第17話・男の美学・D難度

いよいよ試合が始まった。サーブは七条女子チームからのようだ。軽く助走した選手が飛び上がり、オーバーハンドのサーブを打つ。

レシーブしたのはオレンジのユニホームを着た背番号6の留奈だった。一人色合いの違うユニホームを着用するのは「リベロ」という守備専門のポジションらしい。昨夜のバレー講座で、のえるに教えられた用語の一つである。そして留奈のレシーブボールを前衛の一人がトスで上げた。間髪を入れずのえるの左腕が相手のコートめがけて振り下ろされる。ブロックも間に合わない。ドン!という重い音を残しボールは大きく敵陣で跳ね上がった。先制点だ。

「おわっ」

大樹の胸元に飛んで来た色鮮やかなボールが、目の前で手すりで弾き返される。恥ずかしいことに少し声が出てしまった。横で見ていた女生徒たちがくすくすと笑っている。大樹はへへ、と頭をいて会釈えしゃくした。ネットの向こう側ではハイタッチを終えたのえるがこちらに向かってどうだ、と言わんばかりのサムズアップをしている。大樹はのえるに見えるように拍手した。

「まさか狙ってはないよなぁ…」思わずつぶやく大樹だった。


試合は意外にもシーソーゲームの展開となった。昨夜のえるが言ったように、両者の実力は伯仲はくちゅうしているようだった。簡単に先制点を取れたように見えたが、それはあくまでのえるたちの、いわゆる「必勝パターン」のひとつだったようだ。留奈のレシーブからセッターのトス、そしてのえるのスパイクという一連の流れである。残念ながら、留奈以外の選手のレシーブは、お世辞にも上手いとは言えなかった。そのためなかなか良いトスが上がらない。のえるのスパイクは確かに高校女子としては破格の威力に見えたが、それに至るまでのボール回しが重要、ということなのだろう。

ローテーションが進み、のえるが後方に下がった。それと同時に留奈が交代し、コートを出る。このチームの強みが半減する陣形だ。しばらくは我慢の時間帯だろうか。

と、のえるとともに後衛に回っていた選手がレシーブをしそこない、中途半端にボールが打ち上がった。のえるがわずか数歩の助走でボールに向かってジャンプする。滞空時間が長い。そして、高い打点から放たれたボールが、相手コートの奥深くに突き刺さった。

「――あれがバックアタックか」

思わず見とれるほどの綺麗な弾道だった。大樹の足元のカベにボールが当たり、同時に向かい側の一団から大きな歓声が上がった。のえるが応援団に向かって手を振り、次いで大樹にピースサインをする。大樹も思わずガッツポーズを返した。応援している女子たちのざわつきが聞こえる。先ほどからの二人のアイコンタクトに気づいたのだろう、のえるではなく大樹に視線が向けられ始めた。

「いよいよ、始まったかな」

選手でもないのに、大樹の背筋にざわ、と緊張感が走る。



―――それと、もうひとつ。ええか、大樹にも覚悟が必要になってくるで。


3人の作戦を始めるにあたって、悠星の言っていたことが、脳裏に呼び起された。



「大樹は目立ちたくないタイプやろ。分かるで。でもこれからはそうも行かん。俺やのえると一緒にいたら嫌でも目立ってしまう。それだけは覚えといてくれ」



—――「出る杭は打たれる」という言葉がある。


別にこれは、人間の世界に限った話ではない。

およそ生物界で「目立つ」ことはリスクの大きい行動である。だからこそ、多くの生き物はいかにして「目立たない」ようにするか苦心するのだ。目立たないことは決して美徳ではない。弱者が天敵から身を守る「生きるすべ」に他ならない。生物全般の本能と言ってもいい。逆を返せば「目立つ」ことはイコール「強さのアピール」でもある。孔雀くじゃくの羽もライオンのたてがみもそうだ。敵を恐れず、派手に目立ち、美しさを誇るのは、往々にして強いオスの役目なのだ。

しかも「悠星と見分けてくれ」とアピールする、ということは、即ち彼と比べられることを常に受け入れるという事でもある。だが、悠星に頼んでいる立場上、この作戦を断るわけにはいかなかった。のえるも全面的に協力してくれている。本来、大樹が悠星と同等に「目立って」いれば、悲しい人違いは防げたのだから、自分だけが「いや、俺は目立ちたくないんで」と逃げ出すのは卑怯ひきょう以外の何物でもないだろう。




試合はのえるのバックアタックを機に、朋学館ペースとなった。ひるんだ七条女子のレシーブミスが目立ち始めたのだ。間を置かずに留奈もコート内に復帰し、優勢ムードが強まる。


鋭い笛の音とともに第1セットが朋学館の勝利で終了した。審判が両チームに向かって腕を回す。

「あ…コートチェンジだ」

これまたのえる講座で習った用語の一つである。セット終了時に行われるもの。と、いうことは。


「うぉーい、ささっちー!」

満面の笑みで両手を振る茶髪の少女の姿が、大樹の真下にあった。半ばヤケで大きめに手を振り返し「頑張れよー!」と叫ぶ。一昨日までのひねくれた自分からは、とても考えられない行為だった。


「のえる!」

鋭い声で円陣に呼び戻す選手の声があった。のえるはすんません、と言いながらあわてて戻ってゆく。その声の主が主将なのだろう。厳しい表情を浮かべた、おそらくは3年生だ。背番号は2で、試合中はトスを上げる役が多かったように思う。黒い髪をやはり短く切っている。円陣を見ると、長髪の選手はほとんどいない。プレーの邪魔になるのだろう。のえるは真剣な表情で2番の指示を聞いている。どうやらその上級生には頭が上がらないようだった。


「あのー…」

突然、横から女の子に声を掛けられ、大樹は驚いて振り向いた。さっきまではいなかった女生徒だ。ふと見ると対面にいた「のえる応援団」がこちら側に移動している。公式な試合であれば認められない行為だが、ここは体育館の手すり廊下である。そこまで細かいことは言われないはずだった。声を掛けて来たのはその中の一人だろう。


「のえる先輩の応援なんですよね?」


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