第26話・フレグランス・ラフランス


「やー、なんや、えらいスッキリしたわ」


駅に向かう大通りの雑踏の中、大樹の隣を軽やかな足取りで歩く茶髪の少女。まだちょっとだけ目が赤いが、その表情からはもう、憂いはうかがえない。

「ま、お役に立てたなら良かったよ。あやうくすっぽかすとこだったし」

「ほんまや!あのときささっちが家に帰ってしもてたら、今日の事は全部なかってんな!」

今さら驚いたようにのえるが言った。


―――いや。元をたどればあのラブレターか。


人の縁とは不思議なものだ。昨日の朝の、たった一通のて先違いの手紙が、まるで魔法のように3人をつなぎ合わせたのだから。


「あ、そうや、ささっち」

「サンディーズ」を過ぎ、柿本駅が見えてきたころ、のえるが何かを思い出したように言った。

「うん、なに?」

「今日ささっちが言うてた果物、なにか分かったら教えてな。気になって仕方ないねん」

「あはは、わかった。じゃ、ちょっとのえる、もう一回確認させて。」

「あ、うん」

のえるは背負ったバッグを前に持ち替え、少し前かがみになる。大樹はその背中に顔を近づけかけてハッとした。

「え、これって…俺、まるで変態じゃん」

「言われてみたら、ほんまやな。ウチも普通に背中向けてたわ…こわっ」

慌てて二人は周囲を見回した。人通りは多いが、とりあえず、ギリセーフのようだった。

「――でも、ささっち、今日はほんまにおおきに、な。色んな初めてで楽しかったわ」

そう言って穏やかな笑顔を向ける。

「こっちこそ初めて尽くしだよ。でも、俺も楽しかった。ありがとうのえる」

大樹も自然と笑顔を見せる。女子は苦手だと公言していたのがまるでウソのようだった。


駅前の時計は午後4時を過ぎている。ちょっとした寄り道のはずが、知らぬ間にずいぶん時間が経っていた。

「あっ!」唐突にのえるが足を止める。

「何?何かあった?」

「今日、全然写真撮ってへん…」

まるで重大なミスをしでかしたかのようにがっかりしている。

「クレープも…あ、あのラーメン屋さんでも撮っといたらよかったなあ」

「また今度行ったときに撮ろうよ」

大樹は言う。何の疑問もなく「また今度」があると思えるのだ。

「うん…でも、やっぱり初めての記念が欲しかったわ」

のえるは悔しさをあらわにする。

「そっか…じゃあ」

大樹は駅前の噴水を指さした。


噴水の前はちょっとしたフォトスポットである。大樹たち以外にもカップルや女性同士で写真を撮っている人が後を絶たない。二人がツーショットを撮っていても、それほど珍しがられることはなかった。

「これ、制服もちゃんと写るかな」

「あー、もうちょっと噴水が入ったらええねんけどなぁ」

大樹とのえるはああでもない、こうでもないと騒ぎつつ何枚か写真を撮った。


「それじゃ、のえる、月曜日に」

「うん、ささっち、また学校で。」


駅の地下通路でお互いに別れを告げ、それぞれのホームで電車を待った。線路をはさんで向かい合うかたちになるが、身長のおかげで、お互いを探すのは苦労しなかった。

『ほな、宿題よろしくやで』

『了解。明日はゆっくり体を休めろよー』

さすがに声は届かないので、互いにメッセージを送りあう。

のえる側のホームに列車が入って来た。のえるが乗り込み、窓から手を振っている。

大樹が振り返すと、のえるはスマホを操作し始めた。新しいメッセージが届く。

それは、先ほど撮った写真だった。

『初の制服デート記念!』と題されている。

大樹は届いた、ありがとう、と身振りで伝え、列車を見送った。


「これ、俺かあ…」

その写真の笑顔は、自分でも何年かぶりに見るものだった。



「あ、お帰り大樹、お友達の試合、どげんやった?」

大樹が帰宅すると、母はもう夕食の準備に取り掛かっていた。

「ただいま、母さん。友達のチームが勝ったよ。応援ありがとうってさ」

「そら良かったたい。大樹も応援ば行った甲斐かいがあったばい。あ、お父さんが仕事先で貰ってきたゼリーが冷蔵庫にあるとよ。色々種類があるけん、どれでん食べて良かよ。」

「はーい」大樹は手を洗いに洗面所に向かう。

「お父さんね、まだ昼寝しとるけん、起こさんとって」


大樹の父は大手のハウスメーカーの広報部に勤務している。本来は土日が休日なのだが、秋に催される会社の記念式典を任されているとかで、最近は大阪で半ば単身赴任のような状態になっているのだ。

冷蔵庫を開けると、なんだか高級そうなフルーツゼリーが積んであった。大樹は適当に一つ取ってリビングに座った。


「父さん、いつ帰ってきたの?」

フタを開けながらキッチンの母に尋ねる。

「昼前たい。ほんなごと最近は忙しそうで…あ、ひょっとしたら、母さんも時々大阪に行かないけんごとなるかも知れんと。大樹、そん時は留守番頼んでよかね?」

「ああ、うん、いいよ。何とかするから」

「ごめんねー、そげん何日もは空けんようにするけんね」


父は大樹から見ても仕事の虫だ。浮気の心配はなさそうだが栄養失調や過労で倒れられては困る。大樹だって一人で寂しいという年でもない。


「……!」

何気なく一口、ゼリーを口の中に放り込んだ瞬間、大樹は気付く。

そして慌てて一度はゴミ箱に投げ捨てた紙のパッケージを取り上げた。

「これか…!あー、これは無理だわ、思い出せるはずがない。うんうん」

大樹は一人で納得するのだった。


―――その夜。


入浴を終えて部屋に戻ったのえるは、スマホにメッセージが届いているのに気が付いた。

「あ、ささっちや、なんやろ?」

いそいそと開いてみると『のえる、これだ!』というコメントとともに画像が送られている。

プリンか何かの上についていた紙のフタだろうか。「洋ナシ」と書いてある。

「え、ウチが、ようなし……もう捨てられた?」

まだ付き合ってもいないはずだが、どういう事なのか。直接本人に問いただすしかない。


その直後、佐々岡家では、「ウソ、大げさ、紛らわしい」という苦情電話の対応に追われる大樹の姿があった。最終回に続く。

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