第19話・俺、なんかやっちゃいました?

「え―――」


多比石たびいしこずえの挙動が停止した。視線もまっすぐこちらには向かず、何かに助けを求めるように細かく左右に動いている。無理もない。丸腰だと思っていた相手にいきなりナイフを突きつけられた気分、とは言い過ぎだろうか。オセロゲームで、勝ち確定していると思ったら、いきなり盤面がチェスに切り替わってチェックメイトされていた気持ち、と言ったところか。


この少女は、ほんの数カ月前に受験面接で同じような質問を受けたはずである。だが相手は同じ高校の生徒だ。受験用の答えなんて通用しない。

「う、うち—―私は、その、家から通学しやすくって、その、学力的にも…」言っていることは至極しごくまともである。口ごもる必要もない。だが、それはバレーボールとも「のえるフリーク度」とも、何ら関係ない。今、彼女は、「多比石こずえ」という人間そのものを問われたのだ。本質、と言ってもいい。高校は義務教育と違って、自分で行き先を選ぶものである。その選択にはおのれの人生が関わってくる。決して誰かのファンクラブ会員になってうずもれるために来る場所ではないのだ。


恋愛もので、しばしばヒロインの取り巻きやらお節介な親友やらが、冴えない主人公に突っかかり「あんたは彼女にふさわしくない」とか、「私がテストしてやる」などと言い始めたりする。だが、あれはあくまでフィクション上の脇役として成立しているキャラである。彼女たちは決して自らの主体性を語ることはない。語れないのだ。主人公はストーリーをぶち壊しにしないためにも、彼女たちの試験を唯々諾々いいだくだくと受けなければならない。そうすればきっと彼女たちはいずれ、脇役のまま心強い味方になってくれることだろう。間違っても「どうしてまた恋愛ソムリエなどになったのか」「あなたにとって、人を好きになる資格とは何か」などと、彼女たちの主体性に踏み込むような質問をしてはならない。彼女たちは人格を与えられていないNPCのようなもので、そして、ヒロインがいないとあわのように消えてなくなる存在なのだ。


―――だが、生身の人間では、そうもいかない。


たとえのえるが明日転校していなくなったとしても、朋学館高校の新入生・多比石こずえの人生が消えてなくなるわけではない。


「多比石さん!」

大樹はかがんで目線を下げ、自分でできる最高の爽やか笑顔を見せる。それでも勢いのある呼びかけに少女は体をびくっと震わせ、一歩、後退あとずさった。

「俺も、同じだよ!」

うんうんと頷きながら、大樹は少女に全力で同意した。初撃でクリティカルが出てしまった以上、二の矢、三の矢の追撃は厳禁である。これ以上こずえを追い込んではいけない。今、もっとも大事なのは、巨大な男が幼気いたいけな少女をいたぶっているのではない、と周囲に分かってもらうことだ。あまりおびえられると、こっちがただの悪い人になってしまう。

「自宅から近いし、偏差値的にもちょうど良かったんだよね、ここ」

だが、大樹のサポートにも関わらず、多比石こずえの表情から恐怖は消えない。

「あ、あー…私、そろそろ応援に戻りますね。邪魔してごめんなさい、先輩」ぺこりと頭を下げながらそれだけ言い残し、そそくさとその場を立ち去ってしまった。

「うん、またね!」大樹はにこやかに後ろ姿に手を振った。結局彼女が大樹から聞き出したものは、彼の表面的なスペックだけだった。まだそういった分かりやすい数値でしか他人を測ることができないのだろう。彼女はいつか、大樹のもっと深い部分をのぞき込みに来るだろうか。できればそうであって欲しい、と大樹は思った。

――何だかんだで、後輩は可愛いものだ。


ひと仕事終わった感に包まれながら、大樹は穏やかな微笑を浮かべつつコートに視線を戻す。だが、彼のささやかな達成感は一瞬で吹き飛んだ。

「ありゃー…」

ちょうどのえるのバックアタックがコートを大きく外れたところだった。スコアは21-8と、七条女子が大きくリードしている。第1セットで乱れたレシーブを立て直してきたようだ。振り返ったのえるの恨めしそうな視線が痛い。

「の、のえるー、頑張れー」

とりあえず取ってつけたように背番号3に声援を送った。のえるの口が「まったく」と動いたようにも見えるが、すぐ向こう側に向いてしまった。せっかく応援に来たというのに、後ろでゴタゴタを起こして試合の邪魔をしたのだから、怒られるのも仕方ない。そうこうしているうちに七条エンドからサーブが飛んで来る。

留奈はコート外で次の交代を待っているようだ。リベロが抜けたときの朋学館のレシーブ力は極端に落ちる。のえるはレシーブもこなせるが、コート全面をカバー出来るわけではない。レシーブが乱れればトスも良い位置には上がらない。そうなると、のえるは多少無理をしてでもバックアタックを仕掛けるしかない。今回のトスもアタックラインよりかなり後方に上がってしまっている。アタックのための高さも足りない。のえる以外だと追いつくことすら難しい対側サイドだ。

「悠星の頭だと思って、打てええ!!」

大樹は手すりから身を乗り出し、そんな発破をかけた。果たしてその声が届いたのかどうか分からない。のえるはボールに向かって渾身こんしんの横っ飛びを見せる。

フッ!という気合とともに伸ばした右腕がボールを捉えた。そしてそのボールは放たれた矢のように前衛の背番号5をかすめ—―


ネットに突き刺さった。


「なっちゃん、かんにん!大丈夫やった?」

駆け寄るのえるに向かって、なっちゃんと呼ばれた5番が手を上げ平然と頷いている。ショートヘアが首の後ろまで伸びたような黒髪の女子である。のえるには及ばないものの、なかなか高身長だ。表情がやや冷たいようにも見えるのは顔立ちのせいだろうか。謝罪するのえるに対しても何だかこなれた反応であった。珍しいことではないのかも知れない。


「ダメだったか…」大樹は肩を落とした。下からムッとした表情でのえるが見上げてくる。大樹は彼女に向かって悪い悪いと手で合図した。ただ、すべて大樹のせいにされても困る。素人目で見ても、のえるのアタックは明らかに力みすぎていた。



「――あかん、ボールがニヤけたささっちに見えてもうたわ」

人知れず、ぼそっと呟くのえるだった。続く。




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