第10話・君の名は。②
「大正解や」
大樹の指す先を見て、のえるがにっこりと笑う。「
「あのさ、一つだけ聞きたいんだけど」大樹は某刑事ドラマの主人公のように人差し指を立てる。
「ウチに?なに?」問い返すのえるをそのまま指す。
「俺は、なんて呼んだらいい?」距離感を自分で測れないところが陽キャとの違いなんだろうな、と大樹は
「あー、ささっちがウチのことを、やな?」
「そうそう。えーと、ミズマッキー、とか、みずっち?」少なくとも『
「は?何言うてん」しかしその候補はまるで受け付けられなかった。すうっと細められた目でのえるが即座に却下する。思えば今日の昼間に大樹が爆笑したときも、たしかこんな目で見られていた。この目は危険信号としてインプットしておこう、大樹はそう思った。
「そんなん決まってるわ。普通に『のえる』でええやん。」
「決まっていたのか…」苗字しばりは必要なかったのだ。このあたりの基準がよく分からない大樹だった。
「わかった。じゃ改めてよろしく、のえる」
実際に声に出してみると、小学生の頃と違って、女子の名前呼びはけっこう恥ずかしいものがあった。いったい何年ぶりになるだろうか。
「うんうん、よろしゅうささっち」
だが、彼女の満面の笑顔を見る限り、こちらが慣れればいいだけの話、なのだろう。
ちょうど混み始める時間帯らしく、店内は若いカップルや小さな子供を連れた家族連れで賑わっていた。カウンター席は少なく、ほとんどすべて4人以上の客が座れそうなテーブル席であった。ソファー席の背もたれの上には、コロナ対策と思しき透明なアクリル板が設置されている。入店した二人は、ウェイトレス姿の店員に窓側のファミリー席へと案内された。慣れた様子で、のえるが先にどっかりと腰をかける。けっこうな振動が起き、アクリルの板が揺れた。奥のテーブルに座っていた若いカップルの女性が驚いてこちらを見るが、のえるは気付かないようだった。
「あ、すみません!」慌てて大樹はアクリル板越しに、カップルに謝った。
「え?…あっ、どうも」大樹の反応に気付いたのえるが驚いて振り返り、ぺこぺこと頭を下げる。
女性客はくすくすと笑いながら会釈を返した。どうやら一緒にいる男性も気分を害した様子はなさそうだ。
「…かんにん」のえるがヘコんだように小声で謝った。
「いいよいいよ。ほら、俺らって、ちょっとした動きが影響デカかったりするからさ、気を付けようぜ」
大きい人あるあるであった。
何もしていないのに相手に威圧感を与えて怖がられたり、廊下で必要以上に邪魔もの扱いされたりと、体が大きいことは決して良いことばかりではない。
「はああ…」のえるは大きなため息をつく。
大樹としては、それほど強くとがめた気もなかったのだが、思ったよりダメージが大きかったようだ。
「カッシーが増えよった…」
「何だそりゃ」
「ウチな、あの男にも、いっつも怒られてんねん。」
まるで叱られた小学生のようにのえるがしょんぼりとする。
「そんなこと…」と、言いかけて、大樹は思わず得心した。「あ、なるほど、言われてみればそんな感じだったな」
今日の二人を振り返っても、悠星の小言のシーンしか思い浮かばなかった。
「そうや。朝から晩までいけずばーっかり言いよるんや」
そう言いながらコートを脱ぎ、傍らのカバンの上に掛ける。中身は昼間に見たのと同じ、ジャージ姿であった。
「いけずって……ま、まあ、悠星も心配して言ってるんじゃないか?」
なんで自分が彼のフォローをしないといけないのか、大樹自身もよく分からなかった。
「それはまあ、分かんねんけど…」のえるは店員がメニューとともに持ってきた水を一口、ごくりと飲んだ。「でもやっぱりどことなく似てるなぁ、自分」しげしげと大樹を見ながら言う。
「俺はそれほど似てるとは思ってないけど、そうらしいね。後ろから見たら見分け付かないって言われるよ」
実はこれまで何度か髪型を変えたりして、ささやかな抵抗を試みたが、
「あ…その
のえるが思い出したようにテーブルに手をついて謝る。思えば彼女の標準語を聞いたのは初めてではないだろうか。
「びっくりしたよ、あれ」くっくっ、と喉の奥から笑いが漏れた。すでにのえるに対する怒りはかき消えている。自分でも驚くほどだった。
「似てる人がいる、いうのは聞いててん。でも2-1の教室の前やし、まさか別の人やとは思わんかったわ。かんにんな。」
「いいってば」大樹は手を振った。
「あ、そうや、あとこれも!忘れるところやった」
のえるがカバンを開け、英文問題集を取り出した。
「お、そうだ。俺も半分忘れてた」
二人は顔を見合わせ、互いに失笑した。
「さ、今日はウチのおごりや!ささっち、何でも注文してええで」
メニューを開いて見せ、のえるが豪気なことを言う。
「いやいやいや、それはさすがに悪いよ」とは言うものの、昼からろくなものを食べていない。さっきから漂うファミレス特有のグリルの匂いに、空腹を刺激されっぱなしだ。
「ええてええて、ほら、ウチの気が変わらんうちに」と、メニューを押し付けられる。
「…わかった。じゃ、せっかくだからお言葉に甘えよう!」
これ以上遠慮していると腹の虫が盛大に鳴りそうだった。とりあえず、と大樹は安くて食べ応えのありそうなものを選び始めた。
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