第21話 橘ヒロヤ、軟禁される
『ハイパワーストーン社のご令嬢、桜井妃奈子さんと、最高位護衛者の資格を持つ妃奈子さんの護衛者、橘ヒロヤさんがワーレブルア国のテロ組織、フォービクティムに捕らえられたそうです。ワーレブルア国政府は、テロには口出しできない、申し訳ない、との旨のメッセージを送ってきたそうです』
『フォービクティムは椎名ロック社に、妃奈子さんの無事と引き換えにディザイアモンドを永久に諦めろ、ディザイアモンドを諦めるという条約をワーレブルア国と結べ、という主張をしています。なお、ワーレブルア国政府は、条約を結ぶことに、政府としては反対しない、椎名ロックが条約を結ぶと決めた場合、政府はそれに応じる、としています』
ヒロヤは汗をかき、息を切らし、床に片膝をつき、壁を背にして男を見ている。男は一七五センチのヒロヤより、二十センチ以上背が高い。ナイフも銃も使えない。男が警戒しながらも迫ってくる。そして、間合いに入った男がヒロヤを蹴ろうとした。
「ヒロヤさん!」
妃奈子の叫びが聞こえる。ヒロヤは壁を蹴って跳び、相手の後ろに着地すると、振り向きながら回し蹴りをした。パン、と相手の服を蹴り、ヒロヤは一歩後ろに下がった。そして、やられた敵はヒロヤに振り向き、
「さすがだね!」
笑った。
二階まで吹き抜けの部屋だ。妃奈子は大喜びで二階から拍手をしている。
ワーレブルア国は、フォービクティムに武力で脅され、妃奈子とヒロヤを、外交官の公邸に軟禁しているのだ。つまり、フォリアの立派な邸宅に住まわせてもらっている。
ヒロヤには毎日暴力(という名の格闘訓練)を、妃奈子には思想統制(という名の勉強)をさせている。
「すごいですね、ヒロヤさん!」
駆け寄ってくる妃奈子に、ヒロヤは恥ずかしそうに微笑む。
「ワーレブルア柔術の一部は、少林寺拳法に似ていますから」
「どうして中国の拳法と似ているのでしょうか」
すると、さきほどヒロヤに一本取られたフォービクティムの男、アセウガが来て、ヒロヤの肩にばしっと手を置いた。少し痛いが、顔に出さずにヒロヤはアセウガを見る。
「人体の構造は結局同じだからな。人間に有効な技は似たような形になってくる。中国でもワーレブルアでも。な、ヒロヤ!」
「はい、アセウガさん。でも、少林寺拳法の発祥の地は日本の香川県です」
驚く二人に、これはあるあるだ、と思う。最初から日本の拳法ですねと分かる人はいない。
ヒロヤは口頭ならワーレブルア語を使えるようになった。
妃奈子は読み書きまでできるようになった。毎日セボーラに読みたい本を持ってこさせて、読みふけっている。
『軟禁』されているが、毎日風呂に入れる最高の環境だ。お風呂に入った後の妃奈子の、髪のキラキラ感は、すごかった。ヒロヤも、石鹸の匂いってこんなにいいんだなと驚いた。
ディナーにメインディッシュのワーレブルア鳥の丸焼きが出た時は、ヒロヤと妃奈子は手を叩いて喜んだ。
七月十日、忘れもしないヒロヤの十六歳の誕生日に連れ去られた二人は、二週間ほどかけてマウントディザイアに到着し、それからさらに二週間経って今に至る。つまり、一か月は経った。
日本に一切の連絡はしない。父にも連絡できないことに、悲しみながらも妃奈子は頷いた。二人が実は無事だという情報は日本には伝わっていないはずだ。
一つ情報の通り道がある。椎名ロックのスパイの三人から、椎名ロックに、だ。だが、椎名が二人の無事を知ったところで、世間に二人は無事だ、とは言えない。その瞬間、外国のテロ組織にスパイを送っていたこと、外国の許可なく鉱山を開発していたことが明るみに出るのだから。
つまり、椎名は、妃奈子の無事を知りながらも、妃奈子の無事を案じる振りをしてワーレブルア国と条約を結ばざるを得ないのである。
ワーレブルア国のディザイアモンド鉱山を放棄した椎名ロックが、その後妃奈子のリングを外すか否かは分からない。ただ、少なくとも妃奈子の脚に付いた石一つでは兵器は作れない。もし石一つで作ることができるなら、妃奈子の脚に付けず、ひそかに開発しただろう。
だから、鉱山から大量のディザイアモンドを得られなくなったことで、妃奈子の石は研究さえ無駄なものとなり、美術品以外の用い方はできなくなる。そうなれば、妃奈子の希望を無視して石を括り付けたままにする理由はなくなる。
