第23話・バカップルにも気付かない①

「はい、毎度。また彼女さんといっしょにおいで!」


おばさんの満面の笑みに見送られ、二人は店を後にした。しばらくは恥ずかしさで双方無言のままだったが、校門まで戻ったところでようやく緊張が解ける。

「えらいことになったなあ、ささっち、彼女さんやって」

のえるがいひひ、といたずらっぽく笑う。

「まさか俺が制服デートする日が来るなんて思わなかったよ」

大樹も笑いながら答えた。

「そうなんや。ささっちって、今までも彼女とかいたことないの?」

「ないない。これから先でも『彼女がいる自分』てのが想像できない。悠星くらいモテまくれば出来るんだろうけど」

「カッシーな、ここだけの話やで?昔いてたんやで」

「へえ、そっかあ。ま、おかしくはないな。」

「さっき言うてたもう一人の大きい子や。ウチほどではなかってんけどな」

のえるが『はなみん』と呼んでいた子だ。それはまた、驚きの情報だった。「最初はな、はなみんがカッシーと仲良うなって、それで友達のウチも、って流れや」

「そうだったのか…やっぱり違う高校になって別れた感じ?」

「いや、それが付き合ってはみたけど、やっぱり野球を優先させよんねん、あの男は。それではなみんがキレてもうたんや」

そろそろ『はなみん』のフルネームが気になってきた大樹であった。

「なるほどな。まあでも悠星くらいモテるやつなんて珍しいだろ。俺のクラスの男子で彼女持ちとか聞いたこともないしな」

あるいは自分が聞かされていないだけで、けっこう彼氏彼女持ちが多いのだろうか。それはそれでショックである。

「まあ、言われたらウチのクラスも彼氏のいる子は数える程度やな」

実際高校2年生なら、そんなものだろう。

「そうそう。だからさ、のえるも焦ることはないって」

「あー!」のえるは大樹の顔を覗き込むように前に回る。「ささっち、それ、ひょっとしてウチのこと慰めてくれてんの?おおきにな」

「慰めってわけじゃないけど」大樹は笑った。

「ささっち!!」

「おう、どうした急に、大っきな声で。」

「ウチ行きたいとこあんねん、自分、まだ時間空いてんの?」

「うん…特に予定はなかったけど。どこ?」

河川敷かせんじきの公園や。制服デートの続き、行くで!」そう言って先陣を切って歩き始める。試合の疲れをまったく感じさせない足取りだった。

「はいはい、付いて行きますとも」

そう返事して、大樹は青い空を見上げる。

少し駅の方向からはれるが、この好天の中、まっすぐ家に帰ってしまうのはもったいない。

元気が有り余っている少女の提案に乗っかるのも、悪くない。




「さすがにもう桜は咲いてないな。」

堤防ていぼうから階段を降り、大樹は辺りの木々を見回して言った。

春先に花見客でにぎわう河川敷だが、緑が深まった今、それほど多くの人はいない。木立の中の道を抜けた先は広場になっており、この時期、家族連れやサッカーに興じる小学生たちがやって来るのはそちらの方だ。

「ところで、のえる」

大樹はあらためて先行する茶髪少女に呼びかける。

「なんや?」

「やっぱり、今日はちょっと離れてるよな」

「うぅ…せ、せやろか」

「ま、事情があるなら別にいいけどさ」

わざわざ寄り道までするくらいだから、大樹のことを嫌がっているわけではないのだろう。ただ、二人の間には、移動中も一定の距離があったのだ。

「…わかった。言うわ」やがてのえるは諦めたように、はあっと息をつく。

「ウチなあ、もともと汗っかきやねん。今日は試合もあったし汗臭かったら、ささっちも嫌やろ思てな…」

そう言えば彼女は終始、風下を選んでいたような気がする。

「なるほど…女子は大変だな。でも、ずっと一緒にいたけど、全然変な匂いとかはしなかったよ」中学時代にからかわれた事で、匂いには敏感になってしまったのだろう。大樹はのえるを安心させるためにそう言った。実は制汗スプレーぽい匂いにはときどき気付いてたのだが。

