第40話 どこでもエンコセット

 荒井の額を汗が伝った。

 暑いわけじゃない。冷や汗だ。


 荒井は探索者向けの訓練所に通っている。

 イメージとしてはボクシングジムに近い。


 大きな訓練所ではなく個人経営のこじんまりとしたもの。

 しかし、卒業生の実力は折り紙付き。

 スパルタな訓練によって、探索者として大きな成長を期待できる場所だ。


 そこの卒業生である先輩に呼び出された荒井。

 体育会系らしい上下関係から、荒井も断ることが出来ずにしぶしぶ顔を出した。

 そして連れてこられてのが――。


「テメェ、唯人ってガキのことは知ってるな?」


 そこはオフィステーブルの並ぶ事務所のような場所。

 壁には極道の文字が飾られていた。

 一番奥の机には、真っ白なスーツの男が腰を下ろしている。

 滝沢だ。


「は、はい。知ってます。同級生です」

「そりゃあ、丁度いい」


 荒井の声は、少し裏返っていた。

 まさか、こんな明らかに反社組織の事務所に連れてこられるとは思っていなかった。


 ガチガチに緊張している荒井。

 その様子を見て、滝沢は満足そうにニヤリと笑った。


「唯人には、仲の良い女が二人居るんだってな?」


 秤と桐華だ。

 あの二人は、唯人と一緒に居ることが多い。

 荒井にはあんな陰キャと一緒に居るのは、理解できないが。


「そうですね……あの二人がどうかしたんですか?」

「その女二人。拉致って来い」


 滝沢はサラリと言い放った。

 まるで、そこの醤油取ってというように。


「え、い、いや……それは……」


 人を誘拐してくる。そんなのは明らかに犯罪だ。

 荒井は犯罪をほのめかして女に言い寄ったことは何度もある。

 だが、本当に犯罪に手を貸すのは嫌だった。

 あまりにもリスクが高すぎる。


「嫌なのか?」

「す、すいません。勘弁して――」


 ガツン!!

 横から殴られた。

 荒井をここに連れてきた先輩が、拳を振りぬいていた。


「俺の顔に泥塗るんじゃねぇよ」

「す、すいません。で、でも……」


 ダン!!

 滝沢が机の上に物を置いた。

 木製のまな板のような物と、小刀だ。


「お前、うちの名前使って女を囲ってるんだってな?」


 荒井の背中に、ひやりと汗が伝った。

 上手く息ができない。強引に唾を飲み込む。


「な、名前は出してなくて……」


 ドス!!

 滝沢は小刀を引き抜くと、まな板に刺した。


「選ばせてやるよ。ケジメの付け方」


 有無を言わせない迫力があった。

 荒井に残された選択肢は二つに一つ。

 秤と桐華を誘拐するか、あるいは自分の小指を――。


 自分の指は犠牲にしたくない。

 そんなのは嫌だ。


 同級生である秤と桐華に、情が無いわけではない。

 滝沢に引き渡せばろくなことにならないだろうことも分かる。


 だが、身を削ってまで守ろうとも思わない。


(そもそも、あんな陰キャとつるんでるのが悪いんだ……!)


 荒井は渇いたのどから声を絞り出した。


「ふ、二人を連れてきます」


  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 次の日の放課後。

 秤が自席で帰り支度をしていると、廊下から声が響いた。


「秤ちゃん、帰ろー」

「分かりました」


 廊下から顔を出していたのは桐華だ。

 秤はバッグを持って廊下に出る。


「ふ、二人とも、ちょっと良いか?」

「あれ、荒井くんどうしたの?」


 声をかけてきたのは荒井だった。

 秤は荒井が好きじゃない。

 粗雑で強引。他者への思いやりが欠けていると感じるからだ。

 自然と目つきも冷ややかな物に変わった。


「わ、悪い。これから時間くれねぇか?」


 秤の目つきに気づいたのか、荒井は遠慮がちに聞いてきた。

 驚きだ。まさか荒井に他者の感情を推し量る能力があったとは。

 桐華も不思議そうに首をかしげている。


「どうしたの、急に?」

「ちょっと、頼みがあってよ……」

「頼みって?」

「その、秋月に謝りたいと思ってな。ほら、親睦会の時にちょっと態度が悪かったなと思って……」


 荒井の言葉に、秤は違和感を覚えた。

 普段の荒井を見ている限り。唯人に申し訳ないなどとは、一ミリも感じていないだろう。

 なぜ急に心変わりしたのか。


「良いじゃん! そういう事なら、私も手伝ってあげて良いよ?」


 桐華が軽い調子で言った。

 基本的に桐華は、『皆が仲良し!』を目指すタイプだ。

 荒井が改心して唯人と仲良くするなら、理由はともあれ良いと考えたのだろう。


「ありがとよ。じゃあ、ちょっと落ち着けるところで話したいから、外のベンチに行こうぜ」

「了解!」


 そうして秤たちは校舎の外れに向かった。

 そこは運動部の休憩などに使われる場所であり、校庭からは見えなくなっている。

 そしてベンチのすぐ隣には自販機。


 荒井は小銭を投入すると、二本のミルクティーを購入していた。

 そのミルクティーを秤たちに差し出してくる。


「飲んでくれ」


 秤は首をかしげる。

 荒井はこんなに気が利く人じゃないと思っていた。

 ちなみに、ミルクティーは桐華の好きな飲み物だ。


「ありがとー!」

「……ありがとうございます」


 よく冷えたミルクティーは薄っすらと濡れていた。

 少しずつ気温も高くなっている。冷えたミルクティーによって結露が発生しているのだ。


 カチリ。

 桐華は蓋を開けると、ボトルを持ち上げた。

 そのボトルが汗をかくように大きな水滴が流れて――。


「待ってください!!」


 ごくり。

 桐華はミルクティーを飲むと、きょとんと秤を見た。


「なに、どうした――」


 ぼとん。

 桐華の持っていたミルクティーが地面に落ちる。

 そこから、だらだらと中身がこぼれた。

 ぐてんと、桐華は気を失ったように目を閉じる。


「桐華さ――ッ⁉」


 ガン!!

 秤が叫ぶよりも先に、荒井が迫った。

 グッと喉元を掴まれる。


「あ、危ねぇな……なんで気づいたわけ?」

「……桐華さんのミルクティーだけ結露が大きかった。事前に仕込んでいたからですよね?」

「当たりだよ」


 秤は荒井を睨みつける。


「なにを入れたんですか?」

「強めの睡眠薬らしい。命に別状は無いって聞いてる」

「その口ぶりからすると、誰かに命令されて――⁉」


 話している途中で、秤の口にハンカチが当てられた。

 呼吸と共に意識が落ちていく。


「悪いけど時間がねぇんだわ。質問は向こうでしてくれ」


 荒井の言葉を最後に、秤の意識は闇に沈んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る