ヒロヤは妃奈子のリングを見る。さすがに成長の度に何度も交換はしてくれたらしいが、きっとリングの下の妃奈子の皮膚は他と違って日に当たらなかったため、真っ白だろう。
ヒロヤは困難な仕事をしているが、それは自分で決めたことだ。
自分で決めたわけでもないのに、それこそビクティム、生贄にされた妃奈子の憎しみや悲しみは、どこへ行ったのだろうか。いくら妃奈子が器の大きい人だからと言って、感情が無いわけがない。
ただ、妃奈子さんはどう思っていましたか、なんて聞けない。もし妃奈子が心の奥底に憎しみや悲しみを封印して心を保っていたとしたら、ヒロヤの無遠慮が妃奈子を内側から崩すかもしれない。
妃奈子の心に与えられた暴力は内側から妃奈子を蝕んではいないだろうかと、ヒロヤには分からないのに、心配になる。自分と違って、暴力の衝動を表に出せないというのに、妃奈子はどうやって暴力を飲み干したのか、とヒロヤは苦い思いになる。
隣で本を読む妃奈子が、分からないことをセボーラに聞いている。哀れな少女には見えず、一生懸命に生きるお嬢様だ。ヒロヤは妃奈子への心配を引っ込める。妃奈子の心を作るのは、妃奈子自身だ。ヒロヤにできることはないし、すべきでもない。妃奈子の内側など知ることができるわけがない。表に現れる彼女が、ヒロヤにとっての妃奈子で、守るべき人だ。
夜、お風呂からあがった妃奈子が、ヒロヤに次に入って下さいと呼びに来た。風呂に入ることができるのが相当嬉しいらしい妃奈子は、いつも長湯をするので、ヒロヤは待たされる。ヒロヤが風呂から上がると、まだ妃奈子は涼んでいた。
「あらヒロヤさん、速いですね」
「そうでもないですよ。妃奈子さん、眠れないんですか?」
「いいえ、大丈夫ですよ」
妃奈子はバルコニーに出て、星を見る。ヒロヤもそれに続く。星の多さに驚く。そして、その下の、ワーレブルアの首都、キャンバットの街並みを見る。物々交換世界であるのに、多数の飲食店の看板が光っているし、マンションもある。
「見てください」
妃奈子が指さす先に、高校生らしき集団がいる。笑顔で何かを話している。
「こんな異国でも、私達と同じなんですね」
妃奈子の笑みは、全ての国を不当に差別することのない笑みだ。ヒロヤは星明りと街の明かりに微笑んだ。
「日本は多少、騒いでいるかしら」
「相当騒いでいるのではないかと思います」
バルコニーから見下ろす街の輝きを見て、ヒロヤは思い出した。
「この前、妃奈子さんは、『お金に支配される生き方から、人はどのように解放されるのか、それは本当に、古代に戻ることなのでしょうか』って言ってましたよね」
妃奈子は頷く。どこか、興味深そうにヒロヤを見る。その視線に応えるよう、ヒロヤは考えを的確な言葉にすることを心掛ける。
「古代に戻ってもいいのではないかと、俺は思います」
妃奈子と違う意見のヒロヤに、彼女はがっかりしないだろうかと、ヒロヤはどきどきしたが、その心配はいらないようだった。
「どうしてですか?」
妃奈子は面白そうな顔だ。ヒロヤは安心して続きも慎重に言葉にする。
「人間は平和に暮らすことが一番ですから。お金を使うことで平和になるならいいけれど、お金を使うことで平和にならないのなら、他の手段を考えてもいいと思います。……すみません」
妃奈子が首を傾げる。
「こんなことしか、言えません」
なんて、自分は浅はかなことしか言えないのだと、ヒロヤは肩を落とす。妃奈子と違って、しっかりと物事を見ていなかったのだろうかと自分を省みる。
「お金はあくまでも平和のための手段であり、手段に拘る必要はない、ということですか?」
妃奈子が自分のつたなすぎる意見を拾ってくれたことにヒロヤは驚く。何より、自分以上に妃奈子がヒロヤの言いたいことを理解してくれたことが、嬉しかった。きちんとヒロヤの話を聞いてくれたのだ。
「はい、そうです」
ヒロヤの妃奈子へのまなざしに、尊敬の念がこもる。
二人は日本にいた頃よりたくさん話すようになっていた。
♦
ヒロヤは目を覚まし、布団を払うように起きて、銃を構える。辺りに気をつけつつ、戦闘服に着替える。ドアに耳を当て、音がしないことを確認する。一気に隣の妃奈子の寝室へと駆けこむ。
「妃奈子さん!」
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