第5話・衝撃の出会い


「?」


可愛らしいピンクの封筒を手にして狼狽うろたえ始める大男の姿を、しばらくの間、大樹は不思議なものに見つめていた。確かにこの時世、ラブレターという手段は珍しい。しかし悠星ほどの人気者ならば、一度や二度は受け取ったことがあるはずだった。


「いや――でも、え?えええ!?」

せわしなく封筒と大樹とを行き来する悠星の視線。大樹はようやく、ある事に思い至った。

「ち、違っ、違う!俺じゃない、俺からじゃない!!」


大慌てで否定する大樹を見て、悠星はほーっ、と胸をなで下ろす。

「んだよ、お前、もう――驚かせんなや」

「ご、ごめん、これは、俺の渡し方が悪かったな、ごめん、はは、は」

とんでもない勘違いに、大樹は愛想笑いしか返せなかった。


「――で、これ、どういうこと?」

ふーっ、と一息ついて落ち着きを取り戻した悠星が、改めて尋ねた。

「実は今朝な、これが俺の下駄箱に入ってたんだよ」

「うん…で、どうしてそれを俺に?」

「あー、それ、宛て名が書いてないんだけど、多分樫井あてなんだ」

「なんで?」

「まあ、内容的にな」

「…ちょっと、中、読んでみていいか?」

「どうぞどうぞ」

悠星が中に入った便箋を取り出す。その手には、あちこちにマメができていた。そしてそのマメも過酷な練習で繰り返し潰れたのだろう、絆創膏ばんそうこうの汚れの跡が幾重いくえにも残っている。

「うーん、これだけかぁ、本当に俺あてかなあ?」

さっと目を通して、悠星は首をかしげた。

「差し出し人の名前すらないんだけどな。まあ、少なくとも俺は誰かに『頑張ってるところ』なんて見せた覚えはないし、たぶん樫井なんだろ」大樹は肩をすくめて見せた。

「悠星」

「え?」

「俺のことは悠星でええ。みんなそう呼んでる」

「おお、そうか…分かった、悠星な」

いわゆる体育会系の陽キャの特徴なのだろう。自分と違って相手との距離を詰めるのが速い。大樹は人懐ひとなつこい彼の笑顔を見てそう思った。

「佐々岡は、下の名前は?」

「ああ、俺は大樹…『たいじゅ』で「ひろき」だ」

「なるほど『ひろき』か…、よろしくな大樹。」名前を聞いた悠星は、どこか納得したように頷いた。

「ん、まあ、よろしく。でな、これ、今日の放課後って書いてたから、急ぎで渡しとかなきゃと思ってさ。」

「うーん…」悠星が、もう一度文面に目を落とす。

「あのさ、俺はぶっちゃけ告白とかされたことないんだよ。そういうのには縁がないの。」釈然しゃくぜんとしない様子の悠星を納得させるために、大樹は先ほどにごした部分をはっきりと伝えた。

「ふうん。だから、今回も違う、と」

「そう」

「でもなあ…」悠星はなおも食い下がる。「名前もない手紙が大樹の下駄箱に入っていたわけやろ。それで俺が屋上に行ったとして、もしこれが本当に大樹宛てやったら、相手はなんでやねん!ってならんか?」

「う…」今度は大樹が絶句する番だった。


「じゃあ、どうすりゃいいんだ」

「そうやなぁ…」

デカい男が二人、小さな封筒をめぐって、腕組みして悩み始める。ややあって悠星が顔を上げた。

「まあ、とにかくまずは大樹が屋上に行きぃや。それで違ったら違いますよ、でええやん」

「それしかないか…けっこう気まずいんだよ、あれ」悠星の提案に、はあっと一つ、大樹はため息をつく。

「?」大樹の愚痴ぐちに悠星が反応した。「…ひょっとして、今までにも似たようなことがあったんか?」

「うん…何回か、な。特に2年になってからがひどい。ま、ラブレターてのは初めてだけどさ」返された封筒をポケットに戻しながら大樹は答えた。

「あ…あー…そうか…それはすまんやったな」

何か思い当たるふしでもあるのか、悠星の表情が曇る。

「いや、別に悠星が悪いわけじゃないだろ。間違えるほうが悪い。」

「それはそうやけど…よし、ほな、こうしよう!」

悠星が何やら妙案を思いついたらしい。二人は首を突き合わせて、放課後の打ち合わせを始めた。


――――そして数分の後。


「じゃ、放課後な」悠星が手を振って教室に戻ってゆく。

「おう、それじゃ」

さくっと封筒を手渡して終わるはずだったが、ずいぶん時間を食ってしまった。大樹はこれから昼食を調達しなければならない。

「…もう売れ残りすらないかなぁ」

空腹感と、ちょっとした絶望感とともに、大樹が階段に向かって歩きはじめた、まさにその時だった。


「カッシー、ウェ~~ッス!!」


ダダダ、と背後に迫りくる足音とともに、威勢いせいのいい掛け声が大樹の耳に届く。

明らかに自分に向かってくる騒々しい声の主に、振り返って人違いだと告げる間もあらばこそ、であった。

ドスンッ、というすさまじい衝撃が、大樹の背中を襲う。


「ぉがはッ!!」

自分でも聞いた事のないような、肺から直接押し出された声とともに、大樹の体は、文字通り宙を舞った。


空中で足掻いたその両足が、どうにか地面を捉え、二歩、三歩、とたたらを踏み、ようやくのことで体勢を立て直す。

膝や腰を痛めるリスクを考えると、バランスを大きく崩したときには、むしろ綺麗きれいに受け身を取りながら転んでしまった方が安全である。もちろん大樹もそれは承知していた。しかし、彼のプライドがそうさせなかった。


何故なら。


背後から掛けられたのは、快活な女の子の声だったのだ。


「ふぬっ!」かろうじて男子としての矜持きょうじを失わずにすんだ大樹は、ぐっと背筋を伸ばして振り返った。踏ん張った顔はそのままに、ちょうど相手をにらみつけるような表情になってしまったのは、まあ、致しかたないと言えよう。振り返る大樹の視界に飛び込んできたのは、茶髪をショートカットにした女生徒の姿だった。右肩を前のめりに突き出して愛くるしい笑顔を見せている。その光景に、大樹は自分を吹っ飛ばした強烈な衝撃の正体が、女生徒の挨拶あいさつがわりのショルダータックルであったと知る。だが特筆すべきは大柄という表現では足りないほどの、その体格であった。直立していないので分かりづらいが、180cm強の大樹とほとんど同じか、それ以上の身長を誇っているように思われた。


「やー、ごめんやけどウチ、6限目が英語でなぁ、たぶん当たる番やねん。」茶髪少女は、大樹が振り返った後もしばらくの間、異変に気付かず自分の用件を喋り続けた。

「カッシー、問題集持ってへん?あったら…貸して…もら……」

そしてそれはやがて、さながら通信状態の悪い動画のようにゆっくりと静止する。


「おー、どうした、なんか用事かー?」

その時、教室の中から、暢気のんきな男の声が聞こえてきた。先ほど入って行ったばかりの悠星が、女生徒の声を聞きつけて戻ってきたようだ。

「あれ、カッシー…」

ギギギ、とびた機械のように教室の中を見て、再びこちらを向く。その瞳は驚きで大きく見開かれている。

「え――誰?」


その女生徒の問いかけに、大樹は全身の力が抜けてゆくのを感じながら、言った。


「――こっちのセリフだ。」

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