マーサの独り言

「マーサさん、ラグナードからお手紙が届いていますよ」

 廊下でバートンさんに呼び止められて、手渡されたのは一通の封書でした。

 あて先は私宛で、裏を見ればラグナードにいるひとり息子からでした。

「ありがとうございます」

 バートンさんにお礼を言って、手紙はエプロンのポケットにしまい込みます。

 まだまだお仕事が残っていますから、休憩の時間まではお預けです。


 ラドクリフ家の女手は私ひとりしかおりませんので、炊事洗濯に大忙しです。

 お洗濯は洗濯用の魔道具がありますから、そんなに手間はかかりませんが、お部屋のお掃除までは中々手が回りません。

 客間などはどうしても後回しになってしまいます。

 バートンさんたち使用人も従士のみなさんも、手を貸してはくださいますが、すべてを完ぺきにこなすことはできません。


 旦那様も坊ちゃまたちも、ご自分のお部屋の整理整頓はしてくださいますし、お洗濯ものもまとめておいてくださいますので、大助かりでございますよ。

 一番お小さいハク坊ちゃまも、一生懸命洋服を畳んだり、お布団を直しています。

「よいしょ、よいしょ」とがんばっている姿を見ると、ありがたいやら、申しわけないやらで、自分のふがいなさを実感してしまいます。

 上のお坊ちゃまおふたりも、ハク坊ちゃまの足りない部分を自然と補ってくださいます。よくできたお子様方でございます。

 


 仕事が終わって、与えられた侍女部屋に戻ると、小さな作業机に光の魔石を灯し、今日届いた息子からの手紙を開きます。

『そろそろラグナードに戻って、一緒に暮らさないか』と書かれておりました。


 

 私がこの最果てのラドクリフ領にやってきたのは、ラグナード家のご息女アリスリア様のお輿入れにともなってでございました。


 それ以前からアリスリア様に侍女としてお仕えしていた私には、ラグナード家にお仕えする騎士の夫がおりました。

 夫とは政略結婚でございました。

 夫の生家は代々騎士を輩出する家柄で、夫はその家の跡継ぎでございました。

 一方私は従士の娘でしたので、彼の両親からはあまりよくは思われておりませんでした。それでもアリスリア様つきの侍女だったことで、結婚の話が舞い込んだのでしょう。

 

 ラグナード辺境伯様より、アリスリア様の輿入れに同行して欲しいと懇願されたときも、夫と夫の両親は「名誉なことだ。しっかりお仕えしなさい」と、送り出すだけでした。 

 ラグナード家からは少なくないお金が、夫の懐に入ったことでしょう。

 私はていよく厄介払いされたようでございます。

 唯一の心残りは、当時7歳の息子のことでしたが、私にはどうすることもできませんでした。


 その薄情な夫はある日、大森林に程近い砦に、魔物の討伐隊として赴き、魔物の襲撃を受けて帰らぬ人となりました。

 その知らせが届いたときは、もはやなんの感慨も浮かびませんでした。

 ただ粛々と事実を受け入れるだけでした。

 私もずいぶんと薄情なものでございますね。

 


 ラドクリフ家での生活は、最初から非常に困難なものでした。

 下働きの老婆ひとりしかいない状態で、アリスリア様と私しか女がいないのです。 

 お体の弱いアリスリア様にお出しするお食事にも、苦労することになりました。

 下働きの老婆が腰を痛めて働けなくなると、掃除洗濯料理と、すべてが私の肩にのしかかってまいりました。

 正直、なんてところに来てしまったのか! と後悔した日もありました。

 それほどに、貧しく苦しい生活だったのでございます。


 アリスリア様が小さなお子様方を残されて旅立たれてからも、私は必死に働きました。

 私の大切な主人であった、アリスリア様の忘れ形見のお子様方を立派に育て上げることこそが、私の使命だと思ったのでございます。

 なによりも小さくか細いハク坊ちゃまを、母のように慕ってくれる坊ちゃま方を残して、私ひとりがラグナードに戻ることはできませんでした。

 私は日々を必死に働いたのです。



 貧しいラドクリフ家に変化が訪れたのは、ハク坊ちゃまがギフトを賜ってからでございました。

 ラドクリフ家の血筋の中では珍しい、農業系のスキルでしたが、貧しい生活には非常にありがたいものでございました。

 ハク坊ちゃまがお庭に小さな畑を作り始め、それが徐々に増え、夏になるとたくさんの野菜を実らせました。

 立派なキュウリにナスにトマト。ジャガイモにカボチャにコーン。葉物野菜にハーブもたくさん!

 どれも見たことがないほど、瑞々しく、そのひとつひとつが大きいのです!

 味も非常に素晴らしく、お料理が楽しくなってまいりました。


 その年の冬は、ハク坊ちゃまのおかげで食料に困ることもなく、家人も村民も、みなが笑顔で過ごすことができました。

 なによりもお子様方に、栄養のある食事を提供できるようになったことが、非常にうれしいことでございました。



 初夏になれば、新しい料理人がラドクリフ家にやって参りますから、私の仕事もずいぶんと楽になることでしょう。

 そうなれば、ハク坊ちゃまとの時間も、もう少し多く取れるようになるでしょうか?

 知らず、知らず、口元が緩んでしまうのはどうしてでしょうね?


 少し前まで、ひとりでお着替えもできなかった坊ちゃまが、最近ではきちんと着替えができるようになりました。

 相変わらず、寝ぐせはぴょんぴょんはねたままですが、寝ぐせを丁寧にすいて流せば、奇麗な白銀の髪がサラサラに輝いて、天使のように愛らしいのです。

「ありがとう、マーサ」

 舌ったらずで、にっこりとほほえまれると、愛おしくてどうしようもなくなってしまいます。

 あのお小さかった坊ちゃまが、本当に元気に育たれたことを、うれしく思うのです。



 ラグナードに残してきた息子は、立派な騎士となり、結婚をしてあの家を守っているようでございます。

 いまさら私が戻ったところで、居場所などございません。

 息子は息子なりの思いを募らせ、このような手紙を送ってくれたのでしょうか?

 今はもう、その気持ちだけで十分です。


 私はこの辺境の地に、骨をうずめる覚悟でございます。

 アリスリア様のお子様方が立派に成長され、この地を豊かにしていくさまを見守り続けることが、私なりの役目と思っております。

 

 息子への手紙をしたため、封をします。

 あとは従士のだれかに、ラグナードへ赴くついでに届けていただきましょう。

 


 あなたが無事で、幸せであることを、この遠い辺境の地から祈っております。

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