第20話 橘ヒロヤ、ついて行く

 日光が差さない薄暗いジャングルを歩き続けた。空からの光を遮っていた冠のような木々の頭が、急にまばらになった。強い日光の線が差す眩しい所と、薄暗い所が交互に現れて、目が痛かった。


 森の木と水の匂いに、空と太陽の匂いが混じりだす。ジャングルの終わりが近づいたことに、ヒロヤは安堵した。安心だけでなく、喜びも感じた。過酷なことを乗り越えたという事実に高揚する。またしても自分は強くなったとヒロヤはひそかに拳を握る。


 隣を歩く妃奈子も、ジャングルの終わりが近いことに気がつき、ほっとしているようだ。弱弱しいが、笑顔も見える。彼女も強くなった。

 護衛者になろうと思ったのは、厳密にはいつだったか分からない。だがはっきりとしているのは、橘武文に護衛者協会から、勧誘するために人が来た時だ。



 ヒロヤは武文を父とは呼ばなかった。別に武文を嫌いだったわけではなく、むしろ敬愛していた。死んだ母以上に、今のヒロヤを形作った人だ。

 ヒロヤは毎日、小学校が終わった後は武文に武道を習っていた。週一で通うだけでも、門下生は黒帯を取得できる程に上達する。それほどまでに武文の教え方は素晴らしかった。それを毎日習っていたのだから、ヒロヤの上達の速さは凄まじかった。ヒロヤは、空手、柔道、剣道、弓道、少林寺拳法の黒帯を持っているが、弓道以外は武文に教えてもらった。


 武文を勧誘するために派遣された護衛者は、当時新米だった雪野だった。ヒロヤは後ろから武文を見ていた。

 雪野はすぐに帰った。そして、もう勧誘が来ることはなくなった。

『武文さん、やりたくないんだね』

 ヒロヤに言われ、武文は苦笑いした。

『力は使わなければならないのか?』

 ヒロヤは、武文の言いたいことが分からなかった。



 妃奈子が息を切らしていることに気がついた。もうすぐジャングルが終わるという希望を持った後が、長かったのである。ヒロヤでさえ、早く終わってくれとじれったくなっている。妃奈子に声をかけた方がいいのだろうか、と悩んで少し経った頃。


「あれだ」


フォリアが指さす先に、巨大な石の壁が見えた。見上げても、一番上まで見ることができない。


「マウントディザイアだ」


こんなに近づいていたのだ。妃奈子は安心して力が抜けたのか、ふらっと倒れかけた。ヒロヤが抱いて支えると、妃奈子の汗で張り付いた髪と、日焼けした頬を目の当たりにした。


「よく頑張りましたね」


 妃奈子の笑みを見ると、やはり根性のあるお嬢様だと、改めて思う。ヒロヤは、妃奈子のことを死ぬまで忘れないだろうと思った。妃奈子は、慰める、八つ当たりをさせてあげる等の仕事をヒロヤにさせなかった。妃奈子の内面を整えてあげる必要がないから、妃奈子に外側から向かってくる悪意を守ることに全力を出せる。


 久しぶりに見る空に雲は無く、エメラルド色の鳥の番が飛んで行った。フォリアとセボーラが、岩に包まれた日陰に連れて行ってくれて、皆でお茶を飲んだ。


 疲れ果て、ヒロヤの膝で眠る妃奈子の、服に付いた細かい枝葉を払う。妃奈子を起こさないように、そっと。ヒロヤはこれからのために気を引き締めようとするが、うまくいかない。ヒロヤも疲れていた。


 大丈夫だ、少し休もうと提案してくれたフォリアとセボーラに素直に頷き、ヒロヤも妃奈子を膝に乗せたまま少し眠ることにした。


 フォリアに声をかけられ、ヒロヤは目を覚ます。夢に美月が出てきたことを思い出し、何故だろうと思う。美月だけでなく、芳樹や、自分と妃奈子の友達、皆で騒ぐ教室の夢を見た。妃奈子の傍にいるために入った高校だというのに、愛着を持ってしまったのだろうか。


 普通の生活が送れないことを、不幸だと言われることもあった。実際、騒がれていた時にはマスコミにも、そのようなことを何度も聞かれた。


 そもそも普通が幸せなのか、ヒロヤには分からない。ヒロヤは五歳の時に、両親にあんな死に方をされ、孤児院から武文に拾われた。その時点で、おそらく普通らしい普通ではない。


