第7話 旧姓
(あばばばばば!!!?)
唯人の目の前にスタブが迫っていた。
このままではオシャレゾーンに入って死んでしまう。
しかし、逃げることもできない。
「スタブには初めて来ました」
「じゃあ、私のおすすめを教えてあげるよ!」
すぐ隣には秤が居る。
やっぱ無理です。なんて逃げ帰るわけにもいかない。
ちなみに、誘われた段階から断る選択肢はなかった。
なぜなら陰キャは断れないから。
飲み会なんかに誘われたら『行きたくないなぁ……』と思いながらもしぶしぶ顔を出して、隅っこで一人静かにする。
行くのも辛いが、断るのも辛い。それが陰キャだ。
(うわぁぁぁ!? 店に入ってしまうぅ!!)
唯人は秤たちに続くように、スタブへと足を踏み入れた。
あたりまえだが、死ぬわけがない。
ただアウェー感が凄いだけだ。早く帰りたい。
唯人はカルガモのヒナのように、秤たちに付いて行く。
とりあえず席を取っておくらしい。
(そういえば、注文ってどうやれば良いんだ……。なんか呪文を詠唱するんだよな……? 俺、魔法は使えないんだけど……)
スタブと言えば、小難しい注文が有名だ。
大きさでさえSMLではない。
ショートとか、グランデとかそんな奴。
大きさ表記を特殊にすることで、他のカフェとの『違い』を演出しているのだろう。
そうしてお店のブランディングをしているのだろうが、陰キャには優しくない。
……むしろ、陰キャが気軽に入れない雰囲気を作り出すことで、お店のオシャレ感を引き立てているのかも。
お客もオシャレな方が、お店の雰囲気も良くなるから。
「それじゃあ、私が注文してきちゃうね! みんなは何が良い?」
唯人だ注文にさえ戦々恐々としていると、桐華が注文を申し出た。
さわやかイケメンや、俺様系は慣れた様子で注文を詠唱した。
……あれ、覚えられるものなんだろうか?
唯人は不思議に思ったが、桐華はうんうんと頷いている。
問題ないらしい。
「私は神宮司さんにお任せします」
「お、俺もお任せしたいです……」
幸いなことに、秤は桐華に注文を丸投げした。
唯人もそれに乗っかる。
「任せて、とびっきりに美味しいの頼んでくるから! あ、でも注文が多いから誰か運ぶの手伝って欲しいなぁ?」
確かに、四人分の注文を一つのトレイで運ぶのは厳しいだろう。
誰かが手伝いに行くべきだ。
(あ、俺が行った方が良いかな?)
荷物運びは下っ端が手伝った方が良いだろう。
唯人は手伝おうかと思ったのだが……。
悲しいことに、陰キャはこういうときでさえ遠慮してしまう。
ワンテンポ動きが遅くなるのだ。
「じゃあ、俺が付いて行くよ」
「ありがとー!」
さわやかイケメンが名乗りをあげた。
イケメンは気遣いもできるらしい。素早い動きだった。
桐華とイケメンは、さっそくカウンターへと向かった。
そうして残されるのは、唯人、秤、俺様系の三人。
(あれ、もしかして気まずい方に残った?)
この三人で会話が弾む気がしない。
注文に向かった二人がムードメーカーだったのだから。
「はか――」
「秋月さんは、どんな鍛錬をされているんですか?」
秤の名前を呼ぼうとした俺様系。
しかし、それよりも少しだけ早く秤が口を開いた。
その内容は、唯人に関すること。
俺様系のイラつきポイントがプラスされた気がする。
「あ、俺は――」
「俺は実戦形式の練習が多いな。後輩とスパーリングしたり。秤も見に来るか?」
唯人の言葉を遮るように、俺様系が話した。
秤の目つきが鋭くなった気がする。
しかも、さっき注意されてたのに、また呼び捨てだ。
秤のイラつきポイントもプラス。
秤は俺様系に答えずに、無言で唯人を見た。
続きを話せと言いたいのだろう。
「俺は一緒にやる人が居ないから、実戦形式の練習はできないです。素振りしたり、走り込みしたり、基礎的な練習が多いです」
実践形式ではなく、実戦なら死ぬほどやって来た。
あるいは唯人の師匠と試合をしたことは何度もある。
(でも、あの人の場合は気を抜いたら殺しに来るからなぁ……練習とは言い難い……)
唯人の話を聞いて、俺様系が鼻で笑った。
「ハッ。ぼっちかよ」
(そうです……)
しかし、秤は何か考え込んでいた。
「なるほど、勉強になります」
(よく分かんないけど、役に立ったなら良いか……)
そんなことを話しているうちに、桐華たちが戻って来た。
「ほーら! ご飯だよ!」
桐華が買ってきてくれたのは、コーヒーとサンドイッチだった。
おそらく、もっと複雑な名称があるのだろうが、詳しくは分からない。
ただ、とても美味しそうだ。
「神宮司さん、料金は――」
「いらないよ! 私からの入学祝いだから!」
「貴女も新入生じゃないですか……ちゃんと払いますよ」
桐華が奢ってくれるとも言ったが、なんだかんだで料金は支払った。
そもそも、初対面の相手に支払いを押し付けるわけにはいかない。
「それじゃあ、食うか――」
「ちょっと待った!」
俺様系がサンドイッチに手を伸ばした。
しかし、それを桐華が止めた。
「もう一回、自己紹介をしようよ。私も秋月くんの名前を知りたいし」
四人の自己紹介は事前に済ませてあるのだろう。
どうやら、桐華は唯人のために言ってくれたようだ。
たしかに唯人は男子二人の名前を知らない。
ぜひ名乗って欲しい。
「っち。『
俺様系の名前は荒井というらしい。
ぶっきらぼうに言い放つと、サンドイッチにかぶりついた。
「俺は『
イケメンはさわやかに言った。
朝風という苗字も、どことなくさわやかな気がする。
「私は神宮司桐華だよ」
「私は……必要ありませんね」
桐華と秤が続いた。
席強奪女である桐華の名前はもちろん知っている。
秤に関しても、つい先ほど自己紹介をされたばかりだ。
そうして、唯人の順番が回ってくる。
緊張する。
どうして名前を言うだけなのに、自己紹介って緊張するのだろうか。
「秋月唯人です……」
ぴくりと、桐華が反応した。
「……唯人くんって、どんな字で書くのかな?」
なんでそんなことを聞くのか。
唯人は不思議に思いながらも素直に答える。
「唯一の唯に、人間の人です」
「唯人くんって……苗字変わってたりしない?」
唯人はドキリとした。
(え、なに!? エスパー!?)
ビックリしながらも答える。
「え、あ、はい。わけあって母方の兄の元でお世話になってて……旧姓は『
一瞬だけ、桐華の目が大きく見開かれた。
……なにか驚く要素があっただろうか。
唯人は考えるが、答えは出ない。
「すごいね。どうして分かったんだ?」
唯人の苗字が変わったことを当てた。
朝風はそのことに驚いたらしい。桐華に理由を尋ねていた。
たしかに、どうして分かったのか。唯人も気になった。
「あ、えっと、姓名判断にはまってるんだよね。それで、秋月って苗字に、唯人って名前は相性が良くないから、不思議だなぁって!」
桐華はまくしたてるように早口で言った。
(占いでそんなことも分かるのか……凄いなぁ……)
素直に感心する唯人だった。
桐華が何か隠しているとは考えずに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます