吸血を全力回避します!


「ギャーーーーッ!!」


 紅音あかねはぶるぶると激しく身を震わせ、半狂乱になりながら絶叫した。


「ち、ちょっと⋯⋯いきなりどうしたのさ!?」


 ルカは取り乱す紅音を見てギョッと目を丸くすると、恐る恐る手を伸ばす。

 しかし、紅音は彼の指先が触れる直前に身をよじり、咄嗟とっさに接触を回避した。


「いっ、イヤアァァアーーッ!?!? ばっ化け物にッ⋯⋯殺されるッ!!」

「はあ?⋯⋯おれが助けてくれた人を殺す恩知らずに見えるわけ? ちょっと味見するだけなんだからそんなえる顔しないでよ」


 ベッドの上で死に物狂いで逃げ惑う紅音と、対して呆れ顔のルカ。


「あんたさあ⋯⋯少しは可愛らしくくとか出来ないわけ? 顔、すっごいブスなんだけど」


 涙目で鼻息荒く、顔を真っ赤にさせてジタバタと手足を上下させる紅音の姿を真紅の瞳に映したルカは言った。


「生死がかかってる時に可愛いもブサイクも関係あるかっ!」


 ルカの言葉にムッとした紅音は瞳に恐怖をにじませながらも声を荒げて反論する。 例えそれが真実だとしても年頃の女性に向かって言って良い事と悪い事がある。

 ルカは怒り心頭の紅音をじっと目を細めて見つめると、おもむろにため息を吐いた。


「う~ん⋯⋯この際、食材の見た目については気にしないことにするよ。人間の世界ではゲテモノの方が美味しいって事もあるみたいだし? 珍味も偶にはいいよね」

「うぎゃッ!? ち、ちょっと待って!!」

「ええ~? どれだけ焦らすのさ。おれ、お腹ペコペコなんだけど? 見た目はともかく、香りは極上のご馳走を前にしていつまで待たせるつもり?」


 先ほどからスンスンと鼻をひくつかせ、ほうっと恍惚こうこつとした表情をみせるルカ。

 しかし、どこを見ても紅音の部屋に食べ物なんて無い。あるのは学習机や椅子、通学鞄、空のマグカップなどの家具や日用品ばかり。とても人間が口にして良いものではない。


(もしかしてこの人、異食症とか!? いやいや、机をかじられるのはものすご~ぐ困るけど、赤の他人の趣味嗜好しこうにとやかく言うわけにはっ⋯⋯ようし、ここは慎重に⋯⋯!)


 紅音は混乱する頭で昨夜の記憶を呼び起こし、再び迫り来るルカを止めようと大声を上げた。


「きっ、昨日ミルクあげたじゃないっ!?」


 焦る余りに声が裏返り、羞恥しゅうちで更に顔が赤く染まる。


「はあ? おれは吸血鬼ヴァンパイアだよ? そんなのでお腹いっぱいになるワケないじゃん」


 ——吸血鬼。さも当然だと言うようにさらりとそう言いのけるルカの口内からちらりと覗く鋭い牙。鈍く光るそれは肉食獣のそれを彷彿ほうふつとさせ、紅音は身体を震わせる。


「吸血鬼⋯⋯!?」


 紅音はありえないと思いながらも、目の前の男に向かって想像フィクションの存在であり人間の血をかてにする怪物の名を復唱する。信じたくは無いが、自ら正体を明かしただけあってそれほどまでにピタリと特徴が当てはまった。



「うん。そうだけど?」


 紅音の問いにルカはあっけらかんとしたようすで肯定する。


「ひっ⋯⋯!!」


 紅音はか細い悲鳴を上げながらも、必死に思考をめぐらせる。


(家の扉も窓もしっかり施錠していたし、不審者が入り込むなんて出来る筈無い。だとしたら、本当に——)


 漸くその言葉を咀嚼そしゃくした途端、紅音の全身からブワッと汗が湧き出る。身体の表面は煮えたぎるほど熱いのに、内臓はゾッとするほど冷たい不思議な感覚だった。


「こっ、これ以上近付かないでっ!!」

「まあまあ、死なばもろ共、毒を食らわば皿までって言うじゃない」

「そんな言葉で納得出来るわけないじゃないっ。私を吸血鬼にするつもりなのね!?」


(うろ覚えだけど、吸血鬼は噛んだ人間を同族にする力があるって⋯⋯!)


