第6話・通行の邪魔。


「かんにん!ほんまに、かんにんや!」


手を合わせてしきりに頭を下げる茶髪の少女。わりと顔立ちは整っているが、表情がコロコロと変わるせいか幼さを感じさせる。上下ともゆるいジャージで、履いているのは学校指定の上履きではなく体育館用のシューズだ。良く言えばボーイッシュ、悪く言えば色気のかけらも感じさせないちだった。ジャージの上から腰に巻かれている、いや、着用しているスカートがなければ、性別の判断すら迷うかも知れない。大樹は渋い顔で背中をさすりながら記憶の糸を手繰ってみる。そういえば、女子のバスケ部かバレー部のクラブ紹介だったろうか。部員が体育館の壇上にずらりと並んだ際に、一人突出して背の高い女の子がいたような気がする。顔までは覚えていないが、今にして思えば、それが平謝りしているこの少女だったのかも知れない。決して太ってはいないが、いわゆる「恵体」というやつなのだろう。ジャージ越しにもスポーツでしっかり鍛えられた均整な体つきが見て取れた。大樹を軽く吹っ飛ばしたのもうなずける話だ。



「自分からぶつかっといて誰?て、うはは、バカすぎやろお前、ひひっ、くっ苦しい、息が、息でけへんっ」


少女に対する怒りのピークは去り、どちらかというと今は笑い過ぎて苦しんでいる悠星のほうにいらつく。ただでさえ注目を浴びやすい体質の彼が笑い転げたおかげで、何ごとが起きたのかと周囲は黒山の人だかりだ。こうなると、いい見世物になってしまった少女が気の毒ですらある。

「おい、笑いすぎだぞ」チッと舌打ちしながら、大樹は小声で悠星を叱りつけた。だが彼の笑いはなかなか止まらない。よほどツボってしまったようだ。


「ああ、いいよ、もう。別にわざとじゃないんだし。用事があるのはこっちの方でしょ。それじゃ。」これ以上目立つのは御免ごめんだった。謝り続ける少女に向かってぞんざいに手を振り、ようやく笑いがおさまりつつある悠星を指して、大樹はそそくさと立ち去ろうとした。

「くふっ、ふうーっ、まあ待て待て、大樹」

「—―!」

悠星が肩で息をしながら、大樹の手をぐいっとつかんで引きとめた。本人はそれほど力を込めているつもりはないのだろうが、大樹は瞬時に振りほどくのをあきらめた。さすがは野球部の主軸打者、たいした握力あくりょくである。

「…なんだよ」

「せっかくやから紹介しとくわ。俺と同中おなちゅうの『のえる』や」


「…水槇みずまきのえるです」

うなだれたままで少女はそう名乗った。悠星と違って深く関西弁がみ付いたアクセントだった。悠星は彼女が同じ中学校だと言ったが、それ以前は、もっと大阪の近辺で住んでいたのかも知れない。

しかし、それはともかく。

「せめて…場所を移そう、二人とも」

大樹はあきらめ口調で言った。この衆人環視しゅうじんかんしの中で自己紹介するのは彼にとってハードルが高すぎる。それに、図体の大きな3人が廊下の真ん中で話し込むのは迷惑きわまりない。

「…それもそうやな」悠星が周囲を見回して頷いた。


「ここなら、まぁ、いいか」

二人を引き連れて階段の踊り場までやって来た大樹は、奥側のコーナーに身を預け、階段の上から誰かやって来ないか確認する。さすがに踊り場に来てまで露骨に野次馬をしようというやからはいないようだ。

「じゃ、改めて、やな。こっちは2組の水槇のえる。これでも女子バレー部の副キャプやで」悠星が若干失礼な物言いで肩をそびやかした。

これでもってなんやねん、と茶髪少女がぶつくさ言って口をとがらせる。

「そんで、のえる、こっちが4組の佐々岡大樹。俺とよく間違えられて、散々な目にあってる人や」そこまで言って、また悠星がくっくっと思い出し笑いを始めた。

「まだウケてんのか、悠星」大樹が呆れたように言う。

「なあ、さっきからおもててんけど…」悠星と大樹を見比べていたのえるが、不思議そうに尋ねる。「自分ら、仲ええの?今までいっしょにおるとこ、見たことないんやけど」


のえるの質問に、二人は同時に顔を見合わせる。先に答えたのはニヤリと笑った悠星だった。「おう、めっちゃ仲ええで。長い付き合いやから、なぁ大樹?」

「そうな。もう、かれこれ30分くらいになるか」冗談に動じた様子も見せず、大樹はしれっと答えた。

「へえぇ~…え?」一瞬納得しかけて、驚きの表情を見せる。「30分て…」

「本当にそのくらいだよ。話したいことがあったもんで、この昼休みに俺が2-1に会いに行ったんだ。」少女の素直すぎる反応に、思わず頬がゆるみそうになるのをこらえながら説明する。

「で、のえる、俺に何か用事でもあったんか?」に落ちない表情ののえるに悠星があらためて問いかけた。

「あっ、そうや、忘れるとこやった、問題集!英語の問題集、貸してもらいに来たんやったわ!カッシー、持ってへん!?」

「問題集てことは、論理表現の方か…今日は俺らのクラス、そっちはなかったからなぁ。たぶん誰も持ってきてないで。」

「うわ、最悪や、文系全滅やんか…」

「のえる、お前忘れもん多すぎやぞ。こないだもケータローからコンパス借りてったやろ。あれ、ちゃんと返したんか?」

「うるさいなぁ、今それ言わんでええやん」大樹をちらちら気にしながら、のえるが抗議の目で悠星を睨んだ。

「まあ、今日はあきらめろ。もう素直に怒られるしか…おっ、そうや、大樹、そっちのクラスはどうやった?」

いきなり振られた話題に、驚いた大樹の眉がぴくりと上がる。

「俺?…ああ、今日の4時間目、論表だったよ」

「えっ、ほんまやの?あの、えっと…いや、でもさすがに…」

「貸そうか?」言いよどむのえるに、先回りするように大樹は言った。

「ええの?…うん、ほな、おおきに!なんやぁもう、自分、もっと怖そうな人かと思てたわ」のえるがホッとしたように胸をなでおろした。

「よかったなあ、のえる。体当たりした甲斐かいがあったやんか」

「まあ、こっこれも何かの?え、縁、だし」大樹の声が上ずる。「ぶふうっ」限界だった。とうとう吹き出してしまった。「あははっ、しまった俺まで、ははっ、くっそ、悠星、さっきからお前絶対に、はは、狙ってるだろあはははは!」


してやったりと胸をそらせる悠星。やっと自分の教室に帰れそうだと油断したのがまずかった。大樹の笑いの防波堤が、ついに決壊してしまったのである。続く。

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