 妃奈子だって、普通ではないだろう。それなのに、妃奈子の方は、皆が興味津々で、ゴシップのように扱われて人々から同情されていない。


 そして、ヒロヤはワーレブルア語で喋るフォリアとセボーラを見る。

 彼らも普通ではない。緩いが情報規制がある世界で、ワーレブルアの人々は幸せに暮らしている。フォリアとセボーラは、情報規制があることを知っている、情報を持つ人間だ。だが、この二人が不幸だとも、人々が不幸だとも、判断できるわけがない。


 妃奈子が目を覚ます。

 疲れがいくらか取れたようで、ヒロヤに膝枕をしてもらっていたことを恥じて、頬を赤くする。気にしないでくださいとヒロヤは首を振る。

 フォリアとセボーラに、もう大丈夫だと頷く。セボーラがワーレブルア語でぼそっと何かを言ったのが、完全には聞き取れなかったが、妃奈子とヒロヤを褒めたニュアンスだった。


 フォリアとセボーラの後に続いて、ごろごろと石が転がる坂を上る。ヒロヤは妃奈子のことが心配で、何度も彼女を見る。妃奈子がそれに気がついた。ありがとうございます、と言っているような笑みを返されて、ヒロヤは嬉しかった。


 ディザイアモンド鉱山は、標高千メートルほどの、山の中腹にあった。鉱山に来るまでの道は、斜面が緩やかな部分が多く、到達は困難ではない。フォービクティムに忍び込んだ三人も、容易く来ることができるだろう。フォリアは、鉱山の入り口を指さす。


「ここですね」


 ヒロヤと妃奈子は固唾をのむ。


「と、思うだろ?」


 あっけにとられるヒロヤと妃奈子。フォリアは鉱山の入り口から三メートル離れたところにある岩を、こんこん、と叩いた。すると、岩がスライドして開く。その向こうに、光が反射する鉱石がざくざくとある鉱山がある。


「叩くのには微妙な力加減が必要なんだよ。パスワードを当てるより難しいという説もあるよ」


セボーラがヒロヤにも分かるように、ゆっくりと話して教えてくれた。


 隠し通路の中の鉱山に、ディザイアモンドが多数あるというわけではない。大半が、ダイアモンドだ。ヒロヤは大粒のダイヤに驚く。しかし妃奈子は特に驚いていない。


「妃奈子さんだったら、この大きさのも買えるんですか?」


つい、余計な質問をしてしまう。


「私は色石の方が好きですね」

「色石?」

「無色透明ではない石の総称です」


ヒロヤは、その名称を知らなかった。ルビーもサファイアもエメラルドも、色石というそうだ。


「ここにはパワーストーンもあるのですね。しかも、グレードが高いわ」


フォリアと妃奈子は、色々と石のことについて話している。


「貿易したいくらいよ。選択的経済撤退国は、どの程度資本主義国との貿易ができるのですか?」


 二人が色々話している。ヒロヤには分からない世界だ。



 四人は、鉱山の奥へ進み、ついにディザイアモンドを見つけた。それは、透明に見えたり、黒く見えたりする。まるで、消えたり現れたりしているようだ。


「綺麗……」

妃奈子はそれを食い入るように見る。脚にこの石を括り付けられているため、妃奈子はディザイアモンドを憎んでいるのかと思っていたから、ヒロヤには意外だった。ヒロヤの視線に妃奈子は弱い笑みを浮かべる。


「これを外したら、この山に帰そうかしら」

 妃奈子はリングを見る。

 しかし、フォリアは厳しい顔をした。


「妃奈子さん、残念ながらここに石を置くのは駄目だ。見ろ」

フォリアが、虫食い葉っぱに偽装した端末を出す。ワーレブルア国には存在しないことになっている、アメリカの最新端末だ。


「あら、電波が繋がっていますね。……まさか」


「ああ。そのまさかだ。あの三人、ここを発見して電波を繋げたようだ」


「ばれないとでも思っていたのしょうか?」


 ヒロヤの問いに、フォリアは眉を寄せる。


「考えられることはある。我が政府が、ワーレブルア国民に情報を公開していない最新端末を俺達も持っていないと、三人が踏んでいたかもしれない。この電波はこの端末でしか拾えないものだ」


「でも、ボスが外交官ってのを、三人も知ってるかもしれませんよ」


 ヒロヤは、セボーラの言葉を、聞き取ることができるようになってきた。片言の日本語ではなく、きちんと母国語で喋ると、理知的な話し方だ。


「外交官が国民に隠して最新の物を持っていても、不思議はない。第一、テロを支援するような外交官じゃないですか。私が言うのもなんですけどね。つまり、三人はボスに気づかれてもおかまいなしってことでは?」


