第11話 橘ヒロヤと組織の戦い

 ヒロヤは庭へ出た。


 怪しまれないように、ホテルにすぐ戻れる位置に立つ。


 妃奈子と湊の姿は見えるが、声までは聞こえない。いきなりイヤリングの通信を切られて驚いた。


 妃奈子が戻ってきたのが見えた。妃奈子はヒロヤの視線に気がつき、にこりと笑みを浮かべた。そしてこちらに静かに歩いてきた。


「一応婚約者の湊さまとの会話なので、オフにしてしまいました。大したことはお話していないので、心配いりませんよ」


「よかったです。心配しました」


 二人でホテルの建物内に戻る。


 なんとなく、妃奈子がヒロヤの傍から離れない。


 何かあったのかと思うが、婚約者との会話の直後に何かありましたかとは聞けない。ヒロヤは仕方なく、先ほど食べ損ねたチーズケーキを探す。


「はい」


 まさに食べたかったチーズケーキが差し出され、妃奈子かと思ったが、美月だ。


「美月さん、どうしてここに」


「一条ジュエリーも参加するに決まってるでしょ!」


 美月はヒロヤの手にチーズケーキの皿を押しつけた。

 ヒロヤが言いたいのは、なぜわざわざ自分のところに来たのか、ということだった。


「妃奈子さんならあそこにいますよ」


 妃奈子目的だろうと思い、妃奈子を指すヒロヤに、美月は首を振った。


「じゃあ、そういうことだから」


 赤い頬の美月は、そそくさと去って行った。


「どうしたのですか?」


 ちょうど美月が去って行った後、妃奈子がヒロヤの元に来た。

 手には、同じチーズケーキ。


「先を越されてしまいましたね」


 妃奈子の笑顔が、なんとなく寂しそうだ。


「二つ食べます」


「いえ、ヒロヤさんは太ってはいけませんから」


 自分でチーズケーキを食べ始めた妃奈子を見て、ヒロヤは何かひっかかるものを感じた。一体なんなのか。


 その時、ヒロヤはドレスの中に仕込んでいた警報器が小さな音で鳴ったと気がついた。


 ヒロヤは袖に隠していたナイフを取り、ドレスにざっくりと切れ込みを入れる。


「ヒロヤさん?」


 ヒロヤはナイフをしまい、切れ込みを入れたためにスリットのようになったドレスを揺らし、妃奈子を抱いて身をひるがえした。


 ホテルの庭に面した大窓が砕ける。衝撃が伝わってくる。


 悲鳴と、逃げ惑う靴音が大広間に響いた。



 いくつかの破片を払い、ヒロヤは庭を睨む。

 庭に小さなヘリコプターがホバリングしている。


 三人が砕けた窓から会場に入ってくる。

 人種も性別も分からない黒の仮面だ。

 全員がナイフか銃を持っている。

 しかしヒロヤは、彼らの武装が最小限であることに気がついた。


「大丈夫です。俺が守ります」


 妃奈子は辛そうな顔をする。


「どうか気をつけてください……」


 ヒロヤのドレスの裾を掴む妃奈子の手をそっとどけると、ヒロヤは笑顔で頷いた。



 ヒロヤは自分のドレスを完全に切り裂いた。黒い長袖と黒いジャケットには薄い装甲が付いている。


 敵の先頭の男が銃を撃った。


「ヒロヤさん!」


 肘に付いた薄い装甲に角度を合わせて銃弾を当て、弾いた。計算された角度でぶつければ、衝撃は最小限になる。


 ヒロヤが撃つのは護衛者に与えられる特殊な弾丸だ。相手の武器の火薬を利用する。


 ヒロヤの銃弾が敵の銃に命中し、爆発した。

 爆風で先頭の男が倒れた。


 護衛者が待つ特殊な弾丸は『アイキドウ弾』という。

 アイキドウ弾は、相手の武器内の火薬を利用して大爆発する。相手の力を利用する、ということから合気道の名を付けられた。


 つまり、相手の武器に当てなければ、ただの軽い鉄の弾。

 暴発の恐れも依頼者を事故で傷付けることもない。

 激しい爆風で目眩しもできる。

 戦闘の勝利を目指さず依頼者を守ることに徹する護衛者に適した弾丸だ。


「俺は大丈夫です、妃奈子さん」


 腕を軽く振って痛みを逃し、妃奈子に振り返る。

 妃奈子は目の前の戦闘が信じられないというように呆然としている。


 残りの二人が向かってくる。

 ヒロヤは妃奈子を抱きかかえ、テーブルの向こう側に隠すように下ろした。


 二人のうちの一人目と対峙する。


 大広間の照明を反射してナイフが輝く。


 振り下ろされたナイフを飛び退いて躱し、振り上げられたナイフを前進しながら躱し、敵のすぐ横に入る。


 敵の手首を強く持つと、片腕を素早く絡ませて床にしたたかに投げ落とした。どさりと床に倒され、怯んだ敵の頭をがつっと蹴り、気絶させた。


 その隙に妃奈子に近づこうと、テーブルに足をかけたもう一人の足首を狙って撃つ。避けられた。

 敵は妃奈子を狙うのをやめて、こちらに体を向けて、撃ってきた。

 ヒロヤはアイキドウ弾が装填されている銃本体をありったけの力で投げつけた。


 銃弾と銃身が空中でぶつかって大爆発し、敵が大きく吹っ飛ぶ。

 ヒロヤも床に叩きつけられた。

 痛みに歯を食いしばりながら、敵を見る。


「やるじゃないか」


 ヘリに残っていた最後の一人がゆっくりと近づいてくる。


 最後の一人が構えた。恐ろしく隙のない構えだ。何の格闘術の構えなのか見当もつかない。一つ分かるのは、いつでもジャンプできるような体勢というだけだ。


