第4話・邂逅

4時限目の終わりを知らせるチャイムが鳴る。いつもならばそれは、授業の終了とともに購買のパン争奪戦開始を告げる合図でもあった。何名かの生徒は廊下にダッシュをかけるべく身構えているが、英語教師はまったく意に介していないように平然と長文の説明を続けている。時間よりも区切りを重視するタイプの教師は彼だけではないが、昼休み前にそれを発揮されるのは困ったものである。正直、そんな状況で授業を進めたところで、集中力を欠いた生徒の頭には内容が入ってこない。弁当持参組はあきらめたようにノートを取っているが、購買ダッシュ組は廊下から聞こえる他のクラスの生徒たちの足音に気が気ではない様子だ。


「――では、ここまで。」

チャイムから3分ほどを超過して、ようやく教師が4限の終わりを告げた。待ちかねたように数名の男子生徒が廊下へ飛び出して行き、遅れて何名かの女子がその後を追う。しばらく購買組の後ろ姿を眺めていた大樹はポケットの感触を確かめつつ、やおら立ち上がった。


「佐々岡君、今日は弁当じゃないんだ」

隣の席の「委員長」こと宗方円むなかたまどかがカチャカチャと弁当箱を取り出しながら言った。中学校時代、陸上で鍛えたという彼女は男の大樹から見ても、わりとがっしりした体格をしている。分厚い眼鏡をかけ、長い髪を真ん中分けにしてきっちりと編み込んでおり、その髪型は未だかつて乱れたことがない。真面目を絵に描いたような円は、定期テストの成績も大樹の知る限り常に学年トップである。決して人目を引く美人ではないが、彫りの深いエキゾチックな顔立ちで、怒り眉に鋭い眼光をあわせ持つため、他者を寄せ付けない雰囲気の持ち主。そんな彼女は、しかし、大樹にとっては気軽に話せる数少ない女子でもあった。円の言った通り、大樹は弁当を持って来ることが多い。しかし昨夜のように父親が夜中に突然帰って来ると、弁当のおかずになるはずだった残り物食材が、晩酌のアテになってしまうのだ。

「うん、早めにパンを買う予定だったけど…先にすませときたい用事もあるし、今日は売れ残りでなんとかするよ」

「――そう。困るよね、ああいうの」そう言って円は、教室を出ようとする白髪頭の教師へ視線を送った。

「だね。」苦笑しつつ大樹は席を離れる。


朋学館高校では、学年の人数によって変動もあるが、おおむね文系が1~3組、理系が4~6組と決まっている。大樹の所属する2年4組は校舎の1階、理系フロアである。これから彼が向かうクラスは文系の2年1組だ。階段を上がって2階の文系フロア、ちょうど4組の真上である。文系クラスには体育系の部員が多く、ゆえに活発な雰囲気に包まれている。2階に上がってきた大樹は、なんとなくアウェーな雰囲気を感じつつ、「2-1」とプレート表示された教室の前方から内部をのぞき込んだ。半数以上の生徒がクラスの中で弁当を広げているが、目当ての樫井悠星がいるかどうか、はっきり判らない。大樹は教室後方のドアに回り、そこを通る生徒に声を掛けることにした。やがて、数名の男子が連れ立って、おそらく目的のパンが買えたのだろう、上機嫌で購買から戻って来た。

「あ、ごめんごめん、ちょっといい?」

大樹はその中でも最も活発そうな男子生徒に声をかけた。

「おう、何?」

髪を茶色っぽく染め、少しやんちゃに見えるその生徒が、初対面の大柄な大樹に対してもまったくおくした様子なく応じた。彼の大きめに開いた学生服の胸元からは、派手な柄のシャツが顔をのぞかせている。あるいはこのグループのボス的な存在なのだろうか。

「このクラスの、えっと、野球部の樫井かしいに用事があるんだけど、今、いるかな?」彼の手にあるパンに物欲しげな視線を送らないように気を付けながら、大樹は尋ねた。

「ああ、悠星か。あそこに座ってるよ」ほら、と言いながら指をさす。

示された教室の奥の方では、何人かそれらしき生徒が談笑しているが、どれが当人なのか、はっきりと分からなかった。

「ああ、いいよ、呼んできてやるから」

まごつく大樹にそう言い残して、その男子生徒はスタスタとクラスの中に入って行った。彼はわりと面倒見の良いタイプなのかも知れない。「あっ、ありがとう」大樹はその背中に慌てて礼を言った。

教室の奥の方で、声を掛けられた生徒が、二言三言、派手シャツ男子と言葉を交わし、こちらを向く。大樹は、彼に向かって小さく手を挙げた。


――やっぱりデカいな。

座っているときは分かりづらかったが、立ち上がってこちらに向かってくる生徒を見ながら、大樹はそう思った。最初は何者だろうといぶかしんでいた樫井の表情が、大樹に近づくにつれ、合点のいったものに変わってゆく。


「佐々岡、だろ?えーと、たしか理系クラスなんだよな?」

こちらが名乗ってもいないのにいきなり言い当てられた。

「そうだけど…話したこと、あったっけ?」少し面食らったように大樹は訊き返す。

「いやあ、ないない、初めてや。同じ学年に、俺に似てるヤツがいるって聞いてたからなぁ」樫井悠星は破願はがんして、少し関西弁の混じる口調で言った。「――で、俺になんか用事があんの?」

「うん」大樹は頷いた。「渡したい物があるんだ。ちょっとだけ、こっちに来てくれるか?」すでにクラスの中から、二人は好奇の目に追われ始めていた。目立つのが苦手な大樹は、小さく手招きをして教室のドアから離れ、廊下の窓側に彼を誘導する。


「――これなんだけど」

廊下を行き交う生徒たちの目に付かないよう、こっそり大樹は例の封筒を取り出し、悠星に手渡した。


「おう…って、え?お、おいっ!」

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