最終話 桜井妃奈子、橘ヒロヤと出会う
妃奈子は、ヒロヤから水晶の髪飾りの話を聞いた。石の力か、偶然か、それはどちらでもよかった。
父は社長をやめた。椎名ロックと不可分の繋がりを持っていたことを恥じた父はすぐに辞任した。その判断のおかげで、世間からの非難は最小限だ。
最も、一番の理由は妃奈子が人質でなくなったことだろう。
♦
妃奈子は今、コーヒーを淹れている。
「お待たせしました。本日のコーヒーです」
テーブルに運んで、伝票を置く。客が頭を下げ、妃奈子も頭を下げる。
妃奈子は今、純喫茶ハチの巣でバイトをしている。
父は従業員全員と、メイドやハウスキーパー全員の再就職を世話した。
さらに父は椎名との契約が不成立となったヒロヤと契約を結んで報酬を与えた。そのため、財産が多くは残らなかったのだ。邸宅も売って、現在親子二人でマンションで暮らしている。
妃奈子は人生初めてのバイトをしている。料理は苦手だが、利益の計算の速さだけは店長にとても褒められた。
「美月さん、これ、私が作ったんですよ」
しょっちゅう来てくれる美月に、妃奈子が作ったパフェを差し出す。
「あなた、おいしくつくれるの?」
髪をかき上げ、笑う美月に、妃奈子は頬を膨らませる。
「材料を盛り付けるだけなのに、まずくなるわけないじゃないですか」
美月はにこにこと笑う。
「自分で言うの? そう言えば、あなたまだパフェしか作ってないわね」
「はい。店長にあと五か月はパフェだけでいいよと言われてしまいました」
美月の笑みが消えたので、妃奈子も笑えなくなってきた。
閉店後の掃除をしながら、いかに空虚な大金の世界で生きてきたか、妃奈子は思い知らされる。一時間に千円しかもらえないのに、今までより生きている感じがする。
社長になる夢をかつての物とするかどうかは、ゆっくり考えるつもりだ。
♦
ワーレブルア国は、椎名ロックを非難する声明を出した。そして、今後も選択的経済撤退制の可能性を探すそうだ。
フォービクティムは解散。椎名ロックのスパイの三人のうち生き残った二人は、死刑が執行された。
アセウガは一人を殺してしまったが、状況を考慮して、罪には問われなかった。
フォリアは引き続き外交官を務める。
セボーラとアセウガは、正式にワーレブルア国の軍に所属することになった。
椎名ロックのスパイに協力した隊員達は、家族等を人質に取られていたことが明らかになり、短い刑期で済んだ。
椎名は逮捕された。死刑囚を雇った手口等が、連日ニュースやワイドショーで取り上げられた。
そして、椎名ロックに、従業員の増やし過ぎと、吸収合併のしすぎが原因の大幅な赤字があったことが明らかになった。
ヒロヤは現在、任務の後の休暇期間だ。だが、半年後には再び任務に行くという。
♦
夏休みが終わってから、ずっと妃奈子は一人で学校に通っている。もう危険はない。通学路で妃奈子を護衛するあの温かいまなざしはない。妃奈子の任務が終わったヒロヤは、霰ヶ丘高校から転校して、遠くに行ってしまった。
芳樹がヒロヤと美月の写真で賞をとった時、ヒロヤに直接言えない彼はさみしそうだった。
「ヒロヤさん。さようなら」
妃奈子は、かつて約束を交わした公園に来た。
つい、涙ぐみそうになった、その時に声が聞こえた。
「妃奈子さん」
ヒロヤがいる。
「どうしたのですか!」
涙が引っ込み、妃奈子は笑顔になった。
「妃奈子さんに言いたいことがあって、会いに来ました」
ヒロヤがそっと歩み寄ってくる。
「妃奈子さんの言ったことを、叶えにきました」
ヒロヤが妃奈子の肩をぽんと叩き、優しい笑顔を見せた。
「妃奈子、ありがとう」
妃奈子。一瞬の混乱の後、妃奈子はヒロヤと初めて会った日のことを思い出す。
『お嬢様、だなんてやめてください』
『お嬢様ではないですか』
『そうですけど』
『では、なんとお呼びすればいいでしょうか』
『妃奈子、でいいです』
『それは無理ですので、妃奈子さん、はいかがですか』
「覚えててくださったのですね」
「そうです。妃奈子と呼んでもいいですか」
「はい! では私は、ヒロヤとお呼びします」
「妃奈子と離れて、困ることがあります」
温かいことを言われて妃奈子の頬が緩む。
「カロリーを分け合う事ができません」
「そこですか!」
何の肩書もないヒロヤの笑みに、ヒロヤといる理由のない妃奈子が微笑む。
♦
今、ヒロヤはどこかで誰かを守っている。
妃奈子は、最高位護衛者協会の公式ホームページの、ヒロヤのページの最後の一文を見て、改めて幸福を感じる。
『ハイパワーストーン社の令嬢、桜井妃奈子の護衛をした』
そして、ヒロヤのプロフィールを見る。
橘ヒロヤ、十五歳。七月十日生まれ。身長一七五センチ、体重七十七キロ。空手、柔道、剣道、弓道、少林寺拳法の黒帯を持つ。実の両親と早くに死に別れ、東京で道場を営む橘 武文十段に育てられた。その後、橘氏の家を出る形で、最高位護衛者養成訓練校に最年少で入学。
体重七十七キロ。
「ヒロヤ、増えましたね」
妃奈子は画面の中のヒロヤの写真に向かって、最高の笑顔になった。
最年少護衛者と爆弾を付けられた令嬢 左原伊純 @sahara-izumi
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