第24話・バカップルにも気付かない②

「どっ…どない?」震える声で、のえるが背後の大樹に尋ねる。


「うん…あれ?これは…!」

「ちょっと!?怖い怖い!あかんかったらすぐ言うて!」

判決を待つ被告人のような悲鳴が上がった。ご静粛に。

「あ、いや、これは全然大丈夫なやつ。甘い感じの…果物系?…なんだっけな、これ…」

ぶつぶつ言いながら、大樹はのえるの背中に鼻先をくっつけんばかりにして匂い鑑定をしている。

「あのー、あんまり長いことがれてると、恥ずかしねんけど」

「あ、ごめん!」大樹は慌ててのえるの背中から顔を引き離した。のえるがほーっと安堵のため息をつく。

「まあ…良かったわ。なんぼ覚悟できてる言うても、感想が『くさい』やったらショックやさかいなぁ」

「だから心配しすぎって言ったろ」まるで自分の手柄のような言い草である。

「で、果物って何なん?レモンとか、オレンジみたいなん?ウチ、香水とかは付けてないで?」

すっかり元気を取り戻し、マンガか何かの知識なのか、今度はそっちが気になり始めたようだ。

「いや、よくある果物じゃない。…確かに知ってる匂いなんだけど、なんだったかなあ。めったに見ないタイプの……」

口に軽く握った手を当て、大樹は考え込んだ。

「まさか…めっちゃ臭くて有名なやつ、とか言えへんやろな」

のえるの眼が細くなった。

「違うわ!だいたい俺もそれの匂いは知らないって。絶対知ってるやつなんだよ」

二人とも「ドリアン」という名前が思い浮かばないようだった。

「はあ…まあええわ。じゃ、今度はささっち、背中向けて」

「え?あ、俺もやられんの?いや、いいって別に、何も匂い対策とかしてないし」

「ウチだけ恥ずかしい思いして、不公平や、ほら!」

やや不条理だがそう言われると逃げづらい。大樹は観念して顔を寄せる少女に背を向けた。

「あ、本当だ。これ確かに怖いな」


「ささっち、ちょっとしか匂いせえへんなぁ。」

しばらく嗅いでから、のえるが期待外れのように感想を言った。

「それはそれで個性がないみたいでつらい」

大樹はうなだれる。「ま、くさいって言われるよりマシか。」

「うん、お日様に当たった服の匂い…そのまんまやなあ、なんやろ、これ」

「無理に感想引っ張り出さなくていいよ。――で、のえるが来たかったのはここ?」

まさか匂いのチェックがしたかったわけではないだろう、そう思って大樹は尋ねた。

というか、今まで自分たちは白昼の公園で何をやってたのだろうと思わなくもない。

「あ、そうや、忘れるとこやった!あっちの広場にな、土日限定でキッチンカーが来るねんて。るなちーが教えてくれてん、行こ行こ!」

るなちー…おそらくリベロの大谷留奈だ。男は苗字、女は名前と次第に呼び名の法則のようなものが見えてきた。



「お、あれかな」二人が木立を抜けると、堤防の上の広場に並ぶ数台のキッチンカーが目に入った。その周辺は人が賑わっているが、特に盛況な一台があった。

「あ…やっぱり並んでんなあ、どうしよ。」

どうやら目当てはその一台らしい。何種類かのクレープを売っているようだ。

「せっかく来たんだし、並ぼう」ぽん、とのえるの肩を叩いて大樹は言った。

「ええの?」

「いいって。どうせ後は帰るだけだし」


大樹はのえると二人で並んでいると、意外と注目されることに気付いた。制服だけではなく、おそらく二人の体格のためだろう。悠星が言っていたのはこのあたりを含めての事だったのかも知れない。

