ハクを見守る人々

レン兄の独り言

 僕たちの母様は雪が融ける早春のころに亡くなった。

 もともと体の弱い方がったが、末の弟のハクを産んでからは、さらに寝付くことが多くなっていた。

 その年の冬は特に寒さが厳しく、風邪をこじらせてしまった母様は、ゆっくりと衰弱し、春の芽吹きを待たずに帰らぬ人となってしまった。


 屋敷中が悲しみにくれ、火が消えたように静かになった。


 母様の葬儀には、母様の生家であるラグナード辺境伯家の方々も多く参列された。

 葬儀の間中、小さな末の弟はふえふえと、か細い声でいつまでも泣き続けていた。それがまた参列者の涙を誘う。

 わけもわからぬまま泣く幼子の声だけが響く中、葬儀はしめやかに執りおこなわれた。


 僕はすぐしたの弟リオルの手を引いて、涙を堪えて立ち尽くしていた。

 リオルもキュッと唇を引き結び、ただただ静かに涙を流していた。




 末の弟のハクは著しく成長が遅く、二歳になっても小さいままで、言葉も遅く、歩き出すのも遅かった。

 この子は長くは生きられないかも知れないと、医者が語った言葉を今でも鮮明に覚えている。


 母様は生前、「小さいハクを守ってあげてね」と僕とリオルに語っていた。

 そのときの母様の、慈しみに満ちた微笑みを忘れない。

 僕はその言葉をずっと胸に刻み、この家を、この弟たちを守らねばと心に誓ったのだ。



 ハクは母様の記憶もろくにないまま、ゆっくりと成長していった。

 幸いなことに、体は小さいが大病を患うこともなかった。

 いつだったか「この子は魔力が多すぎるのね。アリスリアもそうだったわ」と、ラグナードのお祖母様が悲しそうにつぶやかれていた。

 魔力過多で、己の魔力にむしばまれて早世する者が稀にいるのだという。

 母様も魔力過多で苦しまれたのだそうだ。



 母様が亡くなりハクが四歳を迎えるころには、ようやくひとりで自由に歩き回るようになっていた。

 たどたどしいが、言葉もしっかり話せるようになって、父様たちはほっと胸をなで下ろしていた。



 このころ、そろそろ僕にもひとり部屋をという話が持ち上がった。

 それまでは兄弟でひとつの部屋を使っていたが、僕が嫡男ということもあり、個室をもらえることになったのだ。

 僕自身は兄弟と同じ部屋でも問題はなかったのだが、男爵家の嫡男としての、自覚を持つように言われた。



 そのとき、ハクが急に「ぼくもぉ、おへや、ほしー」と言い出した。

 これにはみんなが慌てた。

 小さい子をひとり部屋にはできないと大人たちが説得したが、ハクは頑として譲らなかった。

 しまいには「いやいや、ほしぃーの!」とシクシクと泣きだす。

 その悲哀に満ちたさまは、なんとも憐憫れんびんの情を誘った。

 ハクのイヤイヤにはだれも勝てなかった。


 仕方がないと、部屋を用意することが決まると、ハクはケロッとして満面の笑みを浮かべていた。

 これにはみんなで苦笑していた。


 いろいろ考えた結果、領主夫妻の寝室の横の控え部屋を、ハク用の子ども部屋に改装することにした。部屋自体は狭いが、周りの目が行き届きやすい場所だった。

 狭く殺風景だった控えの間を、明るい萌黄色の壁紙に張り替えて、特注で作った小さなベッドとクローゼットと机と椅子を用意する。

 どの家具も素朴だが丁寧に面取りされた、丸みを帯びたかわいらしいものだった。

 父は寂しくないようにと、ぬいぐるみもいくつか用意していた。


 僕やリオルにも「要るか?」と聞いてきたが、僕らは無言で首を横に振った。

 幼児ならともかく、さすがにぬいぐるみは卒業している。

 ため息をついたバートンが、あとでマジックバッグをそれぞれに用意してくれた。 

 これには僕もリオルも大喜びした。


 結果的にリオルも今までの子ども部屋をひとりで使うことになり、子どもたち全員が個室を与えられることになった。



 最初のころは夜泣きを心配して、ハクが寝付くとマーサやバートンがこっそりハクを自室に連れて行って、朝方戻すということを繰り返していた。

 ハクが眠りにつくと朝まで目を覚まさないことがわかると、ようすを見つつ、徐々に夜の見回りに変えていった。

 父様も夜中に何度もようすをうかがっていたそうだ。

 ハクはぬいぐるみと一緒にスピスピと鼻を鳴らして熟睡していたらしい。


 僕らと同じ部屋だったときも、ハクの夜泣きで起こされることはめったになかった。たまに寝言をモニョモニョしゃべっていたけれど。

 そういうときはだいたいよだれを垂らして、幸せそうに笑って寝ていた。

 夢の中で美味しいものでも食べているのだろうか?

 布団から飛び出た手足を仕舞って、そっとよだれを拭いてあげたものだ。



 そんな周りの苦労も知らず、ハクはひとり部屋をたいそう喜んでいた。

 五歳になるころには、ひとりで起きて着替えもできるようになっていた。

 まだまだマーサに直されることも多いけれど、髪の毛も自分で結んでいた。

「小さい子の成長は早いものですね」

 そう言ってマーサはにこにことうれしそうに笑っていた。



 この頃には僕も『私』と一人称を改めるようになっていた。

 算術や歴史の勉強も徐々に難しくなり、さらには礼儀作法も加わり、剣術や武術、魔法の勉強量も増えて、ハクとは中々遊んであげられなくなった。

 代わりにリオルがよく面倒を見てくれているようだ。

 リオルもリオルなりにハクを大事にしているのがわかった。


「リオル坊ちゃまはご次男の難しい立場でも、ご自身の役割を理解し己を律し、がんばっていらっしゃいます。レン坊ちゃまもご嫡男のご自覚をしっかりお持ちになって、弟君とともにラドクリフ家を盛り立てて行ってください」

 バートンの言葉に、私は気持ちを引き締めて、しっかりとうなずいた。


 リオルもハクも私のかわいい弟だ。

 いつかの母様との約束を胸に刻み、私は私の持てる全力でこの家を守って行く。




 * あとがき

 お母さんが亡くなったのはハクが三歳になる年の、早春のことでした。

 ハクが個室を与えられたのは、四歳の秋のことです。

 髪を切った事件は、その前の四歳の夏になります。その事件はまた別の語りで。

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