第3話 旅芸人 アノニム

 田舎の小さな村だった。宿屋と酒場が併設されて、あまつさえ教会の裏手に雑貨屋が併設されているという「二つで一つ」が当たり前の規模の村。聖なる場所と金稼ぎの施設が一緒なのはどうかと思うが、大きな建物を維持管理するのが大変なのだから仕方ない。村長宅には、各種ギルドの基本的な末端事務が委託されているくらいである。村長の家族には負担には違いなかったが、それでも各ギルドとのコネを繋いでおく事の方がメリットが大きいという判断で、やむを得ず引き受けている。いじましい事である。

 そんな小さな村にも祭りの日はある。村々に縁のある聖人の日や領主の誕生日など。五月の晴れの日、畑仕事を休むなどあり得ないのだが、今日はそんな特別な一日だった。村の広場に陽気な土笛オカリナの音が流れる。


「さあて、エレナは我慢した。ギリギリ、ジリジリ我慢した。それに気づかぬニセ神父は、エレナが青くなったり赤くなったりするのを責め立てる」

「ははー! やっちゃえー!」

「やだー、もー、うふふふ」


 広場の木陰に陣取って、旅芸人が、いわゆる『紙芝居』を、子供たち相手に演じている。紙の代わりに板が使われているモノだ。芸人特有の扮装に、目元を覆い隠す仮面を身につけていて、歳の頃は二十歳かそこらか。


「ついにエレナの我慢も尽きた! 天地を揺るがすような音をたて」


 ここで首にかけた土笛を、下品にブボボボボと鳴らしてみせる。絵板を一枚めくると、阿鼻叫喚の図がさらされた。


「とうとうエレナは屁をこいた! 十日分の屁をこいた! ニセ神父もごろつきも、吹っ飛ばされてちりぢりに!」

「「「「「あははははは!」」」」」

「「「「「いやぁー! ふふふふふっ!」」」」」


 演目は、さる下品な民話の焼き直しである。子供に特にウケが良かった。


「……こうしてハンスはエレナを連れて帰り、一生安楽に暮らしましたとさ……おしまい!」


 子供たちは一様に大拍手。しかし見守っていた大人たちはパラパラと拍手しながらも、ある者は苦笑を浮かべ、またある者は苦虫をかみつぶしたようなと、複雑な表情をしている。


 ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ――

 「板芝居」の話は、『屁ひり女房』を元に改変したものです。

 (参考図書)

  岩波版ほるぷ図書館文庫

  一寸法師・さるかに合戦・浦島太郎 ―日本の昔ばなし(III)―

                         関 敬吾 編

 ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ――


 ◇


 後片付けの後、芸人の青年は村長宅を訪ねる。芸人ギルドの記録と上納金の納付、そして現地有力者への顔つなぎのために。放浪芸人は、決して気楽な稼業ではない。


「……はい、芸人ギルドの……ほう、Dクラスですか。名前はアノニム殿……と」

「では今回の上納です。二割……一万飛んで四十バゼルを」

「はい、確かに……しかし、なんですなあ。珍しい話でしたなぁ」


 言いつつ、いかにも堅物そうな村長が、芸人青年に向ける視線は若干ジト目気味である。

 対する青年は……これといった特徴がなかった。商売道具の仮面を外すと、「どこが」「どんな」と、後から説明しがたい茫洋とした雰囲気を帯びている。


「ははは、私の婆さんがよく話してくれたモンでしてね」

「……少々品に欠けると思いますぞ。ウチのような田舎はともかく、大きめの教会がある町などでは控えた方が良くないですか?」

「はは、大きな所では、まず教会の絵板を借りて一度、ってからとか……工夫してますんで」


 この世界と時代に於いて、物語芸人はハッキリと権力者の宣伝道具だった。アノニムのような絵板芝居芸人はそこそこ数がいて、教会は創世神話や聖人の物語を、地方領主たちは自己の家系自慢、果ては騎士団の武功物語など、「主催者側発表」の物語が多数絵板にされており、それらを演じずに生きてゆく事は難しかった。第一、受ける話で絵板を作っても、領主や教会が気に入らなければ即刻没収である。そういった権力の横暴に対し、芸人ギルドは極めて弱腰だった。団体自体が武力組織である冒険者ギルドとは、その点非常に対照的である。


「……そういえばウチの教会に、確か『ザルトクスの悪魔』の絵板があったと思いますよ」


 村長は好意で言ってくれたのだとは分かっていたが、アノニムは苦笑して首を振った。


「ああー、アレは、そのー、やればギルドからお金が入るのはありがたいんですけどね~……話が『めでたし、めでたし』で終わらないんで、イマイチ受けが良くないんですよね~」

「……まあ、それはそうですが……」


 村長は、青年芸人の空気の読めなさに「大丈夫かコイツ?」と余計な心配に駆られる。『ザルトクスの悪魔』は、子細は知らねどトラヴァリア王国の高位貴族が肝いりで広めようとしている物語で、吟遊詩人にまで押し込まれているシロモノだ。それを「つまらないから、やりたくない」とは……、正直にもほどがあろう。お陰でつい、本音が出てしまった。


「では、お世話様でした。これで失礼いたします」

「え? 夜は演っていかないので?」


 一礼して立ち上がった青年に、疑念の目を向ける村長。旅芸人の多くは一泊して、夜の酒場でも稼いでいくのだが……


「これからキンニーの町に向かいますんで、早い内に発った方がいいかと」

「え!? いや、さすがにそれは……考え直した方が良くないですか?」


 今からこの村を出たら、隣町まで陽のあるうちにはたどり着けまい。確実に野宿する羽目になる。体に悪いとかいう以前に、物騒極まりない。最近、人買いが辺りを物色している、などという噂もある。


「お気遣い、ありがとうございます。これで同じような旅は何度もやってきてますから。隠れて野営するのも慣れたもんですよ」

「……まあ、そうおっしゃるなら、止めませんが……」


 これが女性の一人旅なら絶対に止めただろうが、相手はとうに成人している男である。村長もそれ以上、引き留めることはしなかった。


 ◇

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