 それでも、戦わなければならない。


 敵がヒロヤに回り込むようにステップしながら迫ってくる。ヒロヤも敵に正面を見せないよう、半身になり応じるが、敵が素早い。油断するとすぐに真正面に突っ込まれそうだ。


 敵がいきなり床を蹴って跳躍し、ヒロヤの脳天に踵落としを喰らわそうとした。


 ヒロヤは左腕で頭部をガードしつつ、僅かに敵の横に踏み込んで避けた。

 床に叩きつけられた男の足が鋭く、大きな音を鳴らした。


 危なかった。

 だがこれは好機でもある。

 最も隙ができるのは、攻撃の前後。


 ヒロヤは避けた際に右股関節に体重をかけていた。それをそのまま軸にして、左足で男の脚を全力で蹴る。しっかりした手応えだ。敵がよろめく。右股関節の自重を支えに立て続けに胴と顔面も蹴る。三連蹴りだ。


 敵も強かった。

 脚こそまともに蹴ることができたが、すぐに体勢を立て直されて胴と顔面を腕でガードされた。


 互いに一歩飛びのき、距離を取る。


 ヒロヤは勇気を出す。両拳を腹部の前で構え、わざと頭部に隙を作る。相手の飛び蹴りを誘うのだ。

 相手はさっそく、腕で反動をつけて跳躍した。

 ヒロヤは右腕で頭をカバーし、左に思い切り体重をかけて体をかがめた。

 脚の動線から逃れきれず、腕に衝撃した。いなしきれなかった踵落としがまともに腕に入った。痛い!


 だが、負けはしない。痛みを無視して、左に思い切りかけた体重を右脚にぶち込んで、相手の胴を押し込むように蹴る。相手が後ろにバランスを崩した隙に、体を近づけて横から腕を捕らえる。


 相手の右側に立つ形になる。

 ヒロヤの右手で相手の右手首を外にしっかりと捻る。

 ヒロヤの左腕を、相手の右腕の肘よりやや上の急所に、下から挟むようにがちっと絡める。痛みを感じやすい場所だ。


「ぐっ……!」


 敵がくぐもった悲鳴をあげた。


 相手の手首を下げて上腕を上げると、人体の構造的に相手の体が軽く浮く形になる。


 敵はつま先立ちになり、まともに攻撃できなくなった。


 敵が自由なほうの片腕を大きく上げた。


 一体何の技をする気だ? と驚いたが。


 先程倒れた仲間がヒロヤを銃で撃とうとするのを制したのだ。

 ヒロヤは驚き、何も言えない。


「さすがだな」


 敵の男がヒロヤに言った。


「今、私を離せば妃奈子様に危害を与えない。どうする?」


嘘の可能性があっても、優先すべきはこいつを倒すことではなく妃奈子を守ることだ。

 ヒロヤは敵を離した。



 ヘリから非戦闘員らしき三人が出てきて、気を失った三人を回収した。

 ヒロヤにさすがだと言った男が、会場の人々を睨みつけた。



「聞け」


パーティ会場が恐怖で静まり返る。


 ヒロヤは走って、妃奈子の側に寄った。

 妃奈子がぎゅっと抱き着いてきて、強く打ちつけた体が痛んだが、嫌ではなかった。


「我らはディザイアモンドを狙う組織、『フォービクティム』。我らの目的は、桜井妃奈子の殺傷ではなく、桜井妃奈子を一生保護すること」


 日本語がうまいが、外国人だ。


 妃奈子が驚いて息をのむのが、服越しにヒロヤに伝わった。



「お前たち椎名ロック、及び椎名ロックの指示を受け妃奈子を囲むものたちには、死んでもらうしかない。もちろん」


 男は怒っているかのように手を広げた。


「我らが恨むは椎名ロックのみ! 椎名ロックの指示で妃奈子を囲むものたちに恨みはない。これだけは理解してもらおう」


 男はヒロヤに穏やかな顔を見せた。


「さらばだ」


 フォービクティムはヘリに乗り、去った。


 何もかも、分からない。

 一つ確かなことは、フォービクティムがヒロヤに対して手加減をしていたことだった。


♦︎


「ヒロヤさん」


「大丈夫ですよ」


「でも、あんなに強く体を打ってしまって」


「大丈夫です」


 そう言いながらも、ヒロヤは座り込んだ。妃奈子が隣に座る。


「どうか私のために死なないでください」


 泣きそうな、辛そうな妃奈子を見て、ヒロヤは力なく俯いた。

 ヒロヤは大丈夫ですとだけ言った。もっと何か言いたかったが、うまく言えなかった。


 ついに泣き出した妃奈子が使用人たちに慰められているのを、ただ見ていた。

 妃奈子がこんなに泣かなければ、ヒロヤは辛くならなかった。


♦︎


 翌日、ヒロヤが目覚めたのは十時過ぎだった。昨夜は妃奈子の使用人の医者に手当をしてもらった。

 床に叩きつけられた体が少し痛んだが、ヒロヤはリビングに行った。


 妃奈子が泣きそうな顔で駆け寄ってくる。


「俺は大丈夫です」


 妃奈子は首を振る。


「嫌です。私はヒロヤさんに傷ついてほしくありません」


 妃奈子は俯く。


「分かっています。私のためだということは」


 妃奈子の思いを受け取ることができないと思った。ヒロヤは何かを言いたかったが、何も言えなかった。


 悲しむ妃奈子にどう伝えたらいいのか、分からない。


 護衛者の仕事は守ることだと思っていたのに、それだけでは足りないのだろうか。

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