最終話・怪獣のバラード

「ほんまに、もう…!」

ぽーん、とスマホを枕元に放り投げ、ごろんと横になる。

今日1日、せっかく楽しく過ごしたのが最後に台無しだ。男の子と制服姿のまま寄り道するなんて初めてだったのに。これまでも悠星とならば再々通学を共にしていたが、そのルート上で他の生徒に「見られる」場所にしか行ってくれなかった。あくまで偽装カップルなのだからそれ以上は無駄、という事だ。期待していると思われるのもしゃくなので、こっちもずっとジャージで通してきた。なんとも味気あじけない話だ。けど、その反動で、今日は大樹にわがままを言い過ぎたかも知れない。


スマホの画像を開いてみる。送られてきた「洋ナシ」の画像。これがケンカの原因だ。

「でも、ウチが宿題宿題て、しつこう言うたから、気にしてんやろな…」

だからこそ、判明したから一刻も早く、と連絡をくれたのだろう。なのに自分は。

今日の言動を振り返ると、色々やらかした感がある。自分でも少し情緒じょうちょ不安定だったと思う。

「あー、そろそろか…」カレンダーを見ると、予定日が近い。「男女おとこおんな」のくせに、こういった部分だけはきっちりと「女」なのが腹立たしい。


まだ自分の中で、大樹の評価は定まっていなかった。出会ってほんの数日だ。なのに悠星と似ているせいか、初めて会った気がしない。それどころか、悠星よりも昔からずっと一緒にいたような気がする。早く彼を見定めたかった。今日はかなりギャンブルをして踏み込んだと思う。女の影を探ったことに気付かれてしまっただろうか。おそらく彼女なんていないと言うのはウソではない。だが、女子に対する苦手意識も強いようだ。彼の地雷がいったいどこにあるのか、さっぱり分からない。たぶん自分には女子っぽさが欠けているから普通に接してくれるのだろう。だからできるだけ、彼の前では女の部分は隠しておきたかった。でも制服を着た自分を「似合っている」と褒めてもくれた。お世辞を言う人ではないと思う。なのに上手くお礼も言えず、しまいには、どうせ小さい子と付き合うのだろう、なんて憎まれ口まで叩いてしまった。アホだ。


スマホ画像をスライドすると、制服を着た男女が現れる。

記念写真がない、と悔しがる自分のために、わざわざ慣れないツーショット写真を撮ってくれたのだ。号泣の後だったから、慰めの意味もあったのかも知れない。

「――この笑顔がくせもんやねん」つん、とその鼻先を突っつく。一瞬画像が揺れた。

試合中に新入生と嬉しげに話している大樹が本当に憎らしかったのだ。並んでいる二人は、恋人同士のイメージそのままの身長差だった。自分の試合の応援に来てくれたのではなかったのか。でも、今まで女子が苦手で遠ざけていただけで、彼ならば、その気になればすぐに可愛らしい彼女ができるのだろう。その時には女子力のかけらもない自分なんて、見向きもされないに違いない。いくら女の子たちに「王子様」ともてはやされたところで、何の意味もない。下手をするとファンクラブの子たちの方が先に彼氏を作るかも知れない。彼女たちの方が、自分よりはるかに女子力があると思う。囲まれたときなどはシャンプーだか化粧品だか分からないが、そこら一帯が華やかな匂いに包まれるのだ。


「ウチは洋ナシ、かぁ……」

そして匂いの判定。彼女とのデートだと勘違いされても、嫌がる素振そぶりがなかった大樹に対する最大の賭けだった。男女の相性は匂いで分かる、と聞いたことがある。本当かどうか知らないが、男性が柑橘系かんきつけいだと感じるときは、最高に相性が良いらしい。だが大樹が咳き込んだときは覚悟も吹き飛び、本当に死のうかと思うくらいショックを受けた。だから仕切り直しで「果物っぽい甘い匂い」と言われた時には心臓が爆発しそうになった。大樹にその音が聞こえるのではないか、と心配になったくらいだ。残念ながら柑橘系ではなかったけれど。

「…そう言うたら、洋ナシってどんな匂いやろ」

少し不安になるが、どんな匂いだったか記憶にない。身近なサンプルもない。悪臭でないことを祈るばかりだ。


大樹の匂いは男子の部室の前を通ったときのような「男くさい」ものではなかった。はっきりしないが、草か穀物をがしたような匂いをかすかに感じた。決して「良い匂い」と言いたくなるようなものではないが、懐かしいような、不思議と安心する香りだった。

「あ、そうや、あれ…」体を起こし、引き出しからハンカチを取り出す。洗って返すと約束したものだ。嗅いでみると背中よりもはっきり匂う。


ハンカチで鼻をおおったまま、もう片方の手を秘部に伸ばす。彼をそんな目で見ていることは絶対知られたくないが、たぶん、自分は性欲が強い。かつて相談した女友達に、バレーボールで発散すればいい、と言われたことがある。だが、疲れて自慰ができなくなることはあっても、性欲がしずまることはなかった。先輩の家に行った時も、大樹には「覚悟は決めていた」などと言ったが、本当は何をされるか、興味津々だったのだ。先輩が変な事さえ言わなければ、そのまま抱かれていたに違いない。


指がぬめりをびた深みにまれてゆく。こんなときに想うのは、たいていは悠星に似た、もっと大きな男に軽々と、少し乱暴に扱われる自分だ。本当は分かっている。そんな男が実在したら2メートル級だ。お姫様抱っこなんて夢は、もうとっくに捨てた。今や自己紹介の自虐ネタとして使う程度のものだ。ただ、今日はどういうわけかいつものイメージが浮かびにくい。目に焼き付いている優しい笑顔が邪魔をするのだ。怖い人でも、ましてやイヤなやつでもない。そうだ。本当はもう分かっている。人違いで告白してきた女の子にさえ、失礼だと怒ったりせず、優しく振舞ふるまえるのだ。「イヤなやつ」のはずがない。


――あの優しさを、ウチだけに向けてくれたらなあ。


都合の良い夢想にふけってしまう。

今日は彼の優しさに甘え、久しぶりに大泣きした。

「泣き虫のえる」――中学校のときには、よく男子にからかわれたものだ。

でも、彼はずっと、そう、泣き止むまでずっと、背中をさすってくれた。

今でも背中に、そのぬくもりと感触が残っている。

あの優しさにあふれる大きな手で。長い指で。

もっとこの身体の、色々なところをさわってくれたなら―――!


「うっ、ふ…うっ……!」


ベッドの上でおよそ女らしくない大きな体が、二度、三度と跳ねる。


ふーっ、ふーっと肩で大きく息をした。

貸してもらったハンカチに、少しよだれが付いてしまった。

――彼の優しさを、汚してしまった。


スマホに目を落とすと、彼の笑顔の画像は、とうにブラックアウトしている。

「―――っ。」ずるり、と自分の汚い部分から引き抜いた指を見つめる。生臭い粘液をまとい、鈍く光っていた。


「――ウチ、なんで女に生まれたんやろなあ…」


自嘲じちょう的に笑って、そしてまた嗚咽おえつがこみあげる。

やっぱり自分は、いつまでたっても「泣き虫のえる」だ。




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