リオル兄の独り言
僕の弟のハクは、ちょっと変わっている。
ハクはひとりで自由に歩き回れるようになると、よく庭を歩いていた。
マーサに「そっちへ行ってはダメですよ」と言われると、「あい」とうなずいて、おとなしく一箇所に留まっていた。
「ハク坊ちゃまは物分かりがよろしいですわね。ダメと言ったことはキチンと理解されているようで、絶対にいたしませんよ」
手がかからないと、マーサは笑っていた。
そのお部屋に入ってはダメですよ。
階段は危ないのでひとりで登り降りしてはいけませんよ。
玄関からひとりでお庭に出てはいけませんよ。
お馬さんに近づいてはいけません。
など、どれもしっかりと守っているらしい。
「物分かりがよすぎです」と、馬屋番のトムも不思議そうに言っていた。
ハクは天気がよければチョコチョコと庭に出ていき、葉っぱを引っこ抜いたり、飛んでいる蝶を目で追ったりしている。
なにが楽しいのかさっぱりわからない。
ある日のこと、日が傾いてきたので僕がハクを探しに行くと、庭の片隅で小さくうずくまっていた。
なにをしているのか?
動く気配がないので、具合が悪いのかと焦って駆け寄ってみると、まん丸になってよだれを垂らしながら眠っていた。
小さな手には葉っぱが握られていた。
見れば部分的に草がむしられた跡がある。
どうやら遊びのつもりで、草むしりをしていて、疲れて眠ってしまったらしい。
念のため、近くにいた従士のイザークにハクのようすを確認してもらう。
「呼吸も安定していますし、幸せそうな顔をして眠っていますよ」
よくあることだと、ハクより幼い子どもを持つイザークが笑っていた。
ケガや病気じゃなくてよかったと、ホッと胸をなで下ろした。
イザークに子ども部屋のベッドへ運んでもらった。
その日の夕食の席に、元気なようすで姿を見せたハクは、小さな手に幼児用のスプーンをにぎり、小さな口にチマチマとスプーンをつめ込み、リスのようにほおを膨らませてミルク粥を食べていた。
その姿がおかしくて、僕もレン兄様も笑ってしまった。
当の本人は全く気にしたようすもなく、もりもりとおいしそうに食べていた。
その年の夏は、連日の暑さが続いていた。
父様やバートンも日照りを心配して、ルーク村とカミーユ村の農作物の成長具合を気にしていた。
蝉の鳴き声が
突如、屋敷中に響いたマーサの悲鳴に、みんなが飛び上がって驚いた。
何事かと、マーサの声がした部屋へ向かう。
子ども部屋だ。
父やバートンの顔色が変わった。
ハクは小さくて丈夫な子ではなかったため、暑さで具合が悪くなったのかも知れない。
急いで子ども部屋へ入ると、そこには髪が短くなったハクが、ぺたりと床に座り込んでいて、切られたと思しき髪の毛があたりに散らばっていた。
そのハクの前で、マーサが床にうずくまってオイオイと泣いていた。
「マーサ、なにがあった⁈」
父様が慌てて問う。
「ハク坊ちゃまが、
マーサは泣きながら床に頭をつけて謝罪していた。
当の本人は最初はキョトンとしていたが、マーサが泣くのを見て徐々に眉を下げ、マーサが父様に謝罪する姿を見て何事かを悟ったのか、一緒にギャン泣きを始めてしまった。
なにこれ?
僕とレン兄様はわけがわからず立ち尽くした。
父様がなんとかハクをなだめて、ようやく事の真意を聞き出した。
「あちゅい、から、かみ、ないない、ごめなしゃ……」
大粒の涙をボロボロとこぼし、鼻水を垂らして謝るハクの姿に、父様もバートンもきつくは叱れなかったようだ。
「ハサミは危ない。一人で使ってはいけないよ。次からはちゃんとマーサに髪を切って欲しいと、お願いしなさい」
「ひっひっ……、あぃ……、ごめしゃ……ぃ……ヒック」
父様に抱っこされて、しばらく引きつるように泣き続けていたが、そのまま泣き疲れて眠ってしまった。
眠ったハクをベッドに寝かせて、父様はマーサに優しく声をかけた。
「いつも迷惑をかける。小さい子の世話を任せっ切りにして済まないね。ハクは怪我をしていないから安心しなさい。君をとがめることはしない。さぁ、頭を上げなさい」
マーサは「申しわけございません」と何度も繰り返し、這いつくばったまま謝罪し続けた。
父様もバートンも首を振ってため息をついていた。
ハクはレン兄様の机の、道具箱の中からハサミを見つけ出して、自分の髪を切ったようだった。
レン兄様も「僕がしっかり管理していなかったのが悪いのです」と謝罪していた。
一番悪いのはハクだと思う。
だけど小さい子の行動を予測するのは、難しいのだとバートンは言う。
ときに思わぬ行動をするのだと。
ハサミで怪我をしなくて本当によかった。
一歩間違えば大怪我になっていたのだから。
翌日の早朝。
「きゃ――っ!」
ハクの悲鳴で僕もレン兄様も、仰天して飛び起きた!
慌ててハクを見れば、昨日切り落としたはずの髪の毛が、昨日の出来事がなかったかのように、元の長さに戻っていた!
僕もレン兄様もポカンと口を開けて呆然とした。
なにこれ?
当の本人が一番驚いているらしく、ワシャワシャと髪をつかんで、アワアワと動揺していた。
「かみ……、の、のび、もどっ……、キャ――ッ!!」
ハクの悲鳴にまたしても屋敷中が騒然となった。
「魔力の多い者は髪が伸びるのが早いといいますが、ハク坊ちゃまの場合はなんとも不思議なことでございます……」
バートンも困惑したようすだった。
元の長さに戻った髪の毛先をマーサが整え、邪魔にならないようにリボンで結んでいた。
「これで少しは涼しく過ごせますよ。まだ暑いようでしたら髪を結いましょうね」
「……あぃ」
ハクはしょんぼりとうなずいていた。
僕の五歳下の弟ハクは、どこかやっぱり変だ。
ハクが五歳になってスキルを得てから、それがますます顕著になった。
いつでもどこでも、本当に人騒がせだ。
だれも想像もしないことをしでかして、ケロリとしている。
だけど、憎めない。
だれよりも小さくてのんびり屋の、かわいい僕の弟なのだ。
*
泣き疲れて眠ったあと、目が覚めてからちゃんと水分補給をしています。
ハクにとってマーサはお母さんのような存在なので、マーサを泣かせたことがハクのトラウマになったようです。
髪切り事件のあとしばらくは、マーサに張りついて離れなかったそうです。
ハクなりのマーサへのご機嫌伺いだったのですが、お洗濯場にもついてくるので、仕方なくハクを背負って洗濯物を干していたとか。
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