第7話 橘ヒロヤの依頼主

 ヒロヤは『椎名ロック』社長の椎名福助氏の邸宅に向かう車に乗っている。


 護衛者協会の会長であり、ヒロヤの師匠でもある有川正彦も一緒で、後部座席に二人で乗っている。運転は協会の運転手だ。


「ヒロヤ、もっと優しそうな顔をしろ」


有川は苦笑した。


 ヒロヤは首を傾げる。


「優しくなさそうな顔をしてますか?」


「してるよ」


「いつもそうなんですか?」


だとしたら、妃奈子に申し訳ない。


「いや、今が特に、だよ」


仕方ないと思う。


 福助氏は妃奈子の左脚にディザイアモンドを付けた張本人だ。


 2120年、AIは多少衰退している。


 その理由は、有事の際に責任を引き受ける者がいないためだ。


 人間の働きを重んじる時代になり、ヒロヤたち人間の護衛者が増えたのだ。


 人間に責任を追及することを重視する人々の心を、ヒロヤは分からない。とても冷たい人々のように思える。


 一人に重大な責任を負わせたがる人々から護衛者たちを守るため、協会が生まれたのだ。


 隣の有川を見上げる。

 護衛者養成訓練校で、最も熱心に教えてくれた人だ。


「さあ、行くぞ。ヒロヤ」


「はい」


椎名福助氏と会うことは、敵と会うのと同じくらい緊張する。


「ようこそ、いらっしゃいました」


 執事が頭を下げ、ヒロヤたちを出迎えた。

 蝶が飛び交う綺麗な庭園を通ると、東家がいくつかある。

 さらにその向こうに邸宅が見えた。


 公の図書館や公民館のような大きさだ。


 執事が門のボタンを押すと、音を立てずに大きな両開きのドアが開いた。


 中も豪華で、オレンジがかった大理石の間だ。

 室内に滝が流れており、水路がある。


「ようこそ、いらっしゃいました」


杖をついているが元気そうな老紳士、椎名福助氏が現れた。


 有川とヒロヤは立派な応接間に通された。メイドが運んできたお茶と和菓子はもちろん高級なものだ。


「それで、ディザイアモンドは大丈夫かね?」


ヒロヤは表情を変えないように気をつけた。


 これだから、椎名福助氏が嫌なのだ。


 妃奈子を守ってくれ、と言わない。

 ディザイアモンドを守ってくれ、と言う。


 妃奈子お嬢様をお守りしますとテレビ取材でわざわざ名を読んだのは、福助氏へのあてつけだった。


「ヒロヤ、席を外してくれないか?」


「え?」


有川の真剣な顔に、ヒロヤは言いたいことを全てこらえて頷いた。


 応接間を出ると、メイドが別室に通して改めてお茶とお菓子を運んでくれたが、手をつける気になれなかった。

 甘いものが好きなヒロヤは和菓子も好きだが、放置してしまう。


 どうして護衛者である俺を席から外すのだろう?


