第22話 橘ヒロヤ、暴力を振るう
寝ている妃奈子を揺さぶって起こす。妃奈子は束の間ぼんやりしていたが、ヒロヤの表情を見て、目を見開いた。
ワーレブルア時間、午前三時。しんとした、昼間の暑さが一切ない空気。
気のせいではないとヒロヤは確信している。ヒロヤは妃奈子に背を向ける。
「逃げられる格好になってください」
妃奈子が一生懸命に支度をした。まだ、敵は来ない。
「大丈夫です!」
「行きますよ!」
妃奈子の手を引いて、真っ暗な公邸を走る。アイキドウ銃ではないオートマチックの銃をいつでも抜けるように気をつけながら、妃奈子にも気を配る。公邸の床はいい絨毯なので、足音が目立たない。こちらが気がつかれないのはありがたいが、敵に気づくのも困難だ。
遠くから、発砲音がした。悲鳴を上げかける妃奈子の口を塞ぐ。その発砲音は近づいてくる。暗闇で、音でしか相手の位置が分からない。さあ、どうするか。有川、雪野ならどうするだろう。耳でしか相手を探れない。ならば、相手も同じ条件にいるはず。つまり相手も光を求めている。
「妃奈子さん、下がって」
ヒロヤはジャケットから替えのアイキドウ弾を出し、床にそっと置く。そして、妃奈子の手を引いて、走り出した。置いたアイキドウ弾から四十メートル近く離れたところから、ヒロヤはオートマチックの銃でアイキドウ弾を撃った。火薬と触れることで爆発するアイキドウ弾が、派手なオレンジの光を放つ。
そしてヒロヤは、オレンジの光の中にうっすらと浮かんだ影を撃つ。狙いを外さず足に当たり、敵は倒れ込んだ。そして、ヒロヤはとっさに敵に銃口を突き付けた。妃奈子は口を手で覆いながらも、殺しはしないとヒロヤを信じているようで、大人しくしている。
敵が両手を上げる。
敵に言葉を聞けと目で意思表示をすると、ヒロヤは息を吸い、発声に力を込めた。
「少林寺拳法は、日本の香川県発祥です」
ぽかんとする、妃奈子と敵。
「お前、日本語が分かるんだな?」
多少日本語を喋ることができる外国人でも、少林寺拳法、香川県、などの普段使わない単語を知らない可能性の方が高い。
敵は嵌められたことに気がつき、ヒロヤを睨むが、ヒロヤはそんなもの怖くない。
日本語が分からないなら、あっけにとられるような反応はできない。
妃奈子が恐れているのを見て、妃奈子の背を支えるように腕を回す。妃奈子の震えが収まるまで抱きしめようとしたが、妃奈子はヒロヤから一歩離れた。
「ヒロヤさん、これが真相ですか」
妃奈子の顔に強い感情は浮かばなかった。ただ、悲しみが見えるだけだった。
「ブランシュ、てめえ! やはり敵だったか!」
縛られたのは、ブランシュと名乗る椎名ロックからのスパイだ。アセウガが今にも蹴りそうだが、
「やめとけって。証拠なんだからさ」
セボーラが止める。しぶしぶ、と言った様子でアセウガが引き下がる。
だが、セボーラの怒りも相当なものだ。ブランシュを見る目が恐ろしく冷たい。
「おい、なんで椎名ロックの人間が妃奈子さんを狙った?」
アセウガの睨みにも、ブランシュは応えない。セボーラはため息をついたが、青い顔をした。それに気がついたアセウガに、セボーラは首を振る。
「ボスを待とう」
ヒロヤにも恐ろしい予感があった。
フォリアが血相を変えて走ってきた。
「『フォービクティムが裏切り、妃奈子さんを攻撃した』という事で、椎名ロックは『報復としてディザイアモンド鉱山を椎名ロックの所有物とする』ことを要求している!」
冷たい恐怖がヒロヤの腹の底に生じる。
「ボス、気がつくのが遅すぎました。申し訳ない」
セボーラが涙を見せた。
「孫娘だというのに」
アセウガは信じられないといった様子だ。
妃奈子の手が、不安そうにヒロヤの袖の裾を握る。ヒロヤは叫びを腹に納め、妃奈子の肩を叩く。
「守ります。必ず……」
その時、男の大きな笑い声がした。
ブランシュがヒロヤと妃奈子を見て笑っている。
彼は壊れているように見える。
この男は人を殺せるし、人に殺されることも恐れないように思える。
ヒロヤはこの男に、そしてこの男を使う椎名に、叫びたいほどの怒りが生じた。
ヒロヤは、ブランシュの頭を蹴った。妃奈子が止めさせようとしたが、我慢できなかった。
「何笑ってんだよ!」
拳から血を流しながら、目の前の男を殴る。妃奈子への思いを、そして何より人を守る力を持ち続けたいという誇りを、この男に笑われていると思った。
「やめてください!」
涙が混じる妃奈子の声に、頭の隅が冷静になろうとするが、ヒロヤはわざと妃奈子に振り向いた。
「こいつは、妃奈子さんの敵なんです!」
怯えた妃奈子が泣き出すことにまで苛立ったヒロヤは、血まみれになったブランシュを殴る拳に全てを込めた。妃奈子への思いすら、拳の原動力にした。
フォリアとアセウガに羽交い絞めにされ、殴られるまでヒロヤの暴力は止まらなかった。
気を失うブランシュを見ているヒロヤは、拳が痛いことに気がついた。
そして、妃奈子が肩を震わせ泣いていることにも気がついた。
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