 セボーラの言うことも頷ける。


「椎名ロックの三人は、この鉱山を見つけるために、我らフォービクティムに潜入した。何故フォービクティムを選んだか。それは我らに、椎名ロックが鉱山に気がついていることを、わざわざ教えるためだったのでは?」


 ヒロヤは、椎名ロックがフォービクティムにわざわざ教える必要性があるか、考える。


「ワーレブルア国の弱点を掴みたかったのかもしれませんね」


 妃奈子の静かな声が、冷たい岩穴に吸い込まれるみたいだ。


「椎名お爺様のよくやる手段です。自分の手で鉱山を発見するのではなく、鉱山を発見した者の弱みを握って権利を取る。その方がコストがかかりません」


 妃奈子が皆を見る。


「外交官とフォービクティムに繋がりがなければ鉱山を発見できませんでした」


 フォリアがその通りだ、と言わんばかりに目を細める。


「鉱山を発見したことこそが、テロと外交官の繋がりの証明だな」

「ええ。ボスがいたからこそ発見できました」


 ヒロヤは苦しそうに目を閉じる。妃奈子をどうやって守ればよいのか。銃やナイフからは守りきる。だが、陰謀に、どうやって銃口を向ければいいのか。


「そもそも、フォービクティムの活動を、椎名お爺様と世間はどう捉えていますか?」


 妃奈子の言葉に、ヒロヤは目を開ける。ヒロヤは、妃奈子の声が的を見ていることに気がつき、どきどきする。


「本当は戦争を防ぐというきちんとした目的がおありですが、世間は、感情的に恩人の娘である桜井妃奈子をさらおうとする組織程度に思っていらっしゃいますね」


ヒロヤは身を乗り出して、妃奈子を見る。


「まさか」


フォリアに、妃奈子は頷く。


「ええ。愚かなテロ組織を演じましょう。あなた方は、遂に日本から妃奈子を連れ去ったのです。護衛者のヒロヤさんごとです。テロ組織は日本で知名度がある人間二人を所有するということになります」


 ヒロヤは、どうしたものかと考える。


「椎名お爺様は、世論を大切にして、私を見捨てることができません。人質があれば、ワーレブルア国の外交官のことを、椎名ロックは世間に公表できません。私の身の安全の代わりに、椎名ロックの鉱山開発を止めましょう」


 フォリアとセボーラは、きっと妃奈子と同じことを考えたこともあったはずだ。実際、二人とも、ついに言われてしまったか、という顔だ。二人とも非情な人間ではないために、言わなかったのだ。

 だが、妃奈子自身が言えば、それ以上の策が無いことも承知している二人は、苦々しく頷くしかないのである。


 山の中腹、夕陽を見ながら、ヒロヤと妃奈子は何もせず、ただ座っている。


「ごめんなさい、ヒロヤさん」

「妃奈子さんの護衛者ですから、妃奈子さんの行くところには、どこへでも行きます」


 妃奈子が俯く。


「あなたは何故、この仕事を選んだのですか?」


 ヒロヤは言葉につまる。たくさん理由があって、言葉にできない。

 妃奈子を見ると、頬に切り傷があった。ヒロヤは懐から、傷薬のクリームを出す。今まで、妃奈子が転ぶたびに、塗っていた。ヒロヤが妃奈子の頬に触れると、妃奈子は擽ったそうに片目を閉じた。


「痕にはならない程度です」

「ありがとうございます」


 脚の傷痕は、いずれは消えるが、しばらく残りそうだ。妃奈子の脚を見るヒロヤに、彼女は微笑みかける。


「私は、少し強くなれましたか?」

「はい」


 大きく頷く。妃奈子の笑顔がはじける。ヒロヤは、この人を守ることができてよかったと思った。だが、それを伝えるのは、あまりにも恥ずかしかった。


「前に、私のために死なないでください、と仰っていましたね」


「そうですよ」

 妃奈子が頷く。


「死にません。あなたに辛い思いはさせません」


 妃奈子が笑みを見せた。


「俺は、誰かを守って、強い人間になりたいです。人のために犠牲になるために、この仕事を選んだわけではありません」


 ヒロヤは妃奈子を見つめる。


「俺に助けられた妃奈子さんは、いつか他の人を助けるんだと思います」


 妃奈子は少し考えてから、頷いてくれた。

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