 ヒロヤはいくら考えても分からなかった。


 帰りの車の中で、有川は疲れたような顔をしていた。


 どうしたんですか、有川さん、と声をかけようとしたときだった。


「ヒロヤ、断るか?」


「……はい?」


「妃奈子お嬢を守る任務を破棄するかと聞いているんだ」


「意味が分かりません」


「お前は分からなくてもいい。いずれ経験を積めば分かるようになるだろう」


 有川の言いたいことがさっぱり分からない。


 桜井邸に帰るとヒロヤは安心した。


 自分の家ではないのに、不思議だ。


「ヒロヤさん、大丈夫でしたか?」


なんと、護衛対象に心配された。


「大丈夫ですよ」


「お爺様のところに行かれたのでしょう? 疲れて当然です」


妃奈子は冗談でもなんでもなく、本気でそう言っていた。


 はい、疲れました、とはさすがに言えない。


「ヒロヤさん、今度椎名ロック主催のパーティがあるのです」


あの椎名福助氏とパーティでまた会うことになると思うと気が重い。


「新しいドレスを買ってもいいと父に言われたので、ブティックに行きたいと思っています。美月さんも一緒です」


「分かりました」


ヒロヤは美月のこともあまり得意ではないが、ドレスを買うには頼りになりそうだ。


「それで、帰りに美月さんの邸宅に遊びに来ないかと言われています。新しいパティシエの方が就任されたので、腕をふるいたいのだとか」


「お菓子を頂けるということですか」


妃奈子がくすっと笑った。

 お菓子に対する反応が速かったのかなと、ヒロヤは恥ずかしくなった。


「ええ。和菓子と洋菓子どちらがいいですか?」


「洋菓子です」


和菓子はしばらく食べたくない。


 週末、一条家の運転手が桜井邸に迎えにきた。


「妃奈子さん……と、橘ヒロヤ。来なさい」


 美月はお嬢様らしい格好をしていた。

 白いブラウスに、ハイウェストのダークグリーンのロングスカート。小指にきらりとピンク色に輝く小さな指輪をしている。


 妃奈子もお嬢様だ。

 胸の下でしぼられているローズピンクのワンピースが、とても上品だ。普段は結んで縦巻きにしているふわふわした髪を下ろしている。


 この二人とドレスを見に行くのに普段着を着るわけにいかないので、有川から服を借りたのだが。


 二人と並ぶと、自分は本物のセレブではないという感じがする。凄くする。


「さ、行くわよ、二人とも」


それでも護衛をしなければならない。


 ヒロヤは周りからどう見られても構わないと腹を括った。


 ヒロヤは二人分の荷物を持っている。

 三件目のブティックで二人とも試着中だ。

 ちなみに、一件目と二件目でも数着買っている。

 やはりお嬢様方は凄い。


 さっとカーテンが開き、美月が出てきた。

 ライトイエローのワンピースタイプのドレス。

 ドレスに詳しくないヒロヤでさえ、いい色だと思った。


「どう?」


「どうして俺に聞くのですか」


「……ああ、そう。悪かったわね!」


そう言うと美月はカーテンを閉めた。


 今度は妃奈子がカーテンを開けた。


 膝下の丈のピンク色のドレスだ。


「これは駄目ですね」


 妃奈子が悲しそうに言うので、ヒロヤは不思議に思う。


「いいと思いますけど?」


よく分からないが、似合っていると思ったのだ。


「左脚のリングが出ません」


 妃奈子には椎名福助氏から奇妙な指示が与えられている。

『左脚のインセパレートリングを出すドレスにしなさい』と。


 やはりあの老紳士はふざけている。


「妃奈子さん、その指示は守らなければならないのですか?」


「私がお爺様に逆らえば、困るのはお父様ですから……」


妃奈子は微笑んだ。何かを押し殺すように。


 妃奈子が逆らえば父の亘氏の会社に制裁が下り、亘氏が逆らえば、リングがついている妃奈子がどうなるか分からない。


 椎名福助は本当に酷い人だ。


 ドレスを選び終わったのは夕方だ。


「ちょっと飲み物を買ってくるわ。……待ってなさい」


美月が一人で自動販売機に行った。


「美月さんも自販機を使うんですね……!」


妃奈子が苦笑した。


「使いますよ。自販機は時間の節約になりますから」


なるほど、お嬢様たちにとっては『時間の節約』という感覚らしい。


 美月が離れて三分ほどだった。


 妃奈子とすれ違う男がきらりと光る刃を持っているのが見えた。


 ナイフだ。


 ヒロヤは真横の敵に足刀蹴りを喰らわせ、ナイフを落とさせた。


 怯えて逃げようとする男に、小さなチップを投げつける。


 男は逃げて行った。


「ヒロヤさん、大丈夫でしたか?」


どうして妃奈子さんは俺を心配するのだろうと、ヒロヤは思う。


「あのチップをつければ協会があいつを捕まえてくれます」


「では、私を狙うのが何者なのか分かるのですね!」


「はい」


「よかったです。……そうすれば、ヒロヤさんは自由になれるでしょう?」


「はい?」


妃奈子はにっこりとした。


「私が狙われなくなればヒロヤさんはこの任務から離れて自分の時間を使えるようになります!」


妃奈子の任務が終われば、また他の任務を受けるだけだ。

 でも、妃奈子は嬉しそうに語る。


 ヒロヤは少し複雑だ。


 妃奈子さんは護衛者がいらないのではないか、そう思うから俺に自由になってほしいと言うのではないか。


 そう、思ってしまうのだ。


「二人とも、ここにいたの?」


美月が飲み物を買って戻ってきた。


「はい、妃奈子さんにはお茶」


「ありがとうございます」


「ヒロヤには……これ」


 あずきドリンク。


「あんた……甘いもの好きでしょ?」


美月が目を逸らす。


「ありがとうございます。嬉しいです」


ヒロヤは嬉しくて、一気に飲んだ。


「そんなに嬉しかったの? そう……」


美月が笑う。


 妃奈子は申し訳なさそうな顔をしているが、ヒロヤには見せなかった。


 ヒロヤの服を美月が張り切って選んだ。一条邸でスイーツを食べた。


 ヒロヤは任務とはいえおいしいものを食べていい気分だが、妃奈子の口数が減っていたことが気になっていた。


 護衛しているとはいえ、妃奈子の気持ちまではどうにかしてあげることはできない。


 護衛者は依頼者に踏み込みすぎてはいけない。


 一条家の運転手がヒロヤと妃奈子を桜井邸まで送ってくれた。


「それじゃあ、妃奈子さんとヒロヤ、またね」


美月はヒロヤと呼ぶぎこちなさが減ってきている。


「ヒロヤさんは美月さんのこと、どう思いますか?」


妃奈子が尋ねてきた。


「どうしてそんなことを聞くのですか?」


妃奈子は何も言わなかった。

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