第7話・決戦は金曜日

「はい、これ」

大樹がなんとか真顔を保ちつつ、のえるに問題集を渡す。

「――おおきに」のえるが口をとがらせて礼を言った。細められた眼からは、ひんやりとしたものが感じられる。クールぶっていた大樹の化けの皮が剥がれ、彼女の不興ふきょうを買ってしまったようだった。

「まあでも、ほんまにおおきにやわ。放課後、忘れんと返しに来るさかいな」

受け取った問題集をパラパラめくりながら、のえるがいたずらっぽく肩をすくめた。有難いことに、機嫌の悪さが長続きしないタイプのようだ。

「放課後――」しかし大樹はその言葉に眉をひそめ、悠星の方を振り向いた。

「いや、放課後はあかん。俺と大樹で急ぎの用事があるんや。」大樹に代わって悠星が言った。

例の手紙の主は放課後、間を置かずに屋上に来そうだった。悠星が考えた作戦のためには、二人が先回りする必要があるのだ。

「え、あかんの?」

「あー、そうだなぁ…うん、返すのは明日の朝でいいよ」大樹は言った。正直なところ、特に今日の午前中の授業内容は早めに見返しておきたかったが、状況が状況だけに仕方ない。

「あのー、明日は土曜日やねんけど」

「!!」のえるの指摘に、大樹はしまったという顔をする。

「意外とうっかりさんやなぁ、ささっちは」のえるはふふんと鼻を鳴らした。いつの間にやら、彼女から新たなニックネームまで頂戴ちょうだいした様子である。

「…なあ大樹、ちょっと遅くなるけど今日の夜、この3人で集まって話、せえへんか?」不意に悠星の声が真剣味を帯びた。

「え?ウチも?」その言葉にまず反応したのはのえるだった。

「そうや。お前も当事者の一人やで」のえるに言って大樹に向き直る。「俺ものえるも部活があるからな。大樹は?どっかに入ってんのか?」

「いや、俺はどこにも入ってないけど…」

「そうか。そんなら無理にとは言わんけど、最近の大樹のゴタゴタについて、ちょっと説明しとかないかんと思ってな。」

そう言って悠星は手紙の入っている大樹のポケットを指した。そういえば、人違いの告白が増えている理由に、悠星は何か心当たりがあるようなことを言っていた。

「――わかった。今日は残って、図書館で復習でもしとくよ。部活が終わったら連絡してくれ。」異常事態の原因が分かるなら居残りなど安いものだ。大樹は内ポケットからスマホを取り出す。

「集まるって、いつもの店やんな?なら、ウチが先に案内して2人で待っとくわ」悠星を制して、のえるが自身のスマホを起動した。「バレー部、今日はたぶん早めに終わるさかい」


それでいいか?と視線で問う大樹に、悠星は頷いた。



「――お帰り。何か買えたの?出たり入ったり、ずいぶん忙しそうだったけど」

昼休み終了の予鈴とほとんど同時に戻ってきた大樹へ、まどかが怪しむように尋ねた。

「いや、結局、なんにも。次の授業、腹が鳴ったらごめん」ぐでっと机に突っ伏しながら、大樹は答えた。

「用事はすんだ?」

「まだ。ていうか、何か長引きそう」顔だけを円のほうに向ける。

「あの――、さっき来てた人たち、前からの知り合い?」

「いや、そういう訳じゃないけど…どうしたの?」

大樹は体を起こし、改まった態度で言う。いつもより踏み込んでくる委員長に違和感があったのだ。これまでもそれなりに会話をすることはあったが、二人には一定の距離感があった。

「佐々岡くんさ、午前中、あんまり真面目に授業聞いてなかったでしょ」

「あ…バレてた?」

「気にしてたじゃない、それ」

そう言って委員長が指したのは、大樹のポケットだった。どうやら授業中に封筒を調べていたのを見られていたらしい。

「まさか脅されたりとか、してないよね?」

「え、俺が?」

「さっき来てた人って、野球部の樫井くんたちでしょ?」

「うん、そうだけど…よく知ってるね」

「まあね。有名人だし。で、大丈夫なの?」眼鏡の奥の眼光が鋭さを増す。「可愛い封筒で呼び出されて、何かタカられたりとか…ひょっとして、パシリみたいなこと、させられてない?」

「あ…あー…そういうことか」大樹は納得したように頷く。「心配してくれたんだ、ありがとう委員長」

さすがは委員長、観察力が高いと言うべきか、クラスメイトのいざこざの匂いに黙っていられなかったようだ。そう思うといつもはいかめしく感じる彼女の風貌も、何だか頼もしいものに見えてくる。現金なものだった。

「心配ないよ。そこまで深刻な話じゃないし。問題集も連れの子が忘れたからって、少し貸しただけ」大樹はそう言って笑った。

「ふうん…うん、まあ、その様子なら大丈夫そうね」大樹の言う事にウソがないか表情をうかがっていた円が、ようやく頬の力を緩める。

「確かにゴタゴタはしてるけど、あの二人はどっちかって言うと協力者みたいなもんだからね」

さすがに詳細を説明するのははばかられるし、その時間もない。それでも二人の印象が悪くならないように、大樹は最小限度、言葉を選びながら円に伝えた。

「うん、了解」円が安心したように頷いたとき、5時間目開始のチャイムが鳴った。


――しかし二人とも、典型的な陽キャだったな。


大樹は昼休みのやりとりを思い返す。

のえるは大樹と悠星の仲が良さそうに見えると言った。もし本当なら、それはおそらく悠星の卓越したコミュニケーション能力のなせるわざだ。彼が大樹と同じような性格だったら、あの短時間であそこまで距離を縮めるのは不可能だっただろう。

――やっぱりモテるのは、それなりの理由があるもんだなあ…

自分の中身を否定されるようなのは悔しいが、それよりも悠星の人柄を知ることができたことは収穫だった、と大樹は思う。実際に会ってみたら、失礼だが彼もそこまでイケメンというわけではなかった。もし自分もコミュ力を磨いたら、彼のようにモテるだろうか。

「……無理か。」

二人のように屈託なく笑っている自分というものが、どうにも思い浮かばない。大樹はつまらない考えを振り払うようにかぶりを振る。


「さて、あと1時間…もってくれよ、おいらのお腹」

次の休み時間、ジュースでも売れ残りでも、口に入るものなら何でも買ってやるからな、と大樹は腹をさすった。



―――そして、放課後。


週末のショートホームルームも長引くことなく終わり、大樹は終わりの礼もそこそこに教室を飛び出し階段めがけてダッシュする。週末の解放感で普段よりにぎやかな生徒たちをかき分け、まずは2年1組で悠星と合流だ。

「お、来たか」彼の教室に着いたとき、すでに悠星は出口から顔をのぞかせていた。た。

「じゃ、ケータロー、さっき言った通りや。すまんけど監督にちょっと遅れる言うといてくれ。」

教室の中に向かって悠星が、おそらく同じ野球部員だろう、男子生徒に伝言を残した。「ケータロー」と呼ばれた生徒が、荷造りをしながらおう、と頷く。


悠星と大樹。はたから見ればまるで双子のような、よく似た背格好の二人が、競うように階段を駆け上り、屋上を目指す。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る