第10話 壁殴り

 入学して数日。

 ちゃんとした授業が始まった今日この頃。

 唯人は机にうなだれていた。


(やばい、授業に全然付いて行けない!!)


 学校生活のやり直し。

 二週目であるため、普通は勉強も楽勝なはずだ。


 しかし、唯人が学校を退学になってから何年も経っている。

 教えられた内容なんて全く使わなかった。

 そのため、すっかり頭から抜け落ちていた。

 特に数学や化学を始めとする理系科目が絶望的。


 なんなら、中学時代の内容すら覚えていないため、マイナススタートだ。

 弱くてニューゲームである。


(頑張って勉強しないと……)


 黎明高校は探索者育成に力を入れた学校だ。

 しかし、進級には普通の学問も求められる。


 探索活動を有利に進めるならば、サバイバルの知識や、モンスターの生態への理解があった方が良い。

 それらをしっかりと理解するには、学があった方が良い。


 唯人は何もかも切り伏せてきたので関係ないが。

 普通の探索者であれば、知識は心強い武器になるのだ。


(どうしよう、勉強を教えてくれる友だちなんて居ないし……塾でも通うかなぁ)


 進級すら危うい。

 このままでは青春や友だち以前の問題だ。

 一年生を三週目は、勘弁して頂きたい唯人である。


「ね、ねぇ、秋月くん。更衣室に行かないの?」


 話しかけてきたのはクラスの女子。

 更衣室。

 その言葉を聞いて、唯人は思い出した。


 次の授業は戦闘訓練。

 体操服に着替えて競技場に集合だ。

 教室を見渡すと、ほとんどの生徒が居なくなっていた。


「あぁ、忘れてました。ありがとうございます」

「う、うん。それじゃあ、また後でね!」


 女子生徒は小走りで去っていく。

 数人の友だちに合流すると、なにやらキャーキャーと騒いでいた。


(若い子は元気で良いなぁ……)


 唯人も更衣室へと向かうことにした。


  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 戦闘訓練授業の前後は、やや長めに休み時間が設定されている。

 着替えたり競技場へと向かう時間を考慮してのことらしい。


 少し早めに競技場周辺に向かって、お喋りでもしている生徒が多い。

 もっとも、唯人には喋る友人もいない。

 のんびりと競技場へと向かっていると。


(……なんか声が聞こえる?)


 物陰のほうから、女子の声が聞こえてきた。

 怪我や急病。なにかしらあったのかもしれない。

 唯人は様子を見ようと、足を向けた。


 そこに居たのは秤。

 そして男子生徒。

 二人とも体操服を着ている。これから戦闘訓練の授業を受ける仲間だろう。


 だが、仲良く雑談をしているわけではない。

 男子生徒が秤の行く手を遮っている。

 恫喝でもしていそうな雰囲気だ。

 

「なぁ、秤ちゃん。そろそろ連絡先くらい教えてくれね?」

「嫌です。あなたに教える必要がありません。それと、気安く名前を呼ばないでください」


 いや、ただのナンパだろうか。

 いじめとかなら迷わずに止めに行けたのだが。

 ナンパって止めたほうがいいのだろうか?


「……なぁ、俺ってさぁ。中等部上がりだから、結構顔が広いんだわ」


 ナンパ男が語りだした。

 秤も怪訝そうな眼をしている。


 黎明学園には、高等部と中等部が存在している。

 ナンパ男は中等部から在籍しているらしい。


「だから、あんまり俺のことナメてると、学校生活送れなくなるぞ?」

「……最低ですね」

 

 うわぁ、相手にされないからって、そんなこと言っちゃうの?

 唯人もびっくりだ。いくら陰キャでもそこまで卑劣なことはしない。

 これは止めに入ったほうが良いだろう。

 唯人は声をかけることにした。


「あのー、なにしてるんですか?」

「あぁ?」


 振り返ったナンパ男。

 驚いた。ナンパしていた男は荒井だった。

 俺様系のイケメンかと思ったら、とんだクズ野郎だったらしい。


「お前、この間の……」


 向こうも唯人の顔くらいは憶えていた。


「なに? 知り合い?」

「あぁ、ちょっとな」


 このまま立ち去って欲しかったのだが……そう上手くはいかないらしい。

 荒井はニヤリと笑った。


「なにお前? 秤ちゃんに良いとこ見せようとしてるわけ?」

「え? いや、そういうわけじゃ……」

「じゃあなに? なんのようなわけ?」


 ダメだわ。

 舌戦では勝ち目がない。

 なにか理由を付けて秤を連れ出そう。

 言い訳を考えようとした唯人だが、荒井は待ってくれなかった。


「この間から思ってたんだけど、マジでお前うぜぇわ。陰キャが調子乗んなよ!!」

「うぇ!? 暴力は良くないと思う!!」


 荒井が拳を振り上げる。

 ゴッ!!

 唯人の顔を殴りつけた。ふらつく唯人。

 それを見た荒井は――不機嫌そうに顔を歪めた。


(……ちょっと痛くしすぎたかな?)


 人を殴り慣れていそうな荒井の拳。

 それが真っ赤に腫れていた。


 唯人は殴られる直前に、肌の表面に魔力の壁を生成。

 そのまま正面から受けたのでは、鋼の壁を殴りつけるようなもの。荒井の拳を駄目にしてしまう。

 ほどよく力を受け流して、殴るのが不快になるくらいに受け止めるつもりだった。

 しかし、ちょっと加減を間違えて、痛くしすぎたかもしれない。


「なんだこれ、感触が……」


 怪訝そうに拳を見つめる荒井。


 ピコン!

 殴られたおかげか、唯人は思いついた。


「あの、天野さんのことを桐華神宮司さんが探してたので、それを伝えようと思って来たんですけど……」


 学内カーストで言えば、桐華は最上位だ。

 俺様系の荒井でも、桐華が秤に用事があると言ったら、この場は収めてくれるんじゃないだろうか。

 それに、どうせ桐華には昼休みのたびに会うのだ。勝手に名前を使ったことも言い訳できる。


 どうやら作戦は成功したらしい。

 荒井は舌打ちをすると、唯人の横を通り過ぎた。


「……クソ陰キャが」

(捨て台詞の小物間ヤバいな……)


 荒井が立ち去ると、秤が頭を下げた。


「秋月さん、ありがとうございます」

「あ、いや。俺は別に……」

「……ちなみに、桐華さんが呼んでいるのは本当ですか?」

「すいません。嘘です……」

「そう、ですか」


 うつむいた秤。

 一瞬だけ、口元がほほ笑んだ気がした。


「そろそろ授業が始まります。行きましょうか」

「あぁ、そうですね」


 唯人の横を通り過ぎる秤。

 後を付いて行くと気まずいので、彼女が去ってから屋根の上とか伝っていこう。

 唯人はそんなことを考えていたのだが。


「……? 行かないんですか?」


 秤は振り返って唯人を見る。

 まるで道案内する猫みたいな動作だ。

 一緒に行こうと目で語られている……気がする。


「あ、いや。行きます」


 唯人はおっかなびっくり秤の隣に並ぶ。

 競技場へと向かうまで、二人の間には沈黙が奏でられた。

 不思議と気まずさは無かった。

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