第5話 橘ヒロヤ、戸惑う

 『ハイパワーストーンズ』の桜井亘氏は成り上がりの社長。亘氏を気にいった椎名ロック社長の椎名福助氏が、自身の娘を強引に嫁がせた。

 しかし亘氏は笑顔で受け入れ、妻となった貴美子氏との間に妃奈子をもうけた。


「父は優しい方ですから。お母様と喧嘩もしませんでした」


 ヒロヤと妃奈子は喫茶店でジェラートを食べている。ソーダ味。

 入学してから二週間経ち、春めいてきた。


「いいお父さんなんですね」

「でも……」


 ジェラートをぺろりと平らげたヒロヤは、妃奈子の言葉を聞かず、立ち上がった。


 ヒロヤが妃奈子の頭の上にフォークを投げる。その人間はフォークを避けようとして、派手に転んだ。


「いたっ!」



「美月さん?」


 妃奈子が後ろに振り返る。ヒロヤは妃奈子の前に立ち、美月を睨む。


「別に、いたずらだし」


 そっぽを向く美月に、妃奈子は何も言わない。


「あなたの意図は関係なく、俺は妃奈子さんを守らなければなりません」


 ため息交じりの、淡々としたヒロヤの言葉に美月も得意げな顔を崩した。


「悪かったよ」


 美月が謝るのが予想外で、ヒロヤは目を丸くする。


「こないだの柔道の奴! あそこまでするなんて、流石に私も思ってなかった。てか、あいつ補欠だし、大人しいかと」


「補欠という恵まれない立場の人間の方が、恐ろしいと思いますよ」


 あくまで淡々と告げるヒロヤに、美月は切れ長の目を大きく開き、息を飲んだ。その様子にどうしたのだろうかとヒロヤは思ったが、美月はすぐ元に戻った。


「だから、せめて私が直接やってさしあげようかと」


 訳が分からない、と思うヒロヤとは違い、妃奈子はくすっと笑った。


「美月さんは、本当はこういう人なの」


 妃奈子は美月を許してと、ヒロヤに暗に告げている。ヒロヤもその意を汲まないほど子供ではない。


「変な人なんですね」


 美月に睨まれたが、気にしない。


 なぜか美月も一緒に席に座ってチーズケーキなど食べている。一口もらったので文句が言えないヒロヤは、美月と妃奈子の様子を観察するように見てみる。


 一条ジュエリーは、老舗の宝石店。

 であるから『新規参入、それも低価格路線のハイパワーストーンズをどこか見下しているという風潮がある』という情報はある。


 わざわざヒロヤに一条ジュエリーの社名を強調した美月も同様であると思われた。


 話していることは、大概が美月の自慢話。どの会社の株を買って儲けただとか、あそこの社長も一条ジュエリーと取引をしているとか、そのような会社自慢だ。


 美月の話を真剣に聞いて、本気で頷き質問する妃奈子にヒロヤは呆れた。

 いくらなんでも、いい人すぎる。


「じゃ、私はこれから忙しいので、ごきげんよう、妃奈子さん、そして護衛者」


 背を向け、手を振る。


「……のヒロヤ」


 何故か名を呼ばれ、ヒロヤは目をぱっと開く。美月は走り去った。妃奈子がにこにことヒロヤを見る。


「覚えてもらってよかったですね、ヒロヤさん」


 ヒロヤが何も言えないでいるうちに、妃奈子はまじめな顔になった。


「でも、いくら美月さんが美人でも、ヒロヤさんは私の護衛ですからね」

「何を言ってるんですか!」


 動揺したヒロヤに、妃奈子は笑った。


「さて」


 妃奈子が立ち上がった。ヒロヤも続く。


「そろそろ帰りましょう。株を買います」


 ヒロヤは馴染みのない株という言葉にぽかんとする。


「美月さんが言っていたことからして、そろそろあそこの株を売りませんと」


 どうやら、妃奈子お嬢様はただ大人しいだけではないようだ。


「父のハイパワーストーン社は、いずれ終わります」


 自分の父の会社だと言うのに、随分さくっと言うものだ。亘氏への報告時にうっかり言わないようにしなければ。


「ブームになれば、定着か、一過性のもので終わるか、どちらか。ただ、お爺様の椎名ロックに、ハイパワーストーン社は吸収されます」


 話についていけないヒロヤに、妃奈子は笑いかける。


「私はお爺様から会社を受け継ぐのを辞退し、一から起業してみせます」


 ヒロヤは驚いた。


「父を越えるのです!」


 そう言って、妃奈子はヒロヤについてきてと目配せして、走り出した。


 桜も散り、落ち着きを取り戻した街を、妃奈子が楽しそうに駆ける。

 ヒロヤは軽く走って追いかける。あっという間に追いついたヒロヤに、妃奈子は満面の笑みを浮かべる。


「ねえ」


 妃奈子がヒロヤを覗き込むように見る。妃奈子の笑みを可愛いと思ってしまう自分に、ヒロヤは悲しくなった。もっと大人になって、そういう目で依頼者を見ない護衛者になりたい。


