第2話・佐々岡家の朝
「おはよう大樹、お父さん、帰ってきとうよ」
シュレディンガー告白から数日が過ぎた金曜日の朝。
寝ぼけ眼をこすりつつリビングにパジャマ姿で現れた大樹に、母が朝食の準備をしながら声をかける。
九州の出身である母は、関西での暮らしが長くなった今もなお郷里の言葉が抜けきっていない。母の言葉に促され、大樹がリビングに目をやると、父がソファで新聞を広げていた。
「ん、おはよう母さん…父さんも」
「おう、おはようさん」父が新聞に目を落としたまま返事をする。このところ会社の仕事の都合で出張が多い彼は、半ば単身赴任のような多忙な生活を送っている。昨夜はおそらく大樹が寝ついたあとの深夜にでも帰宅したのだろう。
「大樹、お前の高校が載ってるぞ」
そう言って父がかざした紙面には、確かに大樹の通う高校の名があった。「迫る夏・白球をつかめ」と題されたその特集記事には「4」のナンバリングがされている。おそらく注目校を持ち回り的に取り上げているのだろう。記事の中では何名かの主力選手が顔写真付きで紹介されており、いくつか大樹も見知った顔がある。しかしそのうちの一人は、あまり朝から見たくない顔であった。
「あ、本当だ。…ま、俺には縁のない世界だけどね」
興味なさげな大樹の返事に、父はそうか、と答えて再び新聞を読み始める。
大樹の通う
「しかしこの子、お前によく似てるな」
少し感心したような声で父が言う。その指し示す先にあるスポーツマンらしい爽やかな笑顔は、しかし、まさしく大樹が今、一番見たくないものであった。
「そう?映り方とかじゃない?実物、知ってるけどそこまでは似てないと思うよ」
正直なところ、この話題を広げたくない大樹は不愛想にそう答えた。知っているとはいえ、直接会って話したことなどない。向こうだって大樹のことを認識しているかどうか、怪しいものである。ただ、本当に大樹自身は、自分と彼とがそれほど似ているとは思えなかったのだ。
「へえ、どの子ね?母さんも見たかー」
しかし二人の会話に興味を持った母までが、手を拭きつつ台所から出て来てしまった。「あ、本当、『
母のテンションに比例してディープになる九州弁に、思わず大樹は顔をしかめる。慣れた大樹はともかく、関西育ちの友人などにはまるで理解できない言語らしい。佐々岡家に遊びに来た彼らから、「なあ、お前の母ちゃん、今なんて?」と、何度尋ねられたことだろうか。
それはさておき、大樹が見たくないその顔写真の下には「三塁手・
実はこの男こそが、最近の大樹を苦しめる元凶なのだ。とは言え、実際にほとんど面識もなく、直接危害を加えられたわけでもない。したがって、彼に怒りの矛先を向けるのがお門違いだという事は、大樹だって充分に承知している。
「ねぇ大樹、母さんも本物見てみたかー、こん子と
別に
「あまり無理言うな、母さん。これだけ部活を頑張ってたら、そうそう友達の家に遊びに来るヒマなんてないだろう。それより大樹、そろそろ受験先は決まったのか?」大樹の様子を見て何か察するものがあったのだろう、父がやや強引に話題を変えてくれた。それは助かるのだが、何も受験の話題でなくても良さそうなものである。
「ああー、うん、まだ理系クラスの授業が始まったばかりだから。自分のレベルとかもはっきりとは分かんないよ」苦笑いを残して、大樹はようやく洗面所に向かったのだった。
「そうね?こんだけ似とるのに、もったいなかねー。瓜二つやっち大樹を生んだ母さんが保証するばい」未練がましい母の興味の対象は、息子の進路よりもまだそっくりさんから離れられないようだ。一体全体、何がどうもったいないのか。その保証は誰のために、何の役に立つというのか。ツッコみはじめるとキリがないと思う大樹は、大げさに水音を立て母の言葉が聞こえないフリをしたのだった。
※母「あ、本当、『樫井くん』ですって!まあ、よく似てらっしゃるのね」
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