「ささっちって、鼻はくほうなん?」のえるが不安げに尋ねた。

「うん。かなりね。家でもしょっちゅう警察犬やらされてるよ」

某鬼退治の主人公ではないが、大樹の嗅覚はかなり鋭い。ゆえに母が古い食材かどうか判別するときに「大樹これどげんね」と、しばしば利用されるのだ。勘弁してほしい。


しばらく考えこんでいたのえるが、やがて、意を決したように一つ、大きく頷く。

近くにあったベンチにバッグを置いて、ブレザーを脱ぎ、軽くたたんでその上に置いた。

「よし」と小さくつぶやき、ニットベストの姿で大樹のそばに戻ってくる。

「ウチ、どう?」

「だから心配ないって。臭くないよ」

「ちゃんと匂って。それでもし臭かったら正直にそう言うて。覚悟はできてるさかい」まるで死地におもむく戦士のような表情で、さらにぐっと体を寄せてきた。

「わ、わかった。…そこまで言うなら」と言って、大樹はのえるの肩口周辺に鼻を近づけ、すうっと息を吸い込んだ。


「ほら全然なんとも、おほっ、ゴホホッ!!」そして激しくき込んだ。


「う あ あ あ…」


覚悟はどこへ行ったのか、のえるは断末魔のようなうめき声とともに、よろよろとベンチに歩み寄り、崩れ落ちるように座り込んだ。

「もうウチ、学校やめるわ…みんな、今まで迷惑かけて、かんにんやで」

「待て待て、はやまるな、違うから!」大樹はあわててのえるに駆け寄る。

「のえるこれ、制汗剤つけ過ぎじゃないか?」涙目で大樹が言う。メントールと消毒薬の織り交ざったような暴力的な匂いが大樹の鼻腔をガツンと直撃したのだ。

「へっ?…せ、制汗剤……?あ。なんや。」秒で復活したようだ。

「なんやじゃねえ。これじゃ元の匂いとか、全然わかんないって」

「あー、そうやったわ。今日は試合の後やったさかい、特に念入りにスプレーしといてん。かんにんかんにん」

なかなか出て来なかったのは、そういう理由だったらしい。

「ほな、ささっち…ちょっと悪いねんけど、ここで待っといてくれる?」

周囲を見回し、のえるは言った。そしてバッグからポーチを取り出し、木立の向こうに見える公園のトイレに向かう。

ベンチにはバッグとブレザー、そして大樹が取り残された。


「やっぱりこれを使うのは反則かなぁ…」

ちらちらと横を見ながら大樹はつぶやく。

不測の事態に備えて、あらかじめブレザーか、あるいはバッグに入っているであろうユニホームでリアクションを練習しておこうか迷っているのだ。

「こんにちは」

「ひゃいっ、こ、こんにちは!」

通りがかった老夫婦に挨拶され、バッグに手を伸ばしかけていた大樹はピンっと背筋を伸ばした。

「――やばいやばい。男子とか女子とかの前に、人の道を踏み外すところだった」

冷静さを取り戻し、自らを振り返る大樹だった。



―――数分の後。


「あ…帰ってきた」

決然とした表情でのえるが戻ってくる。どうやらトイレで制汗剤の臭気を落としてきたようだ。

「ほ、ほな、もう一回、お願いします」

そう言ってのえるはベンチの端にバッグを置き、すとんと大樹の隣に腰を下ろした。

「よし。じゃあ…」

言われて大樹は肩口をいでみるが、やはりスプレー剤の匂いしかしない。

「だいぶ薄まったけど、さっきと同じだなあ。ちょっとのえる、悪い」

そう言って大樹はのえるの両肩をつかみ、ぐりっと横を向けさせる。ひゃっ、とのえるが小さな声を上げた。


「背中で行ってみるよ」


…のえるの運命やいかに。続く。

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