第6話 橘ヒロヤ、馬鹿だと言われる
ゴールデンウィークに、三船貴金属が主催する小さなパーティが行われる。
「妃奈子さん?」
妃奈子のドレスは純白で、大きなエメラルドのペンダントが美しい。宝石に興味のないヒロヤでも、深い緑が光を反射する美しさをつい目で追ってしまう。
それにしても、純白のドレスなんて、まるで花嫁ではないか。
「妃奈子さん、どうしたのですか」
朝から妃奈子の機嫌が悪いと、まだ一か月と少しの付き合いのヒロヤでさえ分かった。何か失礼なことをしただろうかと考えたが、分からない。
「いえ、お気になさらず」
そう言うが、いつも穏やかな笑みを絶やさない妃奈子が真顔だと、こちらが戸惑ってしまう。
一体なんなんだと思っていたヒロヤだが、その答えはパーティに到着すると分かった。
「ごきげんよう、湊様」
「今日も可愛いね、妃奈子」
あ、こいつだとヒロヤにも分かった。
白いスーツを着こなす、眉目秀麗な青年。三船貴金属の御曹司の三船湊だ。男から見ても格好いいのだが、何か、ひっかかる。妃奈子に対して馴れ馴れしいのだ。
湊は他の女性に声をかけられてもさらりと躱すのに、妃奈子の元に留まっている。
「先日、アフリカの採掘場の持ち主と新しい企画を立ち上げようとしたんだ」
「ええ、そうですか……」
妃奈子に一方的に話す湊。
あの図々しさは一体なんなんだとヒロヤが会場の端から見守っていると。
「橘ヒロヤ?」
急に後ろから声をかけられた。
美月だ。
「美月さんもいらしたんですね」
「当然じゃない? 一条ジュエリーが呼ばれないわけがなくってよ」
華やかなブルーのミニドレスを着て、艶のある黒髪ロングヘアを巻いている。胸元と耳に真珠のアクセサリー。
学校にいるときは忘れてしまうが、彼女も正真正銘の令嬢だ。
「美月さん、湊さんはどうして妃奈子さんにあんなに馴れ慣れ、あ、いえ、親しそうなのでしょうか?」
「ええ? あなた知らないの?」
美月はほんの少し、面白そうに笑った。やっぱり、綺麗な格好をしていても意地の悪い笑顔だなとヒロヤは思った。
「湊さんは妃奈子さんの婚約者よ」
ヒロヤは目を開いたまま、口を閉ざしたまま、固まった。
「まあ、妃奈子さんのお爺様と湊さんのお父様の口約束だけどね。湊さまはノリノリよ。……ヒロヤ?」
「え?」
美月が不機嫌を露わにしたのを、ヒロヤは不思議に思った。
「なんで妃奈子さんに婚約者がいることにショックを受けているわけ?」
腕を組んだ美月の鋭い視線。
「もしかして、あんた……」
「もう少しいい人がいそうなのにと思って」
すぐにさらりと答えたヒロヤに、今度は美月が目を丸くし、そして笑い出した。
「なーんだ。そんなことね」
ヒロヤはよく分からず、首をひそかに傾げた。
♦
「妃奈子さん、こちらの料理を忘れていませんか」
妃奈子が好きなビーフシチューがあると、彼女に伝えようとしたときだった。
「きみが橘ヒロヤくん?」
三船湊が声をかけてきた。
敵意を感じたヒロヤは、まさか攻撃されるのかと警戒したが、さすがにそれはない。今日は分からないことだらけだと思う。
「妃奈子さんは僕の婚約者だから、あまり馴れ馴れしくしないでくれないか」
お前が言うのですかと思ったが。
「はい。承知いたしました」
こう言うしかない。
ヒロヤは賑やかなパーティの中で、こっそり肩を落とした。
美月といい、湊といい、一体俺のことを何だと思っているのだろうと。
ヒロヤは取り皿にビーフシチューをなみなみ注いで食べ始めた。
次はアップルパイ。次はバターケーキ。次はミルクレープ。
やけ食いだ。
護衛者としての誇りを持って務めているのに、同じ年の女性を守るだけで、周りから恋愛みたいに言われる。腹が立つ。
