第18話・試される大樹

「そうだよ」

大樹は努めて明るい口調で答えた。悠星なら、こんな時にどんな会話をするんだろう、などと考えながら。目立つためには強くあらねばならない。だがそれは決して容易なことではなかった。悠星には「野球」という裏打ちがあるが、自分には何もないのだから。しかし今は彼をモデルにするしかない。大樹には、これといってほかに適当な引き出しがないのだ。不敵に笑い、冗談を織り交ぜて、うまくこちら側のペースに持ち込めば、この少女も大樹のことを認めてくれるのではないか。


「ええっと、あまりお見かけしないですよね?」

少女は重ねて尋ねてくる。のえると大樹が交わしていた言葉から、二人が同級生だと見抜いたうえでの敬語なのだろう。新品のスニーカーはやや大きめで、着ている制服も真新まあたらしい。と、いうことは新入生か。背丈せたけは屋上で会った先輩と同じくらいだ。眉の上で切りそろえられた前髪と後ろで一つ結びにされた長い髪、そして飾り気のないあどけない顔立ち。おそらく教室では目立たぬタイプの、真面目な生徒なのではないか。


「うん、応援は初めてだよ。実は詳しいルールも知らないんだけどね。」

笑顔を心がけながら大樹は答えた。

「へえ、そうなんですね」頷きながら少女はさっと大樹の全身に目を走らせる。なんだか値踏ねぶみをされている気分だが、おそらくその通りなのだろう。

その時、笛の音が鳴り響いた。第2セット開始である。

「おっ、始まった。」

サーブ権はこちら側のようだ。タンタンとボールを床につく軽快な音が足下から聞こえてくる。

「――戻んなくてもいいの?」

プレーが始まっても、その女生徒は集団に帰ってゆく気配がない。笑顔をキープするのは正直しんどいが、ここは粘るしかない。

「ええ、私はすぐ戻るので大丈夫です。あの—―先輩は、のえる先輩と親しいんですか?」

予想通りの質問だ。おそらく大樹の情報を仕入れて帰るのが彼女の任務なのだろう。何のことはない、偵察ていさつ要員である。のえるとどういう関係なのか、親密度はいかほどか――。のえるが大げさに大樹とのやりとりをしてくれなければ、下手をするとストーカー扱いされていたかも知れない。のえるの配慮を無駄にしてはならない。

屋上の一件とはまた違った緊張感が走る。

「うん、そう、最近親しくなったんだよ。」

「あ、ひょっとして、野球部ですか?」

「いやあ…特に部活には入ってないんだけどね」

この流れで野球部が出てくるという事は、当然悠星を意識しての質問だろう。ファンクラブ的に、彼は要注意人物といったところか。

「同じクラス、とかですか?」

「いや、残念ながら。最近たまたま—―」

大樹はいったん言葉を切った。気付くとコート上ののえるが不安げにこちらを見ているではないか。「のえる、ファイトー、集中ー!」不安を吹き飛ばそうと大樹は明るい声で声援を送った。こっちのことは心配するな、と爽やかな笑顔で二度、三度と頷き合図を送る。しかしあまり安心してもらえなかったようだ。相手側に向き直ったあとも、のえるはしきりに首をかしげている。

「たまたま、ね。のえるが副教材を忘れて探してたんで、貸してあげて。そしたらまあ、何となく仲良くなった感じかな」

当然ながらタックルのくだりは伏せておく。

「ああ、そうなんですかー、うちもそんな事があれば喜んで貸すのに。やっぱりその辺は同級生ならでは、ですよねえ」

この少女はちょっと高揚こうようすると一人称が「うち」になってしまうようだ。

「君たちはバレー部員、ってわけじゃないの?」

大樹は少女とその向こうにいる集団を指す。質問されっぱなしでは不甲斐ない。

「はい、うちらは、のえる先輩のファンクラブです!」

頬を少し紅潮させながら少女は言う。

「へえ、ファンクラブなんてあるんだ」さすがは王子様と呼ばれるだけのことはある。

「そうですよー。もし良かったら先輩も入りますか?」

「…そのファンクラブって、男の会員はいる?」

不覚にも大樹は、悪くない提案だと思ってしまった。目立ちたくない人間にとって、誰かのファンクラブほど居心地の良い場所はない。いや、むしろそういう人たちの集まりなのかも知れない。熱心に活動しているフリさえしておけば、余計なめ事や詮索せんさくから解放されるのだから。もっとも悠星たちとの作戦上、入会するわけには行かないのだが。

「いえ。ですから、今なら男子第1号ですよ!」

「おお、そうか…」

大樹は少女たちに囲まれて団扇うちわを振っている自分を想像し、軽く眩暈めまいを感じた。女子アレルギーの荒療治あらりょうじにはなりそうだが。

「まあ、さすがに居づらい気がするから、遠慮するよ」

もはや爽やか笑顔を保つのは難しい。すでにえへへ、えへ、と情けない愛想笑いになっている。

「そうですか…残念だなあ。あ、気が向いたら私に連絡ください。これ、メアドです」そう言ってその女生徒は名刺のようなものをポケットから出した。アドレスの上に「A・A・N・S 会員#18 多比石(たびいし)こずえ」と記されている。正式名称は「エースアタッカー・ノエル・サポーターズ」らしい。

「うわ、本格的なファンクラブだね」

「はいっ、カッコいいですよね、のえる先輩!」

「うん、ユニホームも今日初めて見たけど、カッコいいと思うよ」

「そうなんですよ、スタイルも完璧なんです!」

早くも会話の主導権を1年生の女の子に握られ始めていた。だが、このまま語り始められたら試合の応援どころではない。

「で、バレーの実力としてはどうなの?」

「え、先輩、見てたら分かりませんか?ジャンプもスパイクも、高校生のレベルじゃないですよ?それにあのバックアタックなんて…」

こずえはすっかり上機嫌で話している。相手が先輩だという意識すら飛んでいるかも知れない。「正直なとこ、どうしてこんな人がうちらの学校にいるのか分かりません。もっとバレーボールの名門校がいっぱいあるのに!」

「ふうん」

多比石こずえが偵察を任された理由が見えてきた。新入生ながら、バレーボール事情についても詳しそうだ。

しかし少女の、熱に浮かされたようなその言葉で、大樹は別の人物のことを考えていた。つい最近、その人について、同じようなことを感じたことがある。と言っても、彼女のファンクラブを作ろうなどとは微塵みじんも思わなかったが。

「どうですか?もし先輩も入会してくれたら、うちらが色々のえる先輩の魅力をお教えしますよ?」

冗談ではなく、本気で勧誘してくれているようだった。おおかた、珍しい男のファンが妙な気を起こさないように、自分たちの目の届く場所に置いておきたいとでも思っているのだろう。しかし一方ではろくにバレーボールの知識もない、たかだかにわかの一ファンにすぎない、と見くびられているようでもあった。


「はははは」

これじゃ強さのアピールなんて夢のまた夢だな、と大樹は己の滑稽さに笑ってしまった。こずえはそんな大樹を不思議そうに見ている。悠星モデルの戦法は大失敗どころか不発に終わった。やはり、がらにもないことをしてはいけない。


多比石たびいしさん。」


のえるには悪いが、いったん応援は中断だ。今はこの少女と向き合うしかない。大樹は小柄な少女を真正面に見据みすえて、問うた。






「――君は、どうしてこの高校に入学してきたの?」








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