第4話

 陽貴が目を覚ましたのはお昼過ぎだった。頭にぼんやりとかかっていた靄が晴れ、思考もしやすくなっていた。

 ただ、それでも眠りに落ちるまで考えていた陽貴を異世界に連れ去った不思議な絵のことはわからない。しかい、次にどうするべきかが思いつき、陽貴は早速服を着替えて必要なものを鞄に詰め込み玄関に向かった。


「おはよう陽貴って。その恰好、どこか行くつもり?」

「ちょっとおじいちゃん家行ってくる。見たい絵があるんだ!」

「ちょっと、ご飯も食べないで行くつもり⁉」

「行ってきます!」


 陽子の制止を無視して飛び出した陽貴はまっしぐらに祖父の家に向かった。

 わからないなら、もう一度試してみればいい。刑事は現場百回、とはドラマでよく聞く言葉だが、陽貴は陽雄に似たようなことを言われたことを憶えていた。


『いいか陽貴。想像できないのなら似たようなものを見てみる。それでもわからなければ触ってみる。嗅いでみる。聴いてみる。味わってみる。絵描きはな、そうやっって五感で世界を感じて、その感覚を絵で表現するんだ』


 陽貴が憶えている、数少ない陽雄とのやり取りだ。もっとも、幼かった陽貴がそのせいで小さなおもちゃを口のなかに入れようとしたのは、ちょっと危ない笑い話だ。

 

 祖父の家に着き、陽貴は迷うことなくアトリエに向かう。

 ドアノブを握った手が止まったが、陽貴はアトリエのなかに入った。


 昨日、無造作に置きっぱなしにしてしまっていた例のキャンバスは、特段変わった様子もない。やはり触れてみても光ることはなく、当然異世界に飛んでしまうこともなかった。


「これまで何回もアトリエには入ったことあるけど、昨日みたいなことは初めてだったし、なにか条件があるのか? でも、昨日もいつもと違ったことをしたわけじゃないしな」


 陽貴は古びた丸椅子に腰かけ、アトリエの中を見渡す。

 無数にある陽雄の絵は、本だなのように壁に収納されていた。


 ジッと見つめていると、それが訪れた。


「光ってる?」


 壁にしまい込まれた一つの絵が光っていた。陽貴はそれを引き抜き、絵に触れないように縁を持った。

 描かれていたのは、異国情緒溢れる下町、その日常を切り取ったような風景だった。細かく人が描かれ、活気に満ちているのがわかる。そしてなによりもこの絵の特徴として挙げられるのが、


「人間じゃ、ない? 猫みたいな耳がある。あ、尻尾も」


 俗に獣人と呼ばれるような風貌をした存在が描かれていることだった。異国どころか異世界チックな絵だ。

 絵を持つ陽貴の手に力が入る。


(行ってみたい。絶対に、おもしろい!)


 目をきらりと輝かせて鼻息を荒くした陽貴は、鼓動に合わせて強くなる光の先を触れるように、絵に触れた。

 そして期待通り白い光が陽貴を包み込み、次の瞬間には描かれていた異国の街に立っていた。


 乾いた風。食欲をそそる匂い。耳の中いっぱいに響く音。そして、この地に立っているのだと実感させる足の裏の硬い感覚。

 その全てを呑み込んで、陽貴は鞄のなかからスケッチブックを取り出した。

 

 もう一度、異世界に行けたらと持ってきていたものだ。勇者と魔王の戦いがあった場所ではなかったが、この街も、陽貴の絵を描きたいという欲を掻き立てた。

 邪魔にならないように道の端っこにより、来る人行く人を観察し、鉛筆で描いていく。ひとまず構図は気にしていなかった。全体の風景画ではなく、部分を切り取った静物画や風俗画だ。

 陽貴は全体を描くには細部を知らな過ぎた。そのためのスケッチだった。


(獣人は色々いるんだなあ。猫耳、犬耳、うさ耳、熊耳。あっちはエルフかな? 耳が長いや。わ、あのおじいさん長いローブを着ておっきな杖まで持ってるけど魔法使いかな? なんだろうあの野菜。見たことなないけど、異世界独自のものかなぁ)


 そうして時間は過ぎて行き、真上にあったはずの太陽は傾いていた。陽貴はそろそろ切り上げるか、と腰を上げお尻についた汚れを払う。

 そこでようやく気が付いた。


「あ、そういえば戻るのに必要な絵はどこに」


 そう疑問に抱くも、陽貴は慌てていなかった。差し迫った危機もなく、ゆっくり探すことができるからだ。そうした落ち着いた心持ちだと自然と背筋が伸び視野も広まり、陽貴は前回とは違ってすぐに見つけることができた。

 

 今回は木組みの家の外壁に架かっていたのだ。親切に光って。

 だからこそ陽貴は違和感を覚えた。だれも、絵が光っているのに目もくれないのだ。

 たしかに、魔法があるかもしれない世界、絵が光るなんてこと珍しくないのかもしれない。しかし、光るものに誰一人として一瞥もくれないのは、それが見えていないとしか思えない違和感だった。


 陽貴は周囲の様子を窺いつつも、キャンバスの下まで寄った。やはり誰も気が付いていない。それと同時にあることに気が付いた。


(ここ、この場所に立つと絵と同じ画角になる。そういえば勇者と魔王の絵があったのも、構図が重なる場所だった。もしかして、キャンバスは描かれた絵が見える光景の場所に現れのか? しかも、僕以外には見えない状態で。それに、絵が街の景色じゃなくてアトリエの中を描いたものになってる。前回は見られなかったけど、描かれた場所に行ける絵なら、戻るためにはアトリエの絵じゃないと駄目なのかもしれない)


 そう仮説を立てつつも、真偽のほどは不明なのは変わりなかった。

 陽貴はお腹が空いているのに気が付き、キャンバスに触れようとする。


(大丈夫か?)


 陽貴は人目を窺う。いきなり人が一人消えて大丈夫なのかと。


(まあ、絵が見えてるわけじゃないみたいだし、それに消えてもここにもう一度来るとも限らない。気にしてもしかたないか)


 あっさりと割り切った陽貴は絵に触れて元の世界に戻った。


「あれ、まだ昼? というか僕が転移した時間からほとんど進んでない」


 無事アトリエに戻れた陽貴はスマホを見て時間が進んでいないことに驚いた。


「向こうの世界にいたら、絵が描きたいほうだいってことか?」


 陽貴は戻ったばかりだというのに、もう次のことを考えていた。


「ただ、お腹は空くんだよな。向こうでどうするか考えないと」






 夏休みの間、陽貴はまるで秘密基地のに行くかのように異世界に通い続けた。

 光る絵はあれからずっと同じで、様々な種族の人が行き交う街の風景画だった。


 陽貴はそこに通い続け、街の人にも知られるようになっていった。そして陽貴が頭を悩ませた金銭問題も、陽貴の絵を買いたいという商人が現れ、言い値で買い取ってくれたので解決されていた。


 そして異世界の知識や資金を手に入れていった陽貴は、ついに決意する。


「他の街にいってみよう!」


 大きなトカゲが引くトカゲ車に乗り、陽貴は異世界を旅することに決めた。

 スケッチブックを使い切る旅路に。







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