 妃奈子は何を言いたいのだろうか、とヒロヤはじっと待つ。


「教えて下さらない?」

「え?」


 妃奈子がヒロヤの手を握る。ヒロヤは、その手から伝わる、どこか乾いた風が吹く気配に戸惑ってしまう。


「あなたはどうして私を守るの?」


 そんなの、護衛者として依頼を受けたからに決まっている。

 でも妃奈子が聞いているのは、そういうことではない。


「護衛者になると自分で決めたんです。この仕事が誇りなんです」


 ヒロヤは半分だけ正解のことを言う。それでも、妃奈子は少しは納得してくれたらしい。だが彼女の目は、それ以上を求めている。ヒロヤは困ってしまう。


 それは紛れもない真実です、とヒロヤが言おうとした時だった。


 ヒロヤは妃奈子に抱き着き、彼女の背に手を回し、強引に引っ張った。


 妃奈子の後ろを、一発の銃弾が走った。妃奈子を角度的に安全な物影に引っ張る。ヒロヤは目の前の、近すぎてかえって見えにくい妃奈子と目を合わせる。妃奈子ははっと息をのむような顔だ。


「あいつは、こないだ朝食の時に撃ってきた奴です」

「わかるのですか?」

「はい。本格的に追い払ってきます」


驚く妃奈子から離れて、ヒロヤは銃を持つ。妃奈子は驚いて声をあげる。

「ヒロヤさんは危険ではないのですか!」

ヒロヤは驚き、一瞬言葉が出なかった。妃奈子がしっかりとヒロヤを見て、腕を掴んできた。

「逃げましょう! 危険です!」


「俺はあなたの盾になるのが仕事です。それに、今やらないと、また来ますよ」


 妃奈子の顔が泣きそうなものとなる。ヒロヤは銃を下向きに構える。


「あなたの安全を保障します」

「でしたら、ヒロヤさんの安全も保障してください」


 すでに涙が出ている妃奈子にため息をつきながら、ヒロヤは彼女の涙を拭った。その時また銃声がした。音で相手の位置がはっきりと分かった。


「相手は一人です。行ってきます」


 その時、妃奈子に振り向いたヒロヤは、確かに微笑んでいた。


 相手は簡単に見つかり、しかも簡単に脚を撃つことができた。出血はさせたが、大した量ではない。

 妃奈子の元へ戻ると、彼女が泣いている。


 青い顔をした妃奈子に、倒れた人のことは護衛協会に連絡して、連れて行ってもらい治療及び調査をしますから、と言いながらも、妃奈子の求めていることは説明ではないことくらいヒロヤも分かっている。


 結局その日、妃奈子はずっと元気がなかった。自分まで元気が無くなることに、ヒロヤは苛立った。



 それからしばらくしたある夜、台所で油掃除をしているヒロヤに、妃奈子が気がついた。彼女は部屋着だが、綺麗な布の高そうな服だ。令嬢なので当たり前なのかもしれない。


「まるでメイドさんみたいね」

「必要ならいつでもまたメイドになります」


 妃奈子が少し頬を染めた理由が、ヒロヤには分からない。


「あの日は、びっくりしました。護衛者がつくのが嫌だったのに……」

「すみません」

「あ、いえ」


 妃奈子が慌てて両手を振る。


「あなたで、よかったと思ったの」


 ヒロヤの手が止まる。妃奈子を振り返る。妃奈子が真っ赤な顔をする。


「あ、いえ、そんなに大げさなものではなく、あなたで、まし、だなって……」


 ヒロヤは息をついた。そして、再び掃除に戻る。

「そう言っていただけて、なによりです」


 なんとなく、ヒロヤには自分の声が固く聞こえた。


『あなたでまし』。

 その言葉は、嬉しい。だが、その直前の『あなたでよかった』に引っ張られ、がっかりしてしまった。でも、悪いように考えるのはよくない、ましというのはとてもいいことだ。それに、依頼者に気に入られたい、などと思うことはおかしなことだ。