 吸血鬼の主食は人間の血液であり、噛まれると自らも眷属けんぞくとなり彼らの仲間になるのだと何かで読んだことがあった。紅音は戦々恐々とした面持ちでルカを押し退けようとする。



「なあんだ、そんな事心配してたんだ。一度や二度と吸ったくらいじゃならないから安心して吸われてくれていいよ」

「⋯⋯⋯⋯」


(この男の言う事なんて信用出来ない。それよりも⋯⋯どうにかして目の前の男の気を逸らす方法はないの? 何か⋯⋯血液の代わりになるものを差し出すとか?)


 絶体絶命のピンチだと言うのに紅音の思考はいやに冴えており、どういうわけか理科の河田先生の言葉を反復していた。

 血液は主に鉄分にビタミン、ミネラル、タンパク質等々で構成されており——。


(ん? ⋯⋯それってもしかして、食事で補えるんじゃ?)



「これだッ⋯⋯!!」


 八方塞がりだった局面に一筋の光が差した気がした。


「ちょっと待ってなさい! 血なんか目じゃないくらいの美味しいものを用意してあげるからっ!!」

「えっ⋯⋯ちょっと!?」


 途端に力がみなぎって来て、どこからそんな力が湧いたのかというほど強い力でルカを押し退ける。更にはそんな紅音の背中を掴もうと伸ばされたルカの手をするりとかわして走り出す。


(良かった! 丁度昨日仕込んでおいたがある!)


 ドタバタと階段を駆け降り、リビングの扉を目指す。目的地はキッチンだ。



✳︎



「紅音特製、牛肉の赤ワイン煮込み。どうぞ、召し上がれ」


 十数分後、息を切らせた紅音はルカの目の前にもくもくと湯気を上げる皿を置いた。

 香り高いブラウンのスープの上に鎮座ちんざするスプーンで簡単に切れるほど煮込んだ牛肉に、しっかりとした甘味を感じられるほど丁寧に下ごしらえした野菜たち。

 それらを一晩寝かせたことでより一層コクと風味が増し、何処に出しても恥ずかしくない至極の逸品いっぴんといえる。


「ええ~? おれ、人間の食べ物なんかに興味無いんだけど?」

「それって食べたことあってそんな事言ってるわけ?」


 自信作を前にして、食べる前から文句を垂れるルカに苛立ちを覚えた紅音は声に僅かな怒りを滲ませる。


「もちろん。英吉利イギリスで昔食べたけどウナギのゼリー寄せみたいなモノでしょ、人間の食べるものなんてさ。悪いけどあんたたち人間の食べ物はグルメなおれの口には合わないかな」

「はあ!? もしかしてたった一品食べただけで分かったような口をきいてるわけ? そんなのふざけてるわっ」

「⋯⋯人間の食べ物なんて吸血鬼にとっては嗜好品だよ。あってもなくても問題ない、その程度のもの。そんなものを無理して食べなくちゃならないなんでどんな拷問ごうもんだよ」


 そう言って諦めたような顔をするルカに、頭に血が昇った紅音は乱暴な仕草でスプーンを取る。そして、一口大に切った牛肉と野菜をすくい、強引にルカの口に突っ込んだ。


「文句は食べてから言いなさいっ!」

「んぐ⋯⋯っ!?」


 大きく目を見開いたルカは突然口内に入れられたことに驚きを隠せないようすだ。しかし、吐き出す事無く、大人しく咀嚼そしゃくを繰り返す。


「ど、どう?」


 そう尋ねながらも怒りに任せて恐ろしい吸血鬼になんて事をしてしまったのだろうかと後悔の念が駆け巡る。しかし、今となっては既に後の祭りだ。



「驚いた⋯⋯美味しい、かも」


 ごくりと飲み込んだルカは独り言のようにそう言った。


「っ!」


 幸いな事にルカが怒っているようすは見受けられない。その事に密かに息を吐きながら、紅音は今度は自らスプーンを手に取りスープを口に運ぶルカの姿をジッと眺める。



「どう? 人間の文化も捨てたもんじゃないでしょ?」


 そう問うてみれば、ルカは恥ずかしそうに顔を伏せながらすっかり空になった皿を差し出して「おかわり、してあげてもいいよ」などとのたまった。





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