第20話・※諸説あります

長めの笛の音とともに第2セットが終了する。

結局ずるずると朋学館の失点が続き、第2セットは七条女子が制した。これでセットカウントは1-1のタイだ。最終第3セット開始前には再びコートチェンジが行われる。大樹は少し迷ったが、向かい側の手すり廊下に移ることにした。これでもし移動しなかったら、後でのえるに何を言われるか分かったものではない。

「どうもー!」大樹は、のえる応援団の後方を通るときにほがらかに挨拶をした。だが集団からの反応は思わしくない。小さな声で返事をする者がちらほらいただけである。中には大樹の同級生もいるはずなのだが、ほとんど見覚えのない生徒ばかりであった。向こうも同様で、大樹など初対面に等しいのだろう。多比石こずえがどんな報告をしたか知れないが、彼女たちにとって、あまり好ましいものではなかったようだ。


プレーに精彩を欠いていたのえるは、どうやら背番号2の部長に説教されているようだ。しかし他の選手たちも一様にうなだれている。第2セットを落としたのは決してのえる一人のせいではない。のえるの個人的力量に頼りすぎているチーム構造にも問題がある。皆、それが分かっているのだ。


第3セットが始まった。応援団の偵察から解放された大樹は、今度こそ本来の応援に集中する。大樹の動向を気にしていたのえるも、その様子を見て安心したらしい。次第にその動きにキレが戻ってくる。しかし、2階から試合を見ていた大樹は、ある事に気付く。

後衛にのえると留奈が揃ったときには、わりとレシーブが成功する。だが問題はその後だ。選手全員のイメージが、のえるのバックアタックに引っ張られすぎているようなのだ。そのせいか前衛がヒマそうにしている。特に5番はかなり高いジャンプが出来るのに、出番がほとんどない。それどころか、流れ弾を警戒してブロック以外にすることがなさそうである。何とも勿体もったいない話だった。だが、先ほど妙な掛け声で失敗したばかりだから、素人の大樹は下手なことを言わない方が良いのだろう。

そして試合は終盤となり、再びシーソーゲームの様相を呈し始めた。サーバーに回ったのえるが、大樹の真下にゆっくりと近づいて来る。こちらに視線を向けたとき、おや、という表情になった。どうやら大樹自身も知らぬ間に妙な顔でコートを見ていたらしい。あわてて笑顔で声援を送る。「のえるファイトー」のあとに、彼女に届くかどうかのボリュームで「なっちゃんノーマーク」と言ってみた。結局大樹も我慢できなかったのだ。そんな声援に、のえるが2度ほど頷き、タンタンとボールをついた後、力強くジャンピングサーブを打ち込んだ。七条女子の後衛がかろうじて受け止めるが、トスが乱れ、返ってきたのはゆるめのスパイクだった。リベロの留奈が回り込み、ちょうどアタックラインの線上に高いレシーブが上がった。猛然とボールに向かうのえるを見て、敵も味方もいっせいに二段攻撃に備える。しかしそのなかで、5番だけがのえるに背を向けネットに向かっていた。「なっちゃん!」ジャンプをフェイント気味に中断して、のえるが5番にトスを上げた。きっちりタイミングを合わせた「なっちゃん」が、がら空きのフロントコートに、やすやすと左腕からのスパイクを決めて見せる。


「おっ」

コート上でのハイタッチを見ながら拍手を送っていた大樹は、「なっちゃん」の笑顔に驚かされた。「ああいう顔になるのか…」先ほどまでの、どこか冷たい表情はすっかり消えていた。やはりスポーツ選手には笑顔が似合う。


この終盤での奇襲成功が大きな転機となった。七条女子の守備陣には、のえるのバックアタックに加えて前衛からのスパイクまでカバーする力はなかったのだ。第3セットは流れを握った朋学館が25-21で競り勝った。試合終了のホイッスルが鳴り響く――。



「ありがとうございました!」


のえるたちが整列して、相手チームを送り出す。審判は七条女子の監督だったようだ。朋学館の監督と何やら話していたが、選手たちの準備が整ったのを見て、一礼して体育館を後にした。見送りを終えたのえるが戻ってきて、応援団の声援に答えている。大樹はゆっくり階段を降りながら、悠星にも伝わるようグループチャットの「ヤンキース」で勝利のお祝いメッセージを送った。



大樹が校門を出たとき、校舎に掛かった大時計を見るとそろそろ昼前だった。五月も近く、どこまでも澄み切った青空が広がっている。

今日はほとんど生徒もいないから、悠星と間違えられる心配もなさそうだ。「いつもの店に行くか」大樹はつぶやいて歩き出す。と言っても、昨日のサンディーズではない。学校が午前中で終わる日などに、彼がしばしば利用するラーメン屋だ。

校門を出て1分もしないうちにピロン、とメッセージの着信が入る。スマホを確認すると「ヤンキース」ではなく、大樹個人に宛てたものだった。見ると、のえるからのメッセージだ。

『今どこ?』

恐ろしくシンプルなものだった。応援のお礼どころか、お祝いの返事ですらない。妙な声援を送ったことで怒りを買ったのか。いや、その前のこずえの一件か?

『学校を出たところです。お昼を食べに行きます』

思わず敬語になってしまう。強さのアピールはまたの機会に、安全を見計みはからってからだ。

だが即座に返って来たメッセージを見て、大樹はひっ、と小さな悲鳴を上げた。

『待たんかいワレ』

どうやら試合に勝ったことで帳消ちょうけしにはならなかったようだ。大樹はがっくりと肩を落とし、とぼとぼと校門に向かって引き返した。




「ここで待ってたら良いんだよな…」

校門にたたずむ大樹は不安にられていた。すでに時計は12時を回っている。応援団の女子たちはおろか、バレー部員たちも全員帰ってしまって、すっかり学校からは人の気配がなくなっている。しかしのえるだけは出てこない。


「ささっち―――っ」

もう先に帰ってしまったのか、と思い始めたころ、体育館の陰から長身の茶髪少女が飛び出して来た。とりあえず置いてけぼりだけは回避したようだ。

「ちょっとちょっとちょっとちょっとちょっと」

スポーツバッグを背負って駆け寄ってくる制服姿の少女。音源Nが定点Hに向かって秒速5mで移動するとき……と、大樹の頭の中にはドップラー効果の計算問題が浮かび上がっていた。


「いや、なに先に帰ろうとしてんのん、自分?」

「え、だって今日は人も少ないし、大丈夫かなって…」

「ウチは全然大丈夫やないねん。ささっち、ちゃんと守ってくれんと!」

「あ…ご、ごめん!」

大樹は自分の迂闊うかつさを恥じた。作戦にはのえるを一人にしない目的もあったことを完全に忘れていたのだ。今日などはむしろ危険度が高い日ではないか。

「一人で帰ってもうたかと思ってあせったわ」

あのメッセージは単に、焦りの表現※だったようだ。つくづく関西弁は難しいと思う大樹だった。続く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る