「ささっちって、普段の休みは何してんのん?」

「マンガとか、動画見てたりとかかなぁ。体を動かすって言ってもちょっとその辺を散歩するくらいだよ。」

普段の散歩で、彼が持ち歩くのは財布ではなく、せいぜい小銭入れ程度である。気が向けばコンビニでジュースを買うくらいなので財布が必要ないのだ。

「そうなんや。ウチもようマンガ読んでるわ。お兄ちゃんがぎょうさん持っててなあ」

「あ、お兄さんがいるんだ」

「うん、3つ上で今大学生やわ。昔はウチもお兄ちゃんべったりでな、ほんまよう遊んでくれてんけど、身長抜かしてもうてからは全然やねん。いっしょに歩いてもくれへん」

ひどく悲しそうな表情を浮かべる。何とも気の毒な話であった。

「そ、そうか…で、お兄さんのマンガって、どういうの読んでるの?」

「そうやなあ、最近ので面白かったのは…」

のえるはいくつかのタイトルを言った。わりと有名どころで、やはりどれも男子向けのマンガであった。

「…けっこう戦ったり、人が無残に死んだりするのが多いね」

「そうやねん。昔は怖くて一人で寝られんようになってたけど、最近は平気やで?」

「俺はどっちかって言うと平和な感じのマンガを…あ」

そうこうしているうちに順番が近づいていた。二人は慌てて黒板にチョーク書きしてあるメニューを確認する。

「うわ、迷うなあ、ここは定番やろか。それとも…」

「俺は初めてだし、一番上に書いてるのにするよ」

「お、ささっち、手堅てがたい選択やな。ほなウチはこっちにしよ」



「ああ、甘そうなええ香りやなあ。」のえるは手にしたクレープをくんくんと嗅いで、うっとりと見つめている。彼女の選んだのはシナモンアップルクレープ、一方大樹はオーソドックスなバナナチョコであった。


二人は並んで堤防の上の舗装された道路を歩いて行く。

川の向こう側のグラウンドでは、小学生たちがサッカーをしているのが見えた。

「懐かしいなあ。俺も小学生のころ、あそこでサッカーやってたんだよ」

「へえ、ささっち、水泳だけやなかってんな」

「本格的に水泳し始めたのは小5のころかな。それまでは色々やってたよ」

「あ、ウチもバレー部に入ったんは小5やわ。担任の先生が顧問やってん」

「ふうん―――あ、あそこの階段に行こうか」

大樹は河川敷につながる幅の広い階段を見つけて言った。そこなら並んで座れそうだ。

「うん!」

二人はクレープをかじりつつ、階段を降りて行く。


「ささっち、今日は奢らせてばっかりやな」

並んで座り、のえるが言った。

「いいよいいよ。昨日のぶんから考えたら、まだこっちが少ないくらいだ」

大樹は笑いながら答えた。

「ふふ、おおきに。ああでも、そっちの王道も良かってんけどなあ、うーん」

どうにもバナナチョコが気になっているようだ。

「あはは、一口どうぞ。はい、こっち側まだ口付けてないから」

やはり相手は女子である。いきなり間接キスをさせるわけにはいかない。大樹だってその程度は承知している。

「あ、ええの?ほな、遠慮なく!」がぶりとためらいなく行った。

「ふん、おいひい!…うひもつぎ、これにひよ!」

「そんなに違うもんかなぁ」

そもそも大樹はクレープを食べるのが初めてである。どれも味なんて似たり寄ったりだろうと思っていた。

「いやいやささっち、全然違うて!はい、ほな、これお返しや。こっちは大丈夫やさかい」

目の前にクレープが差し出された。大樹はかじられていないサイドを一口頬張ひとくちほおばった。お互いマナーは守りましょうの精神である。

「むぐ……んん!?」

焼きリンゴとシナモンの絶妙な甘酸っぱさが大樹の口の中に広がった。

「おお、のえるごめん、俺が間違ってた!全然違うな!」

「ほーら」

のえると大樹は屈託くったくのない笑顔を交わす。



賢明な読者なら、もうお気付きだろう。

二人が自分たちの愚かさに気付くのは数分後である。続く。

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