りになった。


 ハク様からは作物の栽培方法や、連作障害のことを教わった。

 村のおじいさんたちとも農作業をとおして知り合うことができたし、お屋敷のマーサ様に連れられて村の婦人会にも参加することができた。

 働きに出ることで、人脈が広がったことは、孤児がひとりで生きていくうえでは、非常に得難いものとなった。

 孤児院の中にこもっていては得られなかったものだ。

 機会を与えてくださった領主様には、本当に感謝しかない。



 給金の支払いは、卒院後にまとめて支払われるとのことだったが、無一文で孤児院を出されないだけでもありがたいことだと思った。

 出勤日数×日当の明細が毎月知らされて、支給された小さな紙の束に記載していくのが楽しかった。

 がんばった分が目に見えることは、張り合いがあった。

 それ以外の労働条件も悪くなかったので、私は一生懸命働いた。


 一年後の卒院のとき、それなりの金額を受け取ることができた。

 そのまま領主様の農作業の使用人として採用していただけたことで、住む場所にも食べることにも困らない生活が送れるようになった。

 私はホッと胸をなで下ろした。


 春からは孤児院の子ふたりも農作業員に採用され、ビリーとノエルと五人で農地の管理を任されることになった。

 村のジャックおじいさんたちとも相談して、去年に負けない畑を作ろうと決意した。


 まだ肌寒い春の日。

 次の植えつけの準備をしながら、暖かくなる日を待ちわびている。

 今まで感じたことがないような、期待に胸を膨らませていた。




* あとがき


ミリーちゃんは数年後に、農作業に来ていた真面目な青年と結婚予定です。

結婚するとお屋敷を出なければいけないのが、お悩みどころ。

おいしい食事とお菓子と、仕立ての良い支給服は捨てがたい。

面倒見の良いマーサを、お母さんのように慕っているのも要因のようです(*^-^*)

ミリーちゃんはリリーとも仲良しです。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る