妃奈子さんもきっと、俺のことで何か言われるのを嫌がっているだろうと思うと、ヒロヤはますますやけ食いをして、ピザを一人で半分食べてしまった。
だが、ピザをかじっていても、敵の気配に気がついた。
ピザを取り皿に置き、周りに気づかれないように敵に近づいていく。
妃奈子を守ることが今のヒロヤの存在意義。
何者にも邪魔させない。
ヒロヤは敵を見つけ、敵と妃奈子の間に割り込むように人の群れを突っ切る。
しかし、敵は妃奈子を素通りした。
「見つけたぞ!」
「ちょっと! 何するのよ!」
狙われたのは美月だった。
敵はサングラスをかけている男。
「お前が俺のジュエリーを紹介しないから売り上げが伸びねえんだよ!」
「はあ? あなたのジュエリーのセンスが悪くってよ!」
大したことのない奴のようで、特に銃だとか刃物だとかを持っているわけではない。
「美月!」
それでも、相手は一条家の令嬢。
美月の両親と兄、使用人たちが慌てて駆けつけてきた。
「貴様! 美月を離せ!」
美月の父が怒りで声を震わせ叫ぶ。母と兄も激怒している。
「美月お嬢さんを離して欲しけりゃ、俺んとこのジュエリーを全部買い取れ!」
厳しい訓練を受けてきて、最悪な状況を常に想定させられてきたヒロヤにとって、この男は大したことがない。
「仕方がない! いくらだ!」
それでも、一社の社長である美月の父は娘のために金を捨てようとしている。
「ヒロヤさん」
人と人の合間を縫って、妃奈子がヒロヤの背に触れた。
「私からの指示です。美月さんを助けてさしあげて」
「承知いたしました」
ヒロヤが男の前に立ちふさがると、美月の家族は余計なことをして美月が何かされたら……と慌てたが、ヒロヤが男の頬に足刀蹴りをお見舞いすると、全員黙った。
男はあっさり倒れ、その場は騒ぎになったが、警察を呼び無事に事態は収束した。
「ありがとう!」
美月の父と兄に抱きしめられるという手荒い感謝を受けたヒロヤは妃奈子のもとに戻った。
「無事に助けることができましたよ」
「ありがとうございます、ヒロヤさん」
妃奈子は機嫌が良くなったみたいだ。
「ヒロヤ」
美月がヒロヤを手招きする。
「美月さん、大丈夫ですか?」
「助けてくれて、その」
「お礼なら妃奈子さんに。俺は妃奈子さんの指示に従ったまでです」
「……馬鹿」
「え?」
「ヒロヤの馬鹿!」
そう言うと、美月は赤い顔でヒロヤの手に小さな包みを握らせた。
「本当にあなたは馬鹿だわ」
そう言い残して、美月は去っていった。
美月がいなくなってから包みを渡すと、中に一粒の真珠が入っていた。お礼だろうかと思い、真珠を見つめていると、
「私も貴方を馬鹿だと思います」
妃奈子までヒロヤを馬鹿だと言った。
ヒロヤは何も言う気になれなかった。
♦︎
後日、ヒロヤは妃奈子から一条ジュエリーの会員限定の冊子を見せてもらった。
新人のジュエリーデザイナーを紹介する小さなコラム記事がある。
「これ、美月さんが書いてるんですか?」
「ええ。美月さんはジュエリーデザイナーを目指していますから」
短い記事だが普段本などを読まないヒロヤでも読みやすく、それでいて面白い。
「美月さんは凄いかたなんですね」
ヒロヤが心からそう言うと、妃奈子がにこにこする。
「日頃から努力しているからあんなに偉そうなんですね」
ヒロヤの何気ない言葉に、妃奈子が紅茶のカップをかちゃりと置いた。
「ヒロヤさん、貴方は本当に……」
「え?」
「いえ、なんでもありません」
そう言って、またカップを持ち、妃奈子は紅茶を飲む。
ヒロヤはなんと言っていいか分からず、仕方なく自分も紅茶を飲んだ。
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