第6話 ゴードン・アルム・セレバンの手記

『マールクント伯爵家守護騎士、ゴードン・アルム・セレバンの手記』


 夕食を済ませて夜番に立とうという時に、執事からお触れが回されてきた。閣下が外出なさるので供を勤めるように、と。……ブロウニン商会の使いが来たのを見て、嫌な予感はしていたのだが……

 急ぎ、馬車を仕立てて待つ事しばし。既にシワの目立つ相貌を興奮気味に染めた伯爵閣下が、いそいそと馬車へ乗り込んだ。急いで使ったのであろう、香水の匂いが鼻を突く。行く先はブロウニン商会の息の掛かった娼館である。……遺憾ながら、既に『お得意さま』になり果てていた。

 娼館通いは平民にとっても大っぴらにはしたくない事かも知れないが、閣下のこの店の利用の仕方は……相当に後ろめたさを感じさせるものだった。到着の少し前から馬車や護衛の『紋章』を隠し、わざわざ裏口に駐めて入る有り様。護衛の騎士は、店が用意した部屋で事が終わるのを待たされる。そして店は閣下が入ったフロアーを完全に遮断してしまい、誰と同衾したかを決して明かそうとしなかった。

 自分たちの仕事が、物語のように清廉な騎士道で貫かれているなどとは決して思わない。むしろ汚れ仕事が半々で、それは『やんごとなき身分』の方々も同じだろうと思っている。

 しかし……こうまでして閣下の相手を、我々配下の者にまで隠さなければならないのかと思うと、疑念を抱かずにいられない。伯爵閣下は、『好ましからざる事』と『違法行為』の線引きが、ハッキリできているのだろうか? と……


 いつも通り裏口から入店し、その時点で閣下と分かれて別室に案内される。待たされる時間は……まちまちだ。興が乗られた時には、夜が明けるまでという事もあった。これも職務の内と気を張ってみるも、やる事がなくては集中を保つのも難しい。つい、居眠りをしてしまい……そして、部屋をノックする音に跳ね起きた。

 ドアを開けると、娼館の支配人が表情を硬くしている。


「その……不測の事態が発生しました。誠に……遺憾ながら……」


 口調から極めてまずい事が起こったと直感した。


「不測の事態? 閣下はいかがされている? ご無事か?!」

「三階のお部屋で……なされている時に、急なご病気かと……」

「馬鹿な! 案内せよ!」


 初めて入った三階の『貴賓の間』けばけばしい調度が並ぶ室内の中央に、天蓋付きの豪奢なベッドが据えられていた。その上に、うつ伏せに横たわっていたのは……出入りの奴隷商、オーギュスト・ブロウニン。たるみきった裸身を晒し、イヌの格好で尻を掲げている。そして……閣下が……伯爵閣下が……全裸で覆い被さって……。思わず顔を背けて口元を覆った。……不忠と責められても仕方なかろうが、生理的な好悪の情は如何ともしがたいのだ……


「ぐ……い、医師に……」

「もう手配いたしました。……手遅れとの事で……」

「これは……夢だ……そうだ、聖教会! 蘇生が間に合えば……」

「……お言葉を返すようですが、手配済みです。一目見て『もう、手遅れです』と」


 く……!『見た』のか……! いや、見せなければ蘇生の判断もできん。やむを得まい。しかし、ならば、どうやって口封じ、いや、口止めを……

 代々マールクント伯爵家はザナ聖教信徒であり、聖教会は同性愛に否定的である。『貴人のたしなみ』などとうそぶく風潮もあるが、出入りの奴隷商という事情を置いても、六十過ぎの老人相手にっ……

 待て、思考が逸れている! 向き合うのだ現実とっ! ……医師と聖教会とに手配済みということは、発見から何時間経っている?

 その時、領都大聖堂の時鐘が響いてきた。な……んだと……? これは……もう、午前九時か!?


「……支配人……発見以降、この部屋を覗いた者は?」

「……申し訳ございません。先ほども言いましたとおり、まずは閣下の御身の救護を第一に考えておりましたので、封鎖の措置に手が回っておりませんでした」

「直ちに館を封鎖して客を拘束せよ!」

「……既に昨晩のお客様方は、ご帰宅されておいでです」


 絶望に駆られながらも、か細い糸をたぐり寄せる。貴族社会の宮仕えで思い知らされたのは、貴族という生きものにとって面子は致命的という習性である。


「名簿……昨晩の客の名簿を渡してもらおう! 逆らえばただでは済まさんぞ。これは俺ではなく、マールクント伯爵家自体の意志と思え……!」

「……そこまでおっしゃられては致し方ありません。ですが、ご忠告させて頂ければ……当店のお得意さまには相当に地位も力もお持ちの方たちも多く、それに昨晩だけでざっと三十人はおられます。等し並みに押し黙らせられると、お考えにならぬ方がお家のためと思いますが……」


 支配人のどうしようもない『正論』が、遠くで残響するように聞こえた……


 ◇

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