 朝起きて、水分を取る。体調は常に完璧にしなければならない。格闘術の基礎をする。ヒロヤを育てたのは、東京で道場を営む橘十段こと、橘武文氏。


 武文氏は、その強さで護衛協会から声がかかったこともあった。しかし武文氏は色覚特性を理由に辞退。


 だが、本当の理由は違うだろうと、ヒロヤは思う。色覚特性など、手術でどうにでもできる時代。


 武文氏は、力を使うことに興味のない人間だった。護衛者の道を選んだヒロヤに、武文氏は、『いつでも帰っておいで』と、笑顔で見送った。


 ヒロヤは、力を使うことに興味のない人間、ではなかった。


 朝食の時間の前に、キッチンへ行く。ヒロヤはすっかり、護衛者だけでなくメイドの役割も果たしている。

「平山さん?」

メイド長の中年女性、平山が、ホイップらしきものを泡立てている。平山は笑顔だ。


「今日は妃奈子さまの誕生日なんです」

ヒロヤはぽかんと驚いた。


「誕生日……」


 しばらく忘れていたことだ。訓練中は、そんなことは関係なかった。平山の他、他のメイドも笑顔だ。


「ケーキ作るのいいですね」


 ヒロヤも手伝いをする。妃奈子は依頼者で、自分は護衛者。あまり公私混同してはいけないかもしれないとヒロヤは思っていた。だから、生クリームを泡立てるくらいの関わりにしようと思ったのだ。


「ありがとうね」


 平山がヒロヤに笑顔を向けたので、ヒロヤはぎくりとする。


「妃奈子さまと仲良くしてくれて、ありがとうね」


 このように思われても、自分は妃奈子とどう距離をとればいいか、分からない。


 自分は、確かに今、妃奈子に肩入れしている。


 でもそれは、守らなければならない人という、よしみというか、愛着と言うか、ヒロヤにはよく分からないものだ。


 朝食に出された小さなケーキに、妃奈子は喜ぶ。

 夜はもっと本格的なものを用意しますねと笑う平山と他のメイドたちに、妃奈子はますます喜ぶ。

 異性と一緒に朝食を取らない妃奈子を、キッチンの隅からヒロヤは覗いていた。


 学校で、妃奈子がクラスの友人たちと、お菓子を食べている。友人たちにはあらかじめ誕生日のことを喋っていたらしい。妃奈子がお菓子を多めにもらっている。男子だというのに、芳樹や数人がお菓子を分けている。


 なんとなく教室を出て、廊下の窓から校庭を見ている。

 自分は妃奈子の何なのか。

 簡単だ、護衛者だとヒロヤは思う。


 では、妃奈子とヒロヤはどのような関係を築くべきなのか。護衛者訓練校で習ったかどうか覚えていない。もしかしたら習ったが、実技ではないので適当に流して聞いていたのかもしれない。


 帰り道、二人は何も言わなかった。いつもは何か話してくる妃奈子が、何も言わない。誕生日なのにヒロヤが何もあげない、何も言わないことに、妃奈子は何か思っているのだろうか。


「ヒロヤさん」


 夕食の後、キッチンのシンクの排水溝を掃除していると、妃奈子が声をかけてきた。


「これ、差し上げます」


 ケーキの一切れだ。何故だろうと、ヒロヤは妃奈子を見る。


「だって、ヒロヤさん甘いもの好きじゃないですか」


「妃奈子さん」


 ヒロヤは妃奈子に包丁を持たせた。


「え? え?」


「万が一誰かに襲われたら、刺して下さい。二分耐えてください」


 ヒロヤはキッチンを出た。


 二分後、少し息を乱したヒロヤが、キッチンに戻って来た。護衛者として、妃奈子から離れる時間を最小限にしたかった。包丁を持ったまま棒立ちの妃奈子から、ヒロヤが包丁を受け取り、置き場に戻す。


 ヒロヤは、妃奈子の手に菓子パンを握らせた。ヒロヤの好きな、苺と生クリームのパンだ。


「妃奈子さん、お誕生日おめでとうございます」


 ぽかんとしていた妃奈子は、徐々にヒロヤに言われたことを噛みしめるように、笑顔になっていった。


「ありがとうございます、ヒロヤさん」


 妃奈子の笑み。

 このことを後悔するときは来ない。

 深夜零時を告げる時計の音がして、走って良かったとヒロヤは思った。

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