吸血鬼と契約を結ぼうと思います。


「気のせいかもしれないけどほんの少しだけ喉が潤って吸血衝動がやわらいだ気がする」


 食事を終えた後、ルカはポツリとそんな事を呟いた。


「あんたの血も魅力的だけど、料理もまあ⋯⋯悪くないかもね」

「さっきみたいに素直に美味しいって言えばいいのに」


 この頃にはルカへの恐怖心もすっかり無くなって、軽口を叩けるまでになっていた。



「さて、と。おれはあんたの血の匂いに釣られてここまで来たワケだけど⋯⋯」


 僅かに顔を赤らめたルカは話を逸らすようにごほんと咳払いをするとそう言った。


「人間に紛れて生きる吸血鬼は大勢いる。そんな中で極上の血を持つあんたが今まで無事な方がおかしいんだ」

「へえ?」


 間の抜けた相槌あいづちを返す。紅音にはルカの言っている事がイマイチ信用出来なかった。


「おれはこれでも高位の魔族だ、それ故に血を欲する衝動にはあらがい難い。⋯⋯本当なら生意気なあんたの血を此処で吸い尽くしてやってもいいところだけど、どうしてもって言うならおれが側で守ってあげる」

「⋯⋯それは私の作る料理が気に入ったからまた食べたいってこと?」

「違うよ、あんたにはおれが必要だってこと!」

「必要ないわ、そんなの。今まで普通に暮らして来たんだし」


 紅音はルカの提案を跳ね除ける。その事にムッとしたルカはやや語気を荒げて言った。


「今まで大丈夫だったからといってこれからも大丈夫な保証なんてどこにも無い。まあ、あんたがそんなに早死にしたいって言うなら止めないけど」


 そこまで言うと、ルカは声のトーンを落としニヤリと笑った。


「でも、いいのかなあ? 手加減なしの吸血ってすっご〜くイタイらしいよ? その白い首筋に牙を立てられ、ロクな抵抗も出来ないままに血管を貫かれる。傷口から流れる血を際限なくすすられる恐怖はどれくらいのものだろうね? おれには理解出来ないけど」

「⋯⋯っ!」


 ルカの言葉で途端に不安が押し寄せて来た。

 今まで吸血鬼なんて存在は信じていなかったが、彼には確かに普通じゃない何かを感じる。紅音が気付かないだけで、すぐ近くに人成らざるものは潜んでいるのかも知れない。


「それじゃあ、残り少ない生をせいぜい楽しんでね」


 紅音が考え込んでいると、ルカは返事も待たずに立ち上がる。そして、背を向けて扉に向かって歩き出した。


「ち、ちょっと待って!」


 紅音は反射的にルカの背中に向かって声をかける。


「ん? なあに?」


 振り向いたルカはにやりと笑っている。それはまるで、これから紅音が口にする言葉を解っているようだった。


「わ、私の血はあげられないけど⋯⋯今みたいに料理やお菓子なら好きなだけ作ってあげる! 人間の発明した料理には牛肉の赤ワイン煮込み以上に美味しいものだって数え切れないほど存在するわっ! ど、どう⋯⋯?」


 紅音の提案にルカは考え込むようすを見せる。肌に刺さる沈黙が痛い。



「う~ん。まあ、今はそれで良いよ。そのうち気が変わるかもしれないしね」


 ルカはそう言いながら悪戯っぽい笑顔を見せた。


「変わるわけない⋯⋯っ!」

「そのうちあんたの方から吸ってください~って懇願こんがんするようになるよ。楽しみだね、アカネちゃん?」

「っ⋯⋯!」


(絶対に思い通りになってたまるものですか! この調子でなんとしても吸血を回避してみせる!)


 心の内でそう息巻く紅音であったが、黒い笑みを見せるルカに面と向かって意見する勇気は無かった。



✳︎



「話も纏まったところで、アカネちゃん」

「はい?」

「契約には何か目に見えるカタチが必要だよね? アカネちゃんはおれの飼い主になったんだから⋯⋯」


 ルカはそう言うなり紅音の制服のリボンに手をかける。ゆっくりと赤いリボンが解かれる衣擦れの音がしんと静まり返った室内に響いた。


「なっ、何!?」


 咄嗟に身を引く紅音に対し、ルカは解いたリボンを紅音の目の前に突き出した。


「おれの手に結んでよ」


 紅音は戸惑いながらも言われるがままにルカの左手首に赤いリボンを結んだ。


「ありがと。ねえ、アカネちゃん。これはおれがアカネちゃんのものだってシルシだよ。これからいーっぱい可愛がってね?」


 ふわりと微笑んだルカは、結ばれたリボンと紅音を交互に見やる。


「っ⋯⋯!?」


 紅音は甘ったるい声で心底嬉しそうな笑顔を見せるルカの顔を直視出来なかった。

 出来るだけ視線を逸らしていると、視界の片隅でちゅっと軽い音を立てて赤いリボンにキスを落とすルカの姿が入る。


「なっ、ななな何⋯⋯!?」


 余りにも大切そうに触れるものだから、まるで自分に口付けされたかのような感覚におちいり、咄嗟に頬を押さえる。

 火が出そうなほど真っ赤に頬を染めた紅音は驚きの余りその場から逃げ出そうとするが、足をもつれさせ尻もちをついてしまった。


「あははっ、アカネちゃんってばドジだなあ。こうなったらおれが四六時中側で守ってあげないとだね?」

「あっアンタのせいでしょうがっ!」


 涙目になって笑うルカにやっとの事でそう反論する。


(これから不安で仕方ないっ!)



 こうして、胸中きょうちゅうに少なくない懸念けねんを抱きながらも紅音が1日3食更には寝床を提供する代わりに、ルカが他の吸血鬼から用心棒として紅音を護衛するという何とも不可思議な契約が結ばれたのだった——。






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