地図男

 少なくとも、僕の人生の半分は地図でできていた。地図というのは人生であり、人生というのは地図だった。

 その魅力にとりつかれたのは、たしか小学4年生のときだった気がする。僕は1時間も2時間も地図を見続けることができた。彼はそこに描かれた山や川を、まるで目の前にあるかのように想像し、また国境線を眺めながら、そこへ至るまでの歴史や、そこにいる人達の生活に思いを馳せることができた。ゲームばっかりやってた周りの友達から、変わってる、と言われたこともあったが、そのころの僕は、何故だかそのことを誇りに思っていたし、それこそが僕の

アイデンティティ

の大きな部分を占めていたのだ。中世ユーラシアのモンゴルみたいに。

 今思えば、僕は子供のころ、常に

「変わってるね」

と言われ続けた。いい意味のときもあったし、おそらく悪い意味のときもあった。

 僕自身もそのようなことは自覚していた。それが原因で周りと衝突したこともあるし、いじめられたこともあった。

 しかし、人の性格や、生まれつきの特性などといったものを、いったいどうやって直すことができるだろう?

 年齢が上がるにつれ、僕はそういった問題と少しずつ折り合いをつけていった。僕はできるだけ自分のステータスを客観的に見ようと努め、その中で生き延びるためのアルゴリズムのような仕組みを自分の中に作り出そうとした。それは僕にとって、社会的、心理的健康とアイデンティティの両立のために必要不可欠なものであり、大人になるまでにそれは完成させないといけなかった。

 僕は高校を卒業してから、とある国立大学(かなりレベルの高い)へ行くため上京し、そこで地理学を専攻した。

そこにはいろんな人がいた。髪を金に染めてロックンロールな生活をする者もいれば、どこにでもあるチェーン店でアルバイトをするどこにでもいそうな人(はっきり言って小説にしてもおもしろくない奴)もいた、端から聞いていてつい笑ってしまうぐらい中身の無い政治の話をする胡散臭いインテリもいたし、プログラミングがめちゃくちゃ得意な丸刈りのアディダス(その男は一年中アディダスのサンダルを履いていた)もいた。

 僕は時々めまいがした。それはいつまで経っても慣れない東京の空気のせいかもしれないし、あるいはもっと別の原因であったかもしれない。

 僕の大切なものは、まるで砂になって飛んでいたかのように少しずつ消え、傷つけられていった。身近にいるスーパースターや、僕よりも変わってる奴の存在が、自分に毎日

『君は特別じゃない』

と無言でささやいてきた。

 僕は国土地理院に就職し、もうそこで何年も働いている。けど今の僕はあのころの僕じゃない。

 僕の心はまるで砂漠だ、あのころはオアシスだったけど。

 誰の言葉だっけ。

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