第16話・バレーの王子様


「制服とか着て、どうしたと大樹?今日は土曜ばい」


母が目を丸くする。故郷のなまりを懐かしんだのは啄木たくぼくだが、別に大樹は九州の出身ではないので懐かしくもなんともない。

「あ、ごめん母さん、言ってなかったっけ。昨日いっしょにいた友達からさ、学校で試合するから制服で応援に来てくれって言われたんだよ」

「へえ、試合の応援?珍しかね。私服じゃいけんとね」

「コロナ対策でね、いろいろあるみたい」

場所は高校の体育館だが、部外者は立ち入り禁止になっているのだそうだ。実はコロナ対策はかなり緩和かんわされており、むしろ今は盗撮対策としての観客規制が厳しくなっているらしい。ただそれを母に話せば、応援する相手が女の子だとバレてしまう恐れがあった。ここはコロナに濡れ衣を着せておくに限る。

「あ、試合って、ひょっとして野球の樫井かしいくんね?」母が突然色めき立つ。

「違う違う、野球じゃないよ。あいつとは別に知り合いじゃないって言ったろ。」

実は知り合って、あまつさえ行動を共にするようになったと聞けば、母がどういう反応をするか火を見るより明らかである。多少心は痛むが、大樹は「噓も方便」と自分に言い聞かせた。

「そうね。まあ、友達は大事にせんといかんばい。今度うちでご飯でも食べに来んね、って誘っとって。母さんが作ってあげるたい。」

「うん、まあ誘ってみるよ」大樹は適当に答えてスニーカーを履いた。悠星はともかく、関西弁のキツいのえるを連れてきたら、お互い言葉は通じるのだろうか。母とのえるが大きな椅子に座って、大樹が二人の間を行ったり来たりする光景が目に浮かぶ。どこかで見たような…

「あ、大樹、今日のお昼はどうすると?」

「…首脳会談」

「え、なんね?何て言ったと?」

「あっ、いや、……」そういえばバレーボールの試合とはどのくらい時間がかかるのだろう。野球やサッカーならだいたい2時間くらいだが、まるで見当が付かなかった。「いいよ、いらない。ちょっと時間が読めないから」大樹はそう言って家を出た。




制服を着ていたこともあり、身元確認もなく大樹は体育館の中に入ることができた。木材とワックス、古いゴムの入り混じったような体育館独特の匂いが大樹を出迎える。2階の手すり廊下に行くと、ちらほらと見学する生徒たちがいた。私服姿の人たちは父兄だろうか。首から入館パスらしきものを下げている。

とりあえず空いているところを見繕みつくろって応援する場所を確保する。視界を確認していると、下から少女たちの掛け声とともに、シューズのゴム底がキュッキュッと擦れる音が聞こえて来た。手すり越しに館内を見下ろすと、張られたネットの両サイドでトスやアタックの練習が始まっている。背中に「七條女子」と古い字体のロゴが入っているグリーン基調のユニホームの一団であった。上半身は長袖のジャージっぽいユニホームである。まだのえるたちは姿を見せていないので、ゲストチームの練習を優先させているのだろう。2階から見下ろす形なので正確なことは分からないが、ずいぶん小柄な選手が多いように思えた。

しばらくして反対側の手すり廊下を陣取じんどっていた10人ほどの女生徒たちから歓声が上がった。館内に朋学館高校のバレーチームが入って来たのだ。女生徒たちの声はのえるに向けられたものだった。ジャージ姿の集団の中ほどにいる彼女が2階に向かって手を振った。歓声のトーンが上がる。昨日悠星が言っていた通り、王子様あつかいされているというのは嘘や誇張ではなかったようだ。それはともかく、大樹は自分のいるところが相手チームの応援ゾーンになっているのかと少々焦った。周囲を慌てて見回したところ、どうやらそういった区域分けはされていないようだ。こちら側でも朋学館高校の制服を着ている—―主に女生徒だが—―観客が多かった。相手は遠方なので、あまり関係者も来ていないのだろう。

そうこうしているうちにコートの中の集団が入れ替わった。ジャージを脱ぎ、ユニホーム姿となったのえるたちがアップを始める。のえるに配された背番号は「3」だった。まだ大樹には気が付いていないようだ。

朋学館のユニホームは黒基調で、胸にオレンジ色のローマ字で「HOGAKU」と書かれている。七条女子の長袖ユニホームに対し、朋学館は肩口までしかない半袖であった。両チームとも下はチームカラーの短パンで、膝には黒いレガースのようなものを装着していた。

「かっこいいなぁ…」

応援団の女子たちではないが、思わず大樹も感心の声を漏らす。それほど朋学館ユニホームは、のえるの白く長い手足によく似合っていた。

アップが終わり、整理運動なのだろう、円になって軽いジャンプをしている。ただそれだけの動きで、のえるの筋力が周囲とは段違いであることが伝わってくる。あの大きな体を軽々と動かしている。そしてちょっとしたジャンプでも、空中にいる時間が明らかに長いのだ。昨日の体当たりでは脅威きょういに感じた筋力だが、味方にとってはさぞ心強いことだろう。

次いでボールを使った練習が始まり、のえるは鮮やかなオレンジ色のユニホームを着た小柄な選手とペアになってボールを回し始めた。最初はトスだけだったが、やがてのえるが打ち込み、相手がレシーブをするというコンビネーションを始めた。しかしスピードを上げすぎたのか、オレンジ色の選手がボールを後ろにそらし、そのまま壁に沿って大樹のいる方に転がって来た。のえるが手を上げて相手に謝っているようだ。気にするな、と手を振って背番号6のその選手がボールを取りに来る。

「あ、――大谷さんだ」

黒髪ショートのその顔には見覚えがある。遠目では気づかなかったが、5組の大谷留奈おおたにるなに間違いなかった。大樹と同じ理系であり、選択科目で顔を合わせることも多い。普段、眼鏡をかけている彼女は、試合に臨んでコンタクトに替えているらしく、大樹も初めは識別できなかったのだ。教室ではそこまで小柄な印象は受けないので、おそらくのえる効果エフェクトでそう感じたのだろう。ボールを拾い上げた少女が顔を上げたとき、不意に視線が合った。大樹の顔を見てえ?と一瞬驚いた表情になったが、すぐに元の場所に戻って行く。留奈が戻ったところで、今度はネットの向こう側ののえるとも視線が合った。ようやく大樹に気付いたようだ。「なんでそっち側におんねん」とでも言いたげなむくれた表情で、腰に手を当ててこちらを見ている。大樹は大げさに顔をしかめて見せ、ごめん、そっち側は無理、と手を合わせ身振りで伝えた。あの黄色い声の一団にまぎれ込む度胸はない。それが伝わったのか、大樹に向かって軽く手を上げ、にやりと笑う。二人のやりとりに留奈も気づいたらしい。のえると言葉を交わしながらこっちをちらちら見ている。週明けに会ったときには何かかれるかも知れないな、と大樹は苦笑した。



やがて鋭いホイッスルの音とともに、双方